過去

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嘘をつき続けた。 親が食材を送ってくるのとは別に、眞理子に気づかれないように、冷蔵庫の物を足した。 眞理子がここを出て行かないように。 そんな子供だまし、後からバレバレだったと聞いて恥ずかしくなったけれど、眞理子は「嬉しかった」と言って微笑んだ。 狭い部屋で、一緒に暮らし始めて、少しづつ眞理子は自分の話をしてくれるようになった。 そして、あの日どうして公園にいたのか話してくれた時には、俺はもう眞理子と離れることは考えられなくなっていた。 「俺は眞理子さんが好きです。俺とのこと真剣に考えてくれませんか?」 ある日、彼女に想いを告げた。 なんとなく彼女も俺に好意を持っていると感じていたから、いい加減な関係を続けるのではなくて、けじめをつけようと思った。 眞理子は、寂しそうな笑みを浮かべた。 「今まで黙っていてごめんなさい。私は……結婚してるの」 何か、人には言えないことがあると思ってはいたけれど、まさかそれが「結婚している」ということだとは思ってもいなかった。 不倫……? いや、でも、手は出していない。 最初に見たあの体中の痛々しい痣が目に焼き付いて、ふれてはいけないような感覚のままでいた。 それに、ほんの少し、偶然どこかにふれてしまっただけで、眞理子はビクリと体を強張らせ、息が早くなる。 そんな相手に何かできるわけがない。 「……あの日……逃げてきたの。夫から。わたしの傷、見たよね?」 黙って頷いた。 「結婚するまでは優しい人だったの。でも、結婚すると急に人が変わったみたいに手をあげるようになって……違う……結婚する前からそんな兆候はあったのに、見て見ぬフリをして結婚したの。だから全部自分のせい。私がちゃんと出来てたら彼も私に手を上げたりなんてしなかったんだから」 DVを受けている人は、それを自分が悪いせいだと洗脳されていくと、何かで読んだ記憶がある。 眞理子がまさにそうだった。 「お味噌汁の具がその日の気分じゃなかったって、頭からかけられたり、お帰りなさいを言うのが遅れたからって殴られたり……ワイシャツにしわが残ってたとか、洗面所の歯磨き粉の向きが違っていたとか……畳んだタオルの端がきちんと合っていなかったりとか……わたしがきちんとできないからって、毎日殴られて……」 眞理子は話しながら思い出したせいか、震えながら、結婚してから受けた暴力について話し続けた。 「そんな毎日が続いてたある日、夫が知らない女の人を連れて帰って来たの。夫の……恋人……私は、それから2人分のお世話を始めることになって……」 「ちょっと待って! それ、おかしいですよね? 暴力だってあってはいけないことなのに、愛人を家へ連れ込んでそれを奥さんに世話させるとか、全く理解できないんだけど?」 「私がね、全然……満足させられないから悪いんだって……」 「もういいです! それ以上話さなくていいです! 相談できる友達とか、親とかいないんですか?」 「両親は早くに亡くなっていて、友達は、夫と付き合うようになってから疎遠にさせられた。今思えば、あの頃からおかしかったんだよね」 どうして、今、笑顔でそれを告げるのか…… 「だから、私は柊ニくんには相応しくないの。ごめんなさい。柊ニくんと一緒にいて、すごく幸せだった。ごめんなさい。本当にごめんなさい。だから――」 「離婚、すればいい」 「離婚……」 「逃げるのをやめて、離婚するんです」 「そんなこと……できるわけない。あの人はわたしを自由にはしてくれない……何度も離婚して欲しいとお願いしたけどだめだった。だから……逃げるしか……」 「今の話を弁護士に相談しましょう」 「弁護士?」 「そうです。やるだけのことをやりましょう」
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