新人狂育

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1週間後の朝、彼女は無断欠勤した。 さすがに土日を返上してまで続けたのは身体が持たなかったか。連泊しているホテルに確認してみると、部屋の荷物は無くなっておりチェックアウト手続きもなく黙って去っていったようだった。数えきれないくらい涙を流し、その都度励まし、奮い立たせてきただけに残念だ。 だが。 チームの朝礼で新人が来なくなった経緯を告げると、これから起こることを察してメンバーに緊張が走るのを感じた。 「私は今日不在になります。彼女のことが心配だから、家に行ってみようと思います。」 私の教育はこの程度では終わらない。 人を育てる一番良い方法とは何か?私は常々考えてきた。ここはそんな甘い世界ではない。厳しい世界に耐え抜く精神を鍛えるにはどうするか。答えは一つ。追い込むことだ。追い込んで追い込んで、限界を超えたところで人は飛躍的に育つ。 甘いトマトを作るにはわざと水を絞ってストレスを与えるそうだが、人間も同じと言えよう。あえて厳しい環境に追い込むことで生存本能を覚醒させる。弱い者は壊れてしまうが、その者が弱いか強いかは壊れてみなければわからないではないか。ゆえにとにかく徹底的にやってみるのが良いのだ。 私は人事から彼女の個人情報を聞き出し、地図を見て彼女の家に向かった。 彼女はアパートの一室で一人暮らしをしていた。そのまま家の前でドアを叩いて名乗りをあげる。あえて大きな声をあげて周囲にも聞こえるように叫んでみたが、中から反応はなかった。 隣の住人が何事かと顔を出してきたので、名刺を渡して会社の上司である旨を告げ、無断欠勤で心配だから自宅訪問しにきたことを沈痛な面持ちで説明すると、ここ最近は家に帰ってきた気配はないとのことだった。 どうやら自宅に戻ったわけではないらしい。 仕方なく私は彼女に電話することにした。 下手に警戒させて逃走されるのを防ぐため控えていたが、すでに家は押さえたので問題はなかろう。 彼女のプライベート携帯に電話をかけてみたが留守電になった。メッセージを残すようアナウンスが流れると、私は君の体調が心配だ、大切な部下だから出社してほしい、家に訪問したがいなかった、実家も調べてあるから連絡してみる、友人関係も知ってるので声をかけるつもりだ、私は諦めない、一緒にやり遂げよう、といった趣旨の伝言を吹き込んでおいた。 ほかに彼女の行きそうな場所、自宅から会社までの通勤経路などを1日かけて探し回ったが見つからなかった。夜になって馴染みの探偵に写真を渡して調べてもらおうかと思ってたところで、彼女から折り返しの電話がかかってきた。 メッセージが功を奏したようだ。私はひとり頷き、携帯をタップして電話に出た。 「私だよ。今どこだい?会社に来ないものだから心配してね。」 「わたくしが今からご案内するのは、シニアにおすすめなeコマース株で」 彼女の声は感情を失い、自動音声のように不自然な抑揚で何百回も繰り返してきたセリフを読み流していた。 電話をかけるという仕草が彼女にこの言葉を吐かせているのだろう。昨日まで散々見てきた青白い彼女の顔と半ば開いた瞳孔が思い出される。 ここが限界か、と直感的に悟った。
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