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プロローグ
かといって嫁の貰い手を案ずるほどの不器量でもなし、とどのつまりお前は天下泰平のいい顔だということだ。災いというものは道から外れたところに起きるという。お前はその点、中道まっすぐのいい顔をしている。
祖父は四角い大きな顔から生えた太短い首を更に縮めるようにしてそう言い結んだ。まだ恋のこの字も知らない数えで九つになる孫娘に言うには妙な言葉であったが、ただ幼い私はいい顔だという言葉のみ鵜呑みにして喜び、それが決して年頃の娘にとってはうれしい言葉ではなかったと気がつくのはまだ少しあとのことであった。
母は大正十五年の夏、幼い私を連れて実家である金沢で診療所を開いている祖父のもとを訪れた。私のきかん気は母譲りだと何度言われたかわからないほどの、気の強い母であった。その母が夫の過ぎた遊びを許すはずもなく、言葉どおり飛び出すようにして婚家を出て、実家へと戻ってきたのだ。
何事につけても冷静沈着な祖父も、嫁いだはずの娘が白い洗い立ての割烹着をぱりっと付けて現れたときは顔色を失っていたと、看護婦のお富さんに聞いたのもだいぶあとのこと。
「働かせてください。親不孝は承知で戻って参りました。もう親の娘だのと甘える気は毛頭ございません。一労働力としてどうか使ってください」
神妙なのか傲慢なのかわからぬ口上を、母は胸を張って祖父に述べた。祖父はなぜもどうしたも聞かずに、娘の顔と、その隣の孫娘の顔を見た。その時私はどんな顔をしていたのだろう。祖父は、じっと私の顔を見ていた。怖くは、なかったと思う。白いものが混じる口ひげ、なぜか髪の方はまだその時は真っ黒だった。四角く大きな顔をずいと孫娘に向けて、
「この子はお前にそっくりだ。気が強くて頑固で、賢そうだ。あれが死んで、ここも孝三郎もみな不安であったから、お前たちが来てくれてきっと喜ぶだろう。そう力むことはない。お前が力めばこの子がかわいそうだ。この子まで力まなければならない」
もし実家を追い返されたら行く先のない母は、私には十分気丈に見えたが、実の父にはそのけば立った胸の内がよく見えたのだろう。叱責どころか小言の一つも言わず、あとのことを看護婦長のお富さんに任せて、さっさと診療所の奥へと戻っていった。
「大奥様が亡くなってから先生もふさいでおられましたから、お嬢様達が来られてうれしいんですよ」
祖母がそれより三年ほど前に亡くなったことは聞いていた。ほとんど記憶のない母方の祖母。祖母が縫ってくれたという着物の端切れで出来た女の子の人形を私は気に入り、その時もスカートに母がつけてくれた大きなポケットにそれは入っていた。小豆でもおなかに入っているのか程よい重さを持ち、くたりとした手足の触り心地がよい人形だった。
「光子さんもほんに大きくなりましたね。先生のおっしゃるとおり、お嬢様の小さいころにそっくり。美人になりますよ。今日はおつかれでしょう。今お湯を沸かしてもらっていますから入ってください。明日からは忙しくなりますよ」
「でも」
お富さんは渋る母の肩をさすった。日頃から人の体に触れることに慣れた人間の、柔らかで力強い仕草だった。大柄の体を白い看護服で包み、シミ一つない割烹着をつけたお富さんからは先ほど祖父に感じたような威圧感は感じなかったが、あたたかな力を持っていた。太陽と北風の太陽のような、優しいが有無を言わせない押しの強さ。実父さへ手に余る母に言うことを聞かせられるのは、最後までこのお富さんだけだったように思う。
「さぁ、長旅の疲れを落としていらっしゃい。さぁさぁ」
押されるようにして、くたびれた親子は診療所裏にある祖父の家の門をくぐった。のちに激動と呼ばれた昭和という時代の始まりを控えた年の、ある暑い夏の日も、もう暮れようとしていた。
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