11.亀先生の孫、復讐する

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 すぐに手配してもらった車で、置屋雪舟へ向かう。つゆ草のいたころ、同じ置屋にいたあの女将、名は雪吉といったか。若いころは器量も悪くなく人気もあったようだが、火鉢にかけてあった鉄瓶の煮え湯を浴びて足に大きな火傷をしてからは馴染みから愛想をつかされ、もっぱら芸を披露する芸者となったと聞いた。つゆ草が死んでから暫くして、自分の店を持つこととなり、その際には八木も祝いを出したのを覚えている。  置屋が寝静まるのは日が開けてからである。まだ灯のともる置屋の表通りに面した大戸を乱暴に開け、訪ないの言葉もなく足音をたてて沓脱の板間の脇にある、茶の間へと踏み込んだ。そこには音に驚いた様子の雪吉がのけぞるような体勢で座っていた。 「な、驚いた。どうしたんです。急にこんな」 「お前だろ。わかっているんだ」  女将は目を見開き、首をかしげる。 「何を言ってるんです?」 「まだしらをきるのか。あぁ、いいだろう。そうやって俺の弱みでも握ったつもりか。身の程知らずめ。せいぜい、子供だましでもしていい気になっていればいい。お前みたいな女の一人や二人、すぐにどうにでもできるんだ」  驚いていた女将は、徐々に冷静さを取り戻して、叫び散らす目の前の男をあの冷たい蛇の目で見た。 「何を言っているのかはわかりませんがね、私のことも杏香みたいに殺すつもりですか。えぇ、いいですとも。もうこんな年をとって、この世に未練なんてありゃあしませんからね。ただねぇ、あんたにいいように殺された他の女と一緒にしないでくださいよ。この女の地獄みたいなところで、何十年も漬け込まれた怨念の権現みたいな私を殺して、ただじゃあ、すまないことは、堪忍してくださいね。私みたいな人間がそうそう簡単に極楽にいけるもんでもありゃしないでしょう。それまで、あんさんのところでどうか面倒をみてやってくださいな」  白目がちの切れ長の目が、かっと見開いて、蒼白になった八木の顔を見上げる。言い返す言葉もない八木の耳にふっと風が吹き、首筋を氷のように冷たいなにかが触れた。 「う、うわああああああ」  八木は叫び声をあげながら前かがみに倒れこみ、そのまま四つん這いの体制で、板敷きとたたきを通り、開け放されたままの戸から外へと逃げるようにして飛び出した。 「あれぇ、今の八木のご主人でしょう? あんなに驚くなんて、悪いことしたわ。ちょっと触っただけなのに」  宴会の席から帰った若い振袖芸者は心配そうに八木の出て行った先を見つめる。 「いいんだよ。さだめし、幻でも見て驚いたんだろう。悪いことはするもんじゃあないね」  女将は何事もなかったかのように、長キセルに口をつけた。
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