原稿用紙とスマートフォン

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 告白した瞬間に見た彼の顔を、忘れられる訳がなかった。  生田キリオと言う名前をまた見れる日が来るなんて、正直夢なんじゃないかと思った矢先の出来事。  子供の頃、実家の押し入れに入っていた薄っぺらい本。五歳上の姉貴のものだろうと分かっていたけど、中身が気になりページを捲った。  中には文章の羅列がびっしり並んでいた。読み進めるとそこには物語の世界が目の前に広がってくるような、広大なストーリーが続いていて何時の間にか夢中になっていた。  当時の俺は「R-18」の意味さえロクに知らないクソガキだったから、読めない漢字は読み飛ばし先へと進んでいった。辛うじて分かったのは、男Aと男Bがいて、そいつらは互いに好き合っていたと言うことだ。男の俺にも嫌悪感を抱かせないその文章に、時間も忘れて夢中になった。  そこには、甘酸っぱい青春があった。些細なことから始まるすれ違いがあった。そして、耽美なキスシーンやベッドシーンもあった。男同士の恋愛だって案外捨てたもんじゃない、そう思わせる文才と語彙力に憧れた。  意味もわからず悲しくなったり、嬉しくなったり、興奮したり、今思えばマセガキなんて言えたもんではなかっただろう。それでも俺が文章を書くきっかけになったのは、間違いなく「生田キリオ」の存在があったからだ。姉貴にバレて全部隠されてから、その名前は実家じゃ禁忌となった。姉貴も両親に内緒で買っていたが故の秘匿。それは正規の商業誌じゃなくて、素人が趣味で作った同人誌と言うものなのだと後になって知った。 「……あれからもう、十年かぁ」  生田キリオの正体なんて、今まで気にしたことがなかった。女でも、男でも、若くても年寄りでもどうでもいい。ただ、その人の小説が読みたかった。大学生になりネットを漁ってみても、どの本も絶版か高額オークションにかけられていて手が届きようがない。個人サイトは閉鎖していて、SNSのアカウントもない。最後にその名前が載った本の通販は、当時だと二年前…今から八年前で終わっていた。  桐生さんが、うちの会社に入る前だ。  憧れている上司は、それと同時に長い間探していた憧れの作家だった。こんな偶然、そうそうある訳が無い。それこそ誰かが書いた本にありそうなシチュエーションなのに、俺はずっと仮面を被り続けた。昼休み、原稿用紙に書かれていた「生田」という苗字を見て、もしかしてと思ったけれど言及するのが恐かった。そして帰り道に拾った彼の原稿にはっきりと書かれていた、その下の名前を見て確信する。桐生さんが生田キリオの名前をひた隠しにするなら、俺はそれに従うまでだ。その名前を昼休みに見かけてしまってから、ずっと心の中で小躍りしているけどここにきて自分の浅はかさが重く圧し掛かる。あの原稿用紙に貼り付けた、付箋でさえも。 「はぁ━━━っ……」  それでも、やっぱり時期尚早だっただろう。桐生さん本人は、恐らく予想できていない筈だ。溜息ばかりが出てしまう。どうにかしてキリオ先生の小説が読みたい気持ちと、桐生さんに迷惑を掛ける訳にはいかないと言う理性がせめぎ合う。いつものように出社して、いつものように挨拶して、いつものように…  話し掛けれるのだろうか? 「いや…無理、だよな」  どんな顔で会えばいい?何から話し始めればいい?そんことばかり、頭に浮かぶ。  俺は今まで、好きになったら異性同性関係なくアタックしてきたけどその度に玉砕してきた。今更隠せるものじゃないし、自分自身に正直でいたいから。もし、もしも…桐生さんと、両想いだったら?  ありえないとは思うけど、1パーセントくらいなら可能性としてはあるかも知れない。でも、そうだとしたら、果たして俺は…  桐生光の「部下」のままで、いられるのだろうか。 ×   ×   ×  嫌な夢を見た。  目を閉じても眠ることができず、どうあっても目が冴えてしまう。こんな時、話し相手になってくれるような人間がおれにもいたら良かったのだろうが、生憎と思い当たる様な人物は直ぐに思い浮かんでこなかった。  SNSもやっておらず、目ぼしい友人もいない。ただ一人、それなりに会話ができたと言えば懐いてくれた部下ぐらいだ。しかし仮に連絡先を聞いていたとしても、こんな時間に電話しては迷惑になるだろう。それにいきなり電話して、驚かせてしまうのは目に見えていた。大人しく起き上がり、また眠くなるまで原稿を整理することにした。緩慢な動きでベッドから降りて、ビジネスバッグから原稿用紙を取り出しベッドサイドのデスクチェアに座る。折り畳まれて皺だらけの原稿用紙を拡げると、中には一枚の付箋が貼られていた。書き殴られたような文字は、音無の筆跡だと直ぐに分かった。 『もし良かったら、話し相手になってくれませんか』  その下に書かれていたのは、あいつの携帯番号だった。  学生じゃあるまいし、こんな方法で伝えなくてもいいのに。思わず笑ってしまって、付箋を剥がしパソコンデスクに貼る。古びたノートパソコンの電源を付け、トップ画面にパスワードを入れた、その時。  おれのスマホがけたたましく着信音を鳴らした。 「こんな時間に何なんだ…」  時計を見たら、とうに二十三時を回っていた。さらに驚くのは、画面に映った電話番号。  付箋に書いてある、音無の携帯番号と一致した。魔が差したと言うべきか、スマホを手に取り通話表示をタップする。 「……はい、桐生ですが」  『おっ、音無です、桐生さ』 「そうでなかったら出ていない」 『えぇっ!?』 「こんな時間に何の用だ………要件が済んだのなら切るぞ」 『すいませ…寝てました?』 「…いや、これから原稿を書こうとしていた所だ」  不思議と怒る気力も失せて、音無の声にぽつぽつと言葉を返す。プライベートで電話をするのは何年ぶりだろう。微かに猫の鳴き声がして、おねこと言う猫と同居しているのは間違いないと分かった。 『すみません、猫がうるさくて…』 「もっと声が聞きたい」 『…は?』 「………おねこのだ」 『あっ、そうですよね…ほーら、おねこ。キリオお兄さんだよ』 「っ……!」 『ンニャッ』 「……」  かわいい。  それしか思い浮かばないおれの語彙力を赦して欲しい。それよりもキリオお兄さんって何だ。おれのことか…? 「…まだ、子猫だな」 『そうなんですよ、やんちゃ盛りで…』 「会いたい、と言ったら会ってくれるか?」 『うーん、どうでしょう…機嫌次第かなぁ。あっ、今すごくいい顔してますよ!』 いい顔?どんな顔をしているんだ?そこのところを詳しく話せ。いっそのこと 『写メってくれ』 「えっ」 『あっ…いや、何でもな…』 「写真撮ったら、送りましょうか?」 『…いいのか?』 「もちろんですよ!明日、メルアド教えてくださいね」    ×  少し食い気味な桐生さんの声に、俺はおねこの肉球とハイタッチしていた。キョトンと首を傾げながらも、ぐりぐり頭を手のひらに押し付けて構ってほしそうにしている愛猫を撫でる。  急に電話して怒られると思ったけど、少しだけ安心した。 「あの、桐生さん」 『うん?』 「……、あのことですけど」 『どれのことだ?おれの話が読みたいとか…好きだとか何とか…』 「…桐生さん、今俺って言いました…?」 『ああ、別に…変なことではないだろ』  変などころか…普段の一人称が「私」な上に、丁寧な口調とのギャップが凄い。なんと言っていいか分からない。    スマホを握りしめる手の平が、少しだけ汗ばんできた。 「かっこいいです」 『は?なんだそれ』 「だって普段、桐生さんは…何と言うか、誰も寄せ付けないような喋り方するじゃないですか」 『それは職場だからだ…いたって普通だと思うが』 「だったら、今は普通じゃないってことですか」 『それは飛躍しすぎだろ。オンオフの切り替えってことだよ』 「それから、…桐生さんは…男同士の恋愛ってどう思います?」 『……聞きたいことがまた増えてるな』 「だって、まだまだいっぱい知りたいですから。桐生さんのこと」 『まったく、なんだってこんな時に……。おれは…人の恋愛事情に首突っ込むような野暮なことはしないし、する筋合いもないだろ。誰だろうと好きになったもんは口出しするべきでは無いと思ってる』  桐生さんの低くて聞きやすい声が、ダイレクトに鼓膜を震わせる。はい、としか返すことが出来なくて、もしかして今聞くべきなのかと息を大きく吸い込んだ。 「桐生さんは…好きな人、いますか」 『……』 『いる、って言ったら』 「……その、人は…」 『言ったら…おまえはどう思うだろうな……』  気づけば時計の針は日付が変わろうとしていた。頭の中が真っ白になって、きっと無理だ、と呟いていた。急に涙腺が緩くなりだして、後から後から涙が零れて止まらない。桐生さんのことならなんでも知りたかったのに、いちばん知りたくない言葉を真っ先に聞いてしまうなんて思わなかった。きっと桐生光には心に決めた人がいて、俺なんかが入り込む余地は微塵もないのだろう。 『おい、音無』 「……っ…は、い」 『泣いてるのか?』 「泣いて、なんか…」 『あのな、おれは……おまえに、謝らないといけないことがある…』 「えっ?」 『気味悪がられると思われるだろうから、この先も言うつもりはなかったんだが』  正直聞きたくはなかった。きっと、あの告白の答えだろうと思った。でも気味悪い、ってなんだ…?  続く桐生さんの言葉に、少しだけ身構えた。もう振られたも同然だから、半ばヤケクソだ。 『……音無』 「はい」 『…おれが書いているのは…お前を…モデルにした小説だ』  ??? 「俺、もしかしなくてもキリオ先生のお話に出てるんですか?」 『……音無?』  今度は桐生さんが驚いていた。それにしても、いや、まさか……本当に、俺の知っている「生田キリオ」はこの人なのだろうか。本当にその人なら、憧れていた作家の小説に自分が出ているなんて夢のような話だ。それも上司として身近にいて、毎日顔を合わせて、時々怒られたり笑われたりして…。  これは夢なのか?夢なら、早く醒めてくれ。 「…俺の姉貴、生田キリオの…アマチュア作家のファンで…俺もガキの頃から、その人の小説を読んでいたんです。昼休みに見つけた原稿用紙に書かれていたのが同じ苗字で、夕方拾ったら下の名前はキリオだったから…まさかとは思ってたけど…」  ぽつぽつと話していると、スマホの向こう側で息を飲む音が聞こえた。次いで聞こえたのは、何かを探っているような…紙を捲っている音だ。次の瞬間、桐生さんの口から出た言葉は…自分でも予想のつかない言葉だった。
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