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過疎地の山間の小学校に赴任した日向渉も、今年で5回目の卒業式を迎えていた。が、6年生の担任をしたのは初めてだった。
3人の卒業生のために、日向は自腹で用意した本を、式の後にプレゼントしようと思っていた。
3人それぞれにあった本を探すのは骨が折れたが、この本がきっかけで、3人のこれから先の人生を生き生きと過ごしてもらいたい、と真剣に選んだのだった。
式も終わり、教室に保護者と共に戻ってきた3人。
日向は、本をプレゼントすることを告げ、一人ずつに渡していった。
いつか見たニュースで、偉大な賞を取られた方が、小学生の頃の先生からのお薦めの本が研究のきっかけだったと、インタビューで答えられていた。そのことを日向は頭に浮かべていた。
この児童たちの中にも現れるかもしれない。表彰される人が。そのとき、この卒業で貰った本がきっかけだった、と語ってくれたら──
「先生」
夢想に膨らんだ幻想を散らすように、一人の児童が言った。4月から着て行く真新しい学ラン姿だ。もう児童と呼ぶのは憚られるぐらい堂々としていた。
「先生にとって、転機となった一冊ってなんだったんですか?」
澄んだ瞳で、真っ直ぐに見つめてくる。
自分の人生を変えたきっかけの一冊、運命の一冊。
それまでスムーズに回っていた日向の口は、急に重くなった。
子供のころも、学生のころも、教師になった今も、沢山の本を読んでいるのに、人生の転機となる一冊を思いつかない。
物語の本、地図や問題集、化学の専門書。目に通した本は全部で何冊になるのだろう。
思い返しても、本がきっかけで何かを始めたことがない。何かの判断の基準にしたこともない気がした。
教師になったのだって、親に「大学に行くのなら、何か資格をとったら」と、アドバイスをもらったからだ。
日向は心苦しくなった。自分がこんな感じなのに、卒業生たちが自分から貰った本で、何かのきっかけを掴めるのか、と。
まずは自分が、何かを掴まなければならなかったのでは、と。
「……残念ながら、先生も探しているところです」
やっとの思いで答える。
世の中には星の数ほどの本がある。古典や個人で出版されたものまでいれると、一生出会えない本もあるはず。
日向は後悔した。本をプレゼントしたことを。勝手に児童の個性を決め、選んでしまって。
「皆さん、プレゼントした本に拘らず、沢山の本に出合ってください」
もう日向は、願うことしかできなかった。
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