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拓也は19歳で大学を中退した。今は「釜男」として実家の銭湯を手伝っている。ぶらぶらしているくらいなら家の仕事を手伝えと母親にいわれたのだ。
「別にいいけどさ。釜たきなら人に会わなくてすむし」
拓也が中退した原因は、大学での人間関係だった。工学系の有名校だったが、教室内での競争意識が強く、内気で引っ込み思案の拓也はいわれのない誹謗中傷を浴びていたたまれなくなったのだ。
「ちょっと成績が上がったからって、あいつこの頃調子に乗ってんじゃね?」
「なぁんかつき合い悪いのよねぇ。コンパにも来ないでさあ」
「拓也って自宅生だろ? 講義が終わったら実家に直帰ってさ、小学生じゃん。勉強すんのに必死かよ」
「あいつんち母子家庭だって?」
「なんだ、マザコンかよ? キモッ!」
「向こうがつき合い悪いんだから、こっちもつき合わなきゃいいのよ。無視ね、無視!」
拓也の実家は東京でも指折りの古さを誇る銭湯だった。何しろ湯を沸かす釜は未だに薪を燃やす旧式のボイラーである。釜男の仕事は重労働で、ボイラー室にこもる熱で拓也は一日中汗だくだった。
「冬はいいけど、夏場はきついなあ。でも、人に会わなくてすむだけましか」
どんな環境にも人は慣れるものだ。塩をなめ、水をこまめに飲んで拓也は釜をたき続けた。
「俺はこのまま一生、釜をたいて死んでいくんだろうか? この世に生まれた意味ってあったのかなあ。ああ、世の中を変えるような仕事がしてみたい! ……なんてね」
対人恐怖症をこじらせた拓也が世の中と関わるなど、無理な話だった。拓也は深いため息をつくと、また釜たきの仕事に戻る。
ある日、たきつけの反古紙の中に紛れ込んでいた不思議な古書を見つけた。
「なんだこの本?」
古い和綴じの本だった。ところどころ虫に食われ、破れかけた本は妙に古くていわれがありそうに見えた。
「陰陽術心覚エ」
表紙には筆文字でそう書かれていた。
いや、実際のところすぐには読み取れなかった。くずし字をカメラで読み取り、文字認識するスマホアプリを使って解読させたのだ。
「なになに? 『陰気ハ陽の極ヲ求メテ走リ稲妻トナル』だって?」
これは「電気」のことをいっているのか?
『念力自ラ陽気ト陰気ニワカレ、高熱ヲ発スルコト火龍ノ息吹ガ如ク、稲妻ヲ飛バスコト雷獣ノ怒レル如シ』
これは……「プラズマ」じゃね? 拓也は、休憩時間と仕事後のプライベートを「心覚エ」の解読にすべて振り向け、その内容に没頭した。
「心覚エ」には地図が描き込まれていた。佐渡の山中にある洞窟の底に、「陰陽術」の核となる鉱石が眠っていると。
その名は「陰陽石」。術者の念を取り込み、莫大な陰気陽気を発する媒体である。
「もしかして、西洋の錬金術師たちが探し求めたという『賢者の石』とは、この『陰陽石』のことじゃないか?」
拓也は銭湯が休業となる盆休みに単身佐渡に渡り、山に入った。装備を整えて地図が示す洞窟に踏み込むと、そこには見たこともない生き物が住んでいた。
陰陽石を体内に取り込んで「魔物」化した生き物たちだった。
「心覚エ」にいう「魔物」とは邪悪な怪物ではなく、陰陽石の働きで電流やプラズマを発生させる能力を持つに至った普通の生物のことだ。
拓也は洞窟に通い詰めて、入り口付近に住むミミズやナメクジ、ヤモリなど小さくて弱い魔物を倒し、体内の陰陽石を集めた。陰陽石は必ず魔物の眉間に存在する。
砂粒のような陰陽石を1週間集め続け、拓也はようやく小豆大の量を手に入れた。これを細かくすりつぶし、水に溶かして飲み込んだ。すべて「心覚エ」に記された方法である。
体内に焼けるような熱を感じた拓也は、そのまま意識を失って倒れた。2日後目を覚ますと、拓也は陰陽の気を感知する第三の眼を得ていた。
第三の眼「陰陽眼」を得た拓也は、魔物を倒しながら洞窟の奥へと向かった。魔物の種類はねずみやこうもりに変わった。すると、得られる陰陽石も豆粒サイズになった。
鶏卵ほどの量が溜まったところで、拓也は再び陰陽石をすりつぶし、水に溶いて飲んだ。今度は体が熱くなるだけで、意識を失うことはなかった。
やがて体内の熱が眉間に集まり、まぶしい光を発した。一晩眠ると眉間の熱が収まり、拓也の陰陽眼は「自在力」と呼ばれる力を得ていた。
「陰陽術心覚エ」にいわく、『自在力ヲ得タル者ハ大気ヲ操リ、念ズルママニ陰陽ノ気ヲ発ス』と。
しかし、その力を発揮するためには媒体として高濃度の陰陽石を使用する必要があった。
より強い陰陽石を求めて、拓也は洞窟の奥へと進んだ。
「うっ! こ、こいつが洞窟の主か」
洞窟の最深部、行き止まりとなった空間に体長2メートルを超える大蛇がいた。
大蛇は洞窟の食物連鎖の頂点にいた。数々の魔物を餌食とすることで体内に大量の陰陽石を取り込み、自在力を得た神秘の生き物だった。
拓也に気づけば稲妻を飛ばし、大気を燃やしてたちどころに拓也を殺すはずだ。
拓也は「心覚エ」の記述を思い返していた。自在力に達した魔物を狩るには、いくつかの方法がある。
①気づかれる前に近づき、一刀の下に首をはねる。
②遠くから矢で眉間を深く射貫く。
③逃げられぬように閉じ込めて、餓死させる。または水攻めにして溺死させる。
どの方法も拓也には無理だった。一番可能性を感じるのは③の方法だが、拓也一人の力では大蛇を閉じ込めることなどできそうもない。
「俺はエンジニアだ。工学的に問題を解決しよう」
そのために拓也は準備をしてきていた。陰陽術が操るのは陰気と陽気、つまり電流とプラズマだ。
耐電と耐熱の備えがあれば、大蛇の陰陽術を防御できる。残るは物理的な攻撃だけだ。噛みつき、絞めつけ、尻尾での打撃。
防御だけでは敵を倒せない。拓也は最大級の魔物を倒す攻撃手段も用意していた。後は計画通りに実行できるかどうかにかかっていた。
拓也は背負ってきた鉄製のパラソルをそっと広げて、斜めに立てた。アルミ箔を貼った傘の表面を大蛇に向ける。傘の内側には大火耐熱フォームを貼りつけてある。鉄製のパラソルの軸にははリード線がつながれており、反対の端はアーチェリーの矢につながっていた。
この矢は鏃と矢柄を鉄で作った手作り品だった。
洋弓を構えて深呼吸をすると、拓也はリード線つきの矢を大蛇に撃ち込んだ。怒った大蛇が陰陽術を発動したが、パラソルが避雷針となって飛ばされた稲妻を受け止めた。電流は導線を流れて大蛇に返っていった。
避雷針からは地面にも大量の電流が流れたが、拓也は胸までのゴム長靴を履いて体を絶縁していた。
物理攻撃に対する防御策はないので、大蛇に矢を射かけた拓也は一目散に逃げだした。そのまま洞窟を飛び出して物陰に隠れ、その後の様子を観察する。
幸いにも大蛇が飛び出してくる気配はなかった。1時間様子を見た後、恐る恐る洞窟に戻ってみると、大蛇は焼け焦げて床に転がっていた。
鉈を振るって大蛇の頭部を割ると、眉間の奥から拳大の陰陽石が出てきた。
これで拓也は大蛇が使っていたのと同等の陰陽術を操ることができるようになった。
最早洞窟内に拓也を脅かす魔物は存在しない。
「この洞窟の主は俺ってことか。つまりは『ダンジョンマスター』ってわけだ」
「陰陽術心覚エ」にいわく、『自在力ヲ得タル陰陽師ハ万物ノ長ナリ。恐レヲナクシ、世ニツクスベシ』と。
「そうだよね。2メートルの大蛇より怖い人間なんていないわな。俺はこの力を世の中のために使わなくちゃ!」
人間嫌いは未だに治っていない。しかし、今は「嫌いなだけ」だといえた。「対人恐怖症」の「恐怖」は克服できたと、拓也は思った。
「自在力を得た俺は、世の中につくし、人を助ける責任がある!」
第三の目を凝らしてみれば、洞窟内には陰陽石の鉱床が露出しており、簡単に採掘できることがわかった。
拓也はとりあえず大鉈を洞窟の壁に打ち込んで取り出せる範囲の陰陽石を採掘した。そんな効率の悪い方法でも持ちきれないほどの鉱石が採取できた。
東京に戻った拓也は、陰陽石のサンプルを鉱物学の研究所に送り付け、分析を依頼した。すると、途方もない結果が報告された。
陰陽石は未知の結晶であり、室温超電導の性質を示す。それも1気圧の下で摂氏1千度付近でも超電導現象が確認されたという。研究所と直ちに連携した拓也は、すぐさま陰陽石の組成について特許を出願した。同時に権威ある学術研究誌に論文を掲載し、室温超電導物質発見の事実を世界に知らしめた。
室温超電導物質発見の報は学術界および産業界に激震を走らせた。陰陽石合成方法が直ちに研究され、ほどなく超電動モーターが実用化された。
配電網が超電導化された頃、陰陽術によるプラズマと電流発生の仕組みが技術応用され、室温核融合技術が確立された。
◇
「世の中も変わったもんだ」
拓也は額の汗をぬぐった。
今では車が空を飛び、各家庭にマイクロ核融合炉が置かれている。
「銭湯の湯も核融合炉で沸かすようになっちまったからなぁ」
笑いながら、拓也は首から下げた陰陽石に思念エネルギーを送り込むのだった。相変わらず熱気がこもった古いボイラー室の壁には、ノーベル物理学賞の賞状が誇らしげに飾られていた。<了>
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