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女にスタッフルームまで来てもらい、店長と2人で平謝りしたけれど、その間女はずっと黙ったままだった。
そもそもの原因となった子供は姿を消してしまってもういない。
ノートパソコンや服、バッグに加え、バッグの中に入っていた、最近発売されたばかりの、やはり有名な梨のロゴの入ったスマホ、ハイブランドの財布……全てがどろどろとした甘い液体にまみれていた。
「電話貸してもらえますか? このままでは外に出れませんし」
「あ、はい」
店長が自分のスマホを差し出すと、女はそれでどこかに電話した。
「雅です……この番号? いろいろあって。悪いけど、服をひと揃え用意させて。ちょっと全身着替えるはめになったから。車も回して……そう。そこで待ってる」
電話を切ると、店長にスマホを返し、女は言った。
「どうしますか? あなたも雇われてる身でしょ? トラブルはさけたいわよね?」
「あ……それは……ク、クリーニング代を――」
「彼、クビにして」
「えっ?」
「クリーニングくらいでどうにかなるものじゃないから。無理に決まってるでしょ?」
「あ……」
「彼を処分してくれれば店には賠償を求めない。どうする?」
店長が申し訳なさそうな顔で俺を見る。
元はと言えば俺のせいなわけで、店長には何の責任もない。
この店は長く勤めていて、夜の方の仕事に合わせてシフトを融通してもらえるのが便利だった。
食事もついていて、何より明るい店での仕事は俺にとってやすらぎみたいなものだった。
「自分がやめてすむなら辞めます」
「佐野くん……」
「お世話になりました」
店長に頭を下げ、サロンエプロンをテーブルに置いた。
「決まりね。迎えが来るまでここで待たせてもらいます」
店長も俺も女も、何をするわけでもなく気まずい沈黙の中ずっとそのままでいた。
静寂を破ったのは店長のスマホで、表示された番号に訝しげな表情を見せながら、店長は「ちょっと、失礼します」と言って電話に出た。
そしてすぐにスマホを女に渡した。
「お電話です」
女は電話に出ると、「わかった」とだけ言って、電話を店長に返した。
「お邪魔しました。迎えが来たようなので。柊ニ、行くわよ」
「自分もですか?」
女は「何をバカなこと言ってるの?」とでも言わん目で俺を見た。
「店長、お世話になりました」
一礼だけして、先にスタッフルームを出た女の後を追った。
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