11.亀先生の孫、復讐する

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 あれからどこを通ったのか。なんとか車のある通りまで来ると、人力に乗って家へと戻り、何やら言っている女房の声を無視して、自分の部屋へと八木は入った。そこで用意されていた布団にへたりと座りこみ、頭を抱えた。  あれは、本当に蓮乃だろうか。顔や姿は確かに蓮乃に見えたが、今思い返してみれば、暗闇の中、あれだけ崩れた顔であれば他のものが変装していてもわからないだろう。馬鹿馬鹿しい。自慢ではないが、商売上も私生活上も恨まれることの多い人間である。誰かが私をからかうためにいたずらをしたのに決まっている。蓮乃は確かに死んでいる。ならばあれば蓮乃の幽霊ということになるが、六十何年、そんなものは露ほども見たことも感じたこともない。そんなものは神経の衰弱したものだけが見る幻だ。  少し動悸が落ち着いてくると、八木はごろりと外出着のまま布団に横になった。  そういえば、あの女将。杏香の置屋の女将が妙なことを言っていたのを、八木は思い出した。杏香のことで芸者仲間がなにやら知っているそぶりを見せたとか。あの女将も自分に調べの手が回ることを恐れたのか、金を返すなどと馬鹿げたことをほざいていた。なかなかに黒い腹の座った女だと思っていたが、所詮女というものは弱いものだ。少しかまでもかけられただけでしどろもどろだ。情けない。あいつが店に顔を出してから少しして、なにやら番頭の様子もおかしい時があった。普段酒の一つも飲みに行かないやつが、半日店を開けていたらしい。それも私に知られぬよう手配をしていたようだが、所詮私の店の中だ。どこからでも話は漏れる。今は泳がせているが、何かあればまぁ、始末するだけだ。私の手足は一本じゃあない。  ぐるぐると考えて少しは落ち着いたものの、湯に入るのも面倒になり、もう今夜はこのまま寝てしまおうと羽織を脱ぎ捨て、かけ布団をめくると、夜具の上に、長い髪の毛が一つかみほど束になってそこに落ちていた。赤い糸で真ん中あたりが結ばれている。 「うわあああ」  叫び声に妻のおさとがかけつけて、慌てて部屋の戸を開けた。 「どうなさいました?」  尋ねたおさとの目が布団の上にとまる。 「それは一体……」 「私が聞きたい。これはなんだ。どうしてこんなものがあるんだ。誰が布団を用意した」  慌てふためいて叫ぶように言う八木をなだめるように、おさとは首を振った。 「夜具は女中がひきましたが、私も話があってそばにおりました。しかしそのようなものはありませんでした」 「現にこうやってあるじゃないか。誰かがわしを脅そうとしているんだ」  取り乱したことを隠そうそもせず、八木は言い立てる。 「しかし……誰がそんなことを」 「もういい、これで分かった。この家の誰かがわしを脅して、何かをしようと企んでいるんだ。こんな家にはいられない。しばらく帰らないからそのつもりでいろ。店のほうは良一郎がいれば十分だろう」  八木は立ち上がると、言葉の出ない妻を見ることもなく、さきほど脱ぎ捨てた羽織をもう一度肩にかけ、足早にその場をあとにした。
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