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12亀先生の孫、顛末を知る
年があけて間もない一月に時の首相である加藤孝明が議会開会中に肺炎で倒れその後死去し、若槻礼次郎へ政権が移って始まった大正十五年。前年に大逆罪で起訴された朴烈と金子文子が引き続き新聞をにぎわし、死刑判決だ、怪写真だと騒いでいるうちに、鬼熊事件が報道されて無責任な市民の茶の間や井戸端での恰好の話のネタとなった。石川の地方新聞である北國新聞を覗けば、津幡で呼んだ芸者が来ないと楼主にくってかかり、酔って暴れた男の話や、御徒町の貸席屋の女将が精神の不調から出刃包丁にて自ら喉をかき切って自殺を遂げたる話、巡査と芸者の駆け落ちに、四高生の書留を盗むものは何者ぞ、というものまで、日々誰かの身の上に起こった不幸や事件が紙面を埋めて、読むものを満足させる。
そして由美子に起こった事件もまた、新聞に載って人々の恰好の関心の的となった。
〝伝説の芸妓が自らの葬式で、復讐を遂げる!?〟と何とも興味をそそるその記事の内容をそのままひこう。
市内〇〇寺にて昨日十日水曜日先負、市内観音町に住所を持つ山岡由美子(二六)の葬儀が執り行われた。由美子はかつて東の廓にて名を馳せる芸妓にて、芸妓を辞めてのちは市の名士八木憲三(六六)の庇護のもと生活をしていたが、同氏にて今年九月二十一日浅野川下流に転落した旨の通報あり県警によって捜索を続けておりしが見つからず、同氏によって死亡届の届け出あり、十月某日受理されていた。
而して執り行われた式の途中、住職による読経の途中堂内に一人の女の姿あり、それに気が付きたる参列者の悲鳴響き渡るなか、喪主たる八木氏が由美子の殺害を自白したるとのことである。また八木氏は他数名の殺害に関しても自白しているとのこと。
なお参列したる警察署署長によりそのまま八木氏は署に連行されたものの、精神の異常をきたしており、警察による取り調べはなかなか進んでいないとの話である。
しばらく由美子は世間の注目を浴び、警察からも取り調べを受け、またすぐに届け出を行わなかった亀戸医院院長にも若干のお咎めがあったようであるが、葬儀から一週間もたった今、やっと亀戸家は平穏を取り戻そうとしていた。
「今日うちにみきさんが来るそうよ。何か由美子さんに渡すものがあるんだって。すずちゃんももちろん来るでしょう」
半ドンの土曜日の授業が終わり、秋から冬へと日一日と空気の冷たくなる中、学校前から続く道を光子とすずは歩いている。
あの日。二人が何が起こったのかを知ったのは、新聞の紙面を通してであり、詳しいことはみきもすずの母も教えてはくれなかった。光子は朝方早くみきに連れられて出かけていった由美子を、はらはらと家で待っていた。昨夜からの雨はあがっていたが、すっきりとしない空模様の薄寒い日であった。そして夕刻を回ろうかという時刻に、由美子は疲れてはいるがすっきりとした表情で戻ってきた。その腕の中に、すっかり眠ってしまった礼太郎を抱いて。
「もちろんよ。それにしても子供ってほんと損ね。いざっていう時は家で待っていることしかできないなんて。私うんと勉強して、うんとお金を稼いで、絶対結婚なんてしない。お嫁さんになってずっと家にいるなんてまっぴらよ。英語を勉強して船に乗って外国に行くわ。ねぇ知ってる? イギリスではなんでも女の人が先なんだって。車に乗るのも、お風呂場を使うのも。私イギリス人だったら結婚してあげてもいいわ。でもやっぱり仕事をばりばりして男の人に命令するほうが気持ちがいいに決まっているわね。きっとみきさんみたいにかっこいい大人になるんだから」
光子は祖父の言うように自分がきかん坊であることは重々承知しているつもりではあったが、こういうときのすずのきかん気は、時に光子を心配にさせるほどであった。
「でも、お母さんに言わなくてもいい? 遅くなるかもしれないわ」
「いいのよ。遅くなったらみっちゃんのところだってわかるでしょ。それに私怒っているのよ。本当に何も教えてくれないんだから。いくら頼んでも、もう少ししたら教えることもあるかもしれないわね、なんて澄ましてばかりで。新聞の追い記事じゃあ、八木は葬儀のときにはもうすでに様子がおかしかったって話じゃない。みきさんとお母さんがその前に何か八木をとっちめるようなことをしたに決まっているわ。私だってあいつの向こう脛の一本や二本蹴っ飛ばしてやりたかった」
すずは頬を膨らませて、念のためにと持ってきたものの邪魔になっているこうもり傘を地面につきながら言った。
「ほんとうに、子供っていやね」
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