光と色

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光と色

 先のエピソードにあった「あなたが必要です」の「あなた」とは、素的(すてき)な物語を(つむ)ぐ才能にあふれたAさまご本人のことでありました。  Aさま、また姿を変えては、いつかどこかで会いましょう。  そのときは、私も姿かたちが異なっているかもしれません。  しかし、それでもよいと感じます。  相手がどこの誰だったのか、それはわからなくてもいい。  いろんな人生があり、いろんな経験があり、いろんな存在のあり方が許され、その選択の先に、進む先に、それらが待っている……これが救いなのだと感じます。  すべて完璧に同一ではないのが、多種多様な存在を許されているのが、幸せの基礎であって、違いの数は可能性の数なのだと、私は思えるようになれました。    人はそれぞれが異なり、各々が違った光を放つものです。  それを魅力、と表現いたします。  魅力は、そのまま「ほれる」へとつながります。  すべてが同じではないことは、実は救いだったのです。  私はたくさんの本を読みました。  特定の宗教に入信してはいませんが、私が見つけたことを記しましょう。  世界を変えるには、自分の内部を変えるといい。  そちらへ目を向けろと煽動(せんどう)されてはいるものの、あなたの外部には、あなたが望む真の幸福はない。  あなたが明るい、と信じ込まされているものは実のところ暗い。  そして、不要になったものを手放すのを恐れてはならない。  あなたはあなたを恐れなくてもいい。  何だって、あなたも含めては変わってゆくものなのだから。  変化に抗拒(こうきょ)するのをここに未熟といい、変化を受容するのをここに成熟という。    隠されてきた摂理に再会するまで、私は数十年かかりました。  私には目的もなく海岸を歩き続け、図書館へ通っては書物を読みふけり、どうやっても眠れなくなって、時の刻まれる音へ毎夜、耳を傾けていた日々があります。  悲喜こもごも至る出来事は、平たく述べると人生のドラマの前では、手抜きという手抜きは一切許されなかったのです。  起きた様々な出来事が、忘却のベールに包まれていた私を目覚めさせました。  月並みな言い方ですが、誰であっても、そのように進むものだと考えます。  どんな存在もいつかは「目覚めのとき」がくるのを拒否できません。  各自の魂の選択と、その契約……言い換えると天の配剤によって、すべての存在は闇の中から光を望み、求めるように促されます。  人々が手を伸ばしてつかもうとする光、それ自体になりたいとの願い、これが「幸せ」と誰もが表現するものの正体なのです。  あなたは光がなければ、あなたは色を認識できません。  幸せ(光)は先に内側から生じて、あなたの経験に彩り(色)を与え、あなたの外側へと反映されます。  あなたの知っているもの、あなたが見ているもの、あなたが感じていること、あなたという存在をつくりあげているものは、あなたが最初に発した光によって、反射した色なのです。
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