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「八木様、八木様」
八木ははっと目を開けた。明るい部屋で、八木の布団の脇に座った真理子が八木の肩を叩いている。
「起こしてしまい申し訳ありませんわ。八木様のお店のかたが来られたんですの。今日、大事なご葬儀があるとか。外でお待ちですわ」
八木はがばりと体を起こし、部屋を見渡した。何も変わったところはない。部屋の畳はからりと乾き、開けられた襖の奥から朝の光が差し込んでいる。
「葬儀……」
いつの間にか寝てしまったようだ。そして今日は杏香の葬儀の日である。はっきり言って今はそれどころじゃない。今までの女もきちんと葬儀を上げてきた。しかしあぁやって祟り出てきたのだ。葬儀なんてものは坊主に金を払うだけで何の意味もないのは確かだ。八木は坊主に対する怒りを感じながらも、呆けたように布団の上にあぐらをかいたまま、うなだれている。
「先ほどお店のかたにお聞きしましたら、今日ご葬儀に来られる利法さんというお坊様、験力あらたかで有名な方らしいですわ。もしかしたら、八木様のお困りのことも、何かお力になってくださるかもしれませんわね」
八木はすがるような目で真理子を見た。そうだ。それしかない。俺は祟られている。このままではきっと祟り殺されるであろう。その前にこの祟りを祓ってもらうしかない。
八木はそう決心すると、全身がこわばり力の入らない体をなんとか動かして身支度を整えると、部屋の外で待つという店のものの元へふらふらと向かった。
険しい顔つきで八木を待っていた店の手代と荷物を持った若い丁稚は、八木の顔を見るなり、驚きでさっと顔色を変えた。目は血走り、皺の深くなった顔は蒼白で、割れて血のにじむ土気色の唇をだらりとゆがめた八木は、一瞬八木と分からないほどに面変わりしていた。
「旦那様、どうなさいましたか、どこかお悪いように、見えますが」
いまだ店のものにご隠居と呼ばれることの嫌う傲慢な男が、血走った目をきょどきょどと彷徨わせ、何か怯えているように見えた。
「女はいないか」
「女、と申しますと?」
三十半ば、短く刈った髪をきちんとなでつけた細面の手代は、その切れ長の目で後ろに控える丁稚の男をちらと振り返り、お互いの目の中に困惑と、少しばかりの嘲笑を見て取り、視線を八木に戻した。
「いや、いいんだ。何でもない。葬儀は、葬儀の準備はできているか? 坊主はもう来ているのか?」
急に八木の目は生気を取り戻したかのようにぎらりと光り、つばを飛ばしながら手代に問いただした。
「寺のほうには番頭が向かっておりますので、諸事問題ないかと思いますが、住職はどうでしょうか。おそらくもう少し到着はあとになるかと」
手代はホテルの壁にある大きな振り子時計を確認しながら答える。
「そうか、そうか……」
何やら八木はぶつぶつと口の中で呟いているようであったが、手代はもう一度時計の針を見た。
「旦那様、車を待たせておりますから」
「あぁ、そうだな、向かおうか」
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