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ベッドの上で寝転んだままの男が小さく笑った。都会の高層何とかから夜景でも眺めていそうな、気取った仕草だった。
どんなに格好つけても、ここは郊外にある古臭いラブホテルだ。窓もないし、あったとしても見えるのは県道と国道の交わる交差点と草の生えた荒れ地くらいで、夜景など見えるはずもない。
それでも、男は妙に満足げだった。
「実はこのホテル、二度目なんだ」
隣で背を向けて下着を身に着ける女に言う。さっきまでその手に触れていた乳房は白いキャミソールで隠れてしまった。
「前の彼女と来たの?」
気だるそうに髪をかきあげ、女は訊く。男がきいてほしそうなので、仕方なく。
「まあね」
「前の彼女を忘れられないの?」
「やきもち?」
女は酷く冷めた顔で男を見ている。気を遣って話を膨らませてあげたのだけなのに、一度寝たくらいでいい気になっている男を軽蔑している。
その冷たさに男はようやく慌てた。
「いやね、その時駐車場で仔猫を拾ったんだよ」
「仔猫?」
「駅まで彼女を送るために二人で駐車場に行ったら、車のそばでにゃーにゃー鳴いていたんだよ。にゃーにゃーというより、みゃーみゃーだな。高くて細いあの独特な声で」
「それで?」
女は着替えの手を止め、男に向き直る。女が興味を持ったことに気を良くして、男は更に喋り続ける。
「彼女が飼いたいっていうからその野良猫を連れて、わざわざ車で家まで送っていったんだ。まあ、目ヤニだらけだったし、動物病院に連れて行くつもりだったんだろうね」
「つもりってことは、彼女、仔猫を引き取らなかったの?」
「そう! やっぱやめるって言い出してさ。ひっかかれたり、噛みつかれたりして嫌になったんだろうね」
男は大げさなため息を吐き出した。
「車に猫をおいてとっとと帰っちまった。困ったよ」
そして、上半身だけ起き上がると女に身体を寄せた。息がかかるほど近く。
「それからどうしたと思う?」
「知るわけないでしょ」
女はそっと男から離れた。付き合いたての恋人同士のようなじゃれ合いなどお断り。女の無表情の顔にはそう書いてあった。
「あなたの家に猫を連れて行ったんじゃないの?」
冷めた声で言うと、男が笑いながら首を振った。
「奥さんがいるのに無理だよ。うちの奥さん動物嫌いだし。色々詮索されたら厄介だし」
そういうと、再びベッドに寝転び、彼女の方へ寝返りをうった。
「だからさ、駅のロッカーに入れたんだ」
そう言いながら、女の太ももに手を伸ばす。
「最低ね」
その手を躱し、女はベッドから降りた。
明らかに不快な顔をしていた。
「怒るなよ。次の日には引き取りに行こうと思ったんだよ」
「なんで行かなかったの?」
「行ったさ。翌朝に。でも、もういなかったんだよ」
男が起き上がり、嘘を取り繕うように女へ微笑みかけた。
本当は翌朝ではなく、ひと月後に思い出して恐る恐る駅へ様子を見に行ったことは、隠すことにしたのだ。
「駅の職員が引き取ったのかな。猫だから大丈夫だろう。鳴くだろうし」
「そうかもね」
女は深いため息をはき出した。
「雪女と同じパターンなら、私がその猫で、ここで恨みを晴らすんでしょうね」
男は驚いて目を丸くする。女が昔話を話題に出したのが意外だったのだ。
「この話で日本の昔話を思い出すなんて、君って面白い」
思わずクスクスと笑う。
「まあ、でも雪女はちょっと違うだろ。雪女は男の恋女房になるんだから。君は……」
君は浮気相手。そう言いそうになってさすがにやめた。お互い納得した上での割り切った関係とはいっても。
「君は、の続きは何?」
女は男を見つめていた。感情のこもらない声だ。笑顔でも泣き顔でもない。怒っているようにも見えない。この女が何を求めているのかさっぱりわからなかった。本気になって欲しいなんて思っているなら、もうちょっと媚びた態度をとるのだろうか。女のそんな姿を少し見てみたい。
「君は猫なのか?」
男は女を見つめ返す。
「どう思う?」
それはさっきの仕返しみたいな切り返しだった。この女があの猫だったら、置き去りにされた恨みをはらしに来たわけだ。
「そんな陳腐な物語、今どき流行らない、かな」
「あっそ」
女は脱ぎ散らかした服を掻き集めて手早く身につける。あまりの早さに声をかける隙もない。
「じゃあね」
女は何の未練も見せずに部屋を出た。
「早いな」
後腐れがなくていいと思いながら、できることならもう一回くらい会いたいと男は考えていた。
(猫の話なんてするんじゃなかった)
乱れたベッドで寝返りを打つと、何だか眠くなってきた。
(少しだけ)
男は目を閉じる。
少しだけと思いながら、あっという間に深い眠りについてしまった。
女がホテルを出ると、そこは駅へと姿を変えていた。
男は眠っている。
広いベッドは消え去り、ホテルの一室はみるみる縮まり、冷たい金属でできた四角い空間へと変わったというのに。
ーー陳腐で悪かったわね。
ドアの向こうで彼女がつぶやいたことも知らずに。
★
K市のとある駅のコインロッカーからパンツ一枚の姿で中年の男が発見された。男を発見し、ロッカーの中を目撃した駅員の話によると、男は体を折りたたまれギチギチにつめ込まれていたという。綿のつめられたぬいぐるみならともかく、生きている人間がそこに収まっている姿は恐怖を覚えるものだったと話している。
発見された当初はぐったりしていたものの意識はあった。
適切かつ迅速に救助された男は救急車で病院に運ばれた。自分の置かれている状況が理解できず、やや錯乱状態だったが、医師の治療をうけなんとか落ち着きを取り戻した。そして幸運なことに命に別条はないものと見られる。
駅の防犯カメラには、男が猫の後を追って駅構内を歩く様子や、自ら服を脱ぎ、ロッカーに入る姿をとらえている。
男の行動も、通行人が一人もいないのも、不自然でならない。
そして、ロッカーに自ら入っていく瞬間をカメラは捉えているものの、ロッカーの扉が死角になって、なんの訓練もしていないこの男が、肉体以外の隙間を微塵も許さないほど狭い場所に一人で収まる方法は解明することができなかった。
助け出された男が救急隊員に掠れ声で言った言葉は、
「これは猫の復讐だ」
という一言だった。
どうせ酔っ払って、尻からロッカーに体をねじ込んだのだろう。誰もがそう言って男の言葉などまともに取り合わない。
男を見つけた駅員の制服に何やら動物の毛がついていたことが気になったが、きっとこの事件とは関係ないだろう。
念のため報告するが、男が2度訪れたというホテルは昨年取り壊されたばかりで、存在しない。
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