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妻が、亡くなった。
ひき逃げだった。信号無視をしたトラックが慶子を遠い所へと連れて行ってしまった。
途方に暮れたのも束の間、私を現実に戻し繋ぎ止めたのは、私達の宝物である息子の亮輔の存在だった。
亮輔はまだ小学校に入ったばかりで、母親が亡くなったという事がよく分かっていなかった。
「お母さんはまだ帰ってこないの?」
毎日のように聞いてくる亮輔に、私はただ泣いて抱きしめる事しか出来なかった。
しかし暫くすると彼も母のいない現実と向き合ったのだろう。母のことを聞いてこなくなり、甘えることもなくなっていた。今振り返れば、亮輔も無理をしていたのだと判る。だが当時の私は一杯一杯で、息子の変化に気付くどころか大人しくなったことに安堵して仕事に没頭してしまった。
それでも朝と夕方の食事だけは亮輔と二人で摂ることにしていた。そうやって決まり事を作らないと、私自身が家族と向き合うことが出来ないのではないかと不安だったからだ。しかし私は料理が得意ではないため、コンビニのお弁当や冷凍食品ばかりが食卓に並んでいた。
それから幾ばくかの年月が過ぎ、息子は中学生になった。
ある日、中学の林間学校に参加した亮輔が帰ってきた時にこんな事を言ってきた。
「母さんのカレーって薄い肉使ってたよね?」
どうやら飯盒炊爨でカレーを皆で作った時に、ブロック肉を使ったらしい。もちろん家でもカレーは食卓に並んでいたし、レトルトや惣菜弁当も買っていたから色んな味は知っている。だけど亮輔が言ったのは“母さんの”カレーだ。
そう。確かに慶子の作るカレーには豚コマを使っていた。私は亮輔に幼い頃の記憶が残っていたことに驚いた。そして慶子の、母の味を覚えていてくれたことが嬉しかった。気が付くと涙が私の頬を伝っていた。
慶子は料理が得意だった。食の細かった私は文字通り胃袋を捕まれた。味付けも私の好みに合わせてアレンジしてくれるので結婚した後には数キロ太っていた。同僚には「幸せ太り」と揶揄されたものだ。
亮輔がカレーの話をしてから、私もまた料理をしてみようと決意した。亮輔の中の「家庭の味」が、朧げな記憶のカレーと、レンチンした冷凍食品だけだとしたら不憫だと思ったのだ。
初心者でも出来そうな料理をスマホで検索しては挑戦するものの、さすがにすぐ上達という訳にはいかなかった。それでも亮輔は「まずい」なんて言いながら食べてくれていた。
そんなある日。久しく開けてなかった食器棚の隅に、1冊のノートが立て掛けられていた。私は何気なくそのノートを手に取り、中を開いた。
そこには妻の手書きで書かれたレシピが載っていた。ふいに出会った慶子の文字に私は固まってしまい、書かれた文字を一つ一つ見つめた。
そこには私のことを見透かしたように、あのカレーのレシピが載っていた。さらにレシピだけではなく、私の好みの味や感想についてもメモ書きがあった。「最初は辛口にしたけど、彼はもう少し甘口がいいみたい」とか、「今度は豚コマとブロックの両方を入れてみようかしら」とか、彼女らしい丸く可愛い文字で書かれていたのだ。
その言葉を見た途端、台所に立って嬉しそうな笑顔を私に向けて、あのとびきり明るい声で語り掛けてくる慶子の姿が私の脳裏に鮮明に浮かび上がった。それは私が心の奥底にしまい込んだモノクロの思い出に鮮やかな色を付けて上書きをしていった。
私は声を上げて泣いた。誰に憚ることなく、そのノートを抱いてただ泣き続けた。
落ち着いてから、私は改めてレシピノートを見ていった。ノートには最初の五ページにだけレシピが書かれていて残りは白紙だった。いかにも飽きっぽい慶子らしい。私は熱くなった目頭を綻ばせて笑った。でもどのページにも慶子らしい感想が添えられていて、私の事を愛してくれていたことが偲ばれた。
なあ息子よ。母さんの味はここにあったよ。私はまだ料理が下手だけど、いつかこの思い出の味を一緒に食べような。
【終わり】
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