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最初に警告音が鳴ったとき、僕はまだ何も理解していなかった。
重力が奇妙に感じられたけれど、それが何を意味するのか、その時はただのエラーだと思った。
それに、船が静かすぎた。
ステーション内部の空気の音が変に重たくて、まるで何かがその場にのしかかっているようだった。
ここはトリニティ・ゼロ。
アルファ・アクシス系で最も深い軌道上にある観測ステーションで、何もない虚空を見つめるためだけに存在している。
僕がここにいる理由は簡単だ。
逃げ出したかったからだ。
連邦の命令も、家族も、友人も、すべてを捨ててきた。
だから、何もない場所で何も考えないことにしたんだ。
でも、何もないと思っていた場所で、僕は最も重たいものに押しつぶされようとしていた。
アラームがさらに鳴り響く。
重い、低い警告音がステーション中に反響する。
それは無視できないレベルになり、僕はついに端末に目を向けた。
スクリーンには赤い表示が点滅している。
『重力フィールド異常検出』。
「何だよ、これ……」
僕は椅子を蹴って立ち上がったが、その瞬間、全身に強烈な重力が襲いかかる。
足が床にへばりつくように重くなり、息をするのさえ苦しくなる。
逃げる?
どこへ?
この場所で、僕はすでに身動きが取れなくなっている。
「トリニティ・ゼロ、応答してください!」
無線からの声が聞こえる。
連邦の通信だろう。
いつもなら、こんなものは無視するところだけど、今は違う。
重力がこのステーションを引き裂こうとしている。
僕は手元のコンソールを叩き、どうにか応答しようとしたが、声がうまく出ない。
まるで口の中に石が詰まっているように感じる。
指も重い。全てが重すぎる。
自分が溺れているのか、それとも宇宙そのものに飲み込まれようとしているのか、どちらか分からなかった。
「こっちは……トリニティ・ゼロ、聞こえるか?」
ようやく声が出たが、すでに遅かった。
船が揺れ始め、金属の軋む音が響き渡った。
何かが崩れかけている。
船の構造そのものか、僕の頭の中か。
どちらでもいいが、何かが壊れていた。
「ザーヴ、応答しろ! 異常事態だ! 君はそこから逃げ出せない!」
その言葉が耳に入った瞬間、僕は本能的に振り返った。
逃げ出せない?
いや、違う。逃げ出すのは得意なんだ。
僕はこれまでずっと逃げてきた。
何もかもから。
家族から、責任から、自分自身から。
だからこそ、ここにいるんじゃないか。
すべてを捨ててきたんだ。
それでも逃げられないだなんて、そんなの冗談だろう。
僕は船のロッカーから緊急脱出キットを引きずり出し、ふらふらと動き出す。
足が鉛のように重い。
でも、心のどこかでは軽さを感じている。
これが最後だ。
これ以上逃げる場所なんてない。
すでにすべてを捨てたんだから、もう何も失うものなんてない。
そうだろう?
でも、その時、また無線から声がした。
「君はすべてを捨てたつもりかもしれないが、ザーヴ、君は自分を捨てられないんだ」
瞬間、僕は凍りついた。
何を言っている?
いや、そんなはずはない。
僕は捨てた。すべてを捨てて、ここに来た。
それなのに、なぜ重いんだ?
なぜまだこんなに押しつぶされそうなんだ?
無線の声は続ける。
「ザーヴ、お前が捨てたのは現実じゃない。お前自身が逃げていることに気づかなかっただけだ。
トリニティ・ゼロの重力は、宇宙の果てから来たもんじゃない。お前自身の重荷なんだよ」
その瞬間、僕はすべてを理解した。
重力が異常をきたしているわけじゃない。
ステーションが崩れかけているわけでもない。
僕が、僕自身の限界に飲み込まれているんだ。
ずっと、ずっと逃げ続けた結果、最後には自分から逃げられなくなった。
ここで、すべての重さが降りかかってきたんだ。
脱出キットを手にしたまま、僕はそれを床に落とした。
僕は逃げる必要なんてなかったんだ。
でも、もう遅い。
僕はすべてを捨てたつもりで、結局すべてを抱えていた。
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