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「向こうで着ていた着物を直したから持っていって明日の用意をなさい。おじい様はなんて言ってらしたの? あのおじい様ならじゃあ学校なんて行かなくてもいいか、なんて言いかねないわね。でも学校は行ってもらいますよ。片親だからって読み書きもできないんじゃあ、あなたが馬鹿にされるんだから。女は結婚する前にいくらでもつめこめるだけ武器を積み込んどかなきゃあ損ですよ。それに親がくれるって言ったものも全部もらわなければ損ですよ。私はそれで損をしたんだから」
母はいつもいらいらと手を動かしている。母と光子の寝間に戻った今も、やはり灯のそばで何か紺の木綿生地をいじっており、慣れた手元には一瞥もせず、吊り上がった光子にそっくりな目を光子のきかん気のにじむ目に注いでいる。
「おじい様も学校は行きなさいって。でもお母さん、やっぱり光子はもう読み書きはできるし、ここの病院で働くほうがずっと役に立つと思うんだけどなぁ」
「馬鹿ね。そんなちびで何ができるっていうのよ。働くっていうことはそんな生易しいものじゃないんですよ」
わかってるわ、と叫びだしそうな口をぎゅっとつむんで、母の顔をうらめしそうに見返したが、もう母の目は光子から手元の木綿地に移っていた。何を繕っているのだろう。学校でお裁縫をしたとき、前の学校の竹田先生から光子さんの縫い目は落ち着きのなさが出ていますね、と言われすごく不愉快な気がしたことを思いだす。小さな貧相な頭に貧相な束ね髪が突き出した貧相な女の教師だった。すごくおばあさんに見えたが、もしかしたらそれほどは歳をとってはいなかったのかもしれない。今となってはもう知る由もないが、前の学校に未練めいたものはほとほとなかった。
「私もね、あなたが学校を変わらなければいけなかったのは、悪いと思ってるのよ。でもあなた前の学校の先生をだいぶ嫌っていたでしょう? 今度の学校はきっといい先生がいるし、きっといい友達もできると思うのよ。金沢の人はよそ者を嫌がるところがあるけど、あなたはあの〝亀先生〟の孫だし、その点は心配しなくても大丈夫だから」
少し表情を和らげて、母は祖父と同じようなことを言う。光子からしたら、先生なんてものはみんないけ好かないに決まっているし、同い年の少女なんて子供っぽすぎて話し相手にならないに決まっている。それに祖父が偉いからってそれが私になんの関係があるのか。そんなつまらないことを言う母が急に憎らしく見えたが、同時に、いつもとは違う憔悴したような口ぶりに哀れさも感じて、なぐさめるような気持ちで返事をした。
「そうね、そうかもしれない。まぁ、がんばってみるわ」
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