12亀先生の孫、顛末を知る

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 家に着くと、すでに人が集まっている気配がして、二人は慌てて茶の間を覗いた。そこには悦子、由美子、すずの母、そしてみきがちゃぶ台を囲むようにして座っている。 「みきさん!」  久しぶりに見るみきに光子が呼びかけると、悦子が光子をにらむ。 「こら。先にお道具を片付けてらっしゃい。二人で手を洗ってうがいをしてらっしゃい。いつもおじい様に言われているでしょう」 「お母さんも来ていたの? 朝何も言っていなかったじゃないの」  すずが不服そうな顔ですずの母の顔を見るが、すずの母は澄ました顔のままである。 「あら、どうせ光子さんと一緒に来ると思ったからいいと思ったのよ。ほら、げんに来たじゃない」 「手! 手を早く洗ってらっしゃい。ちゃんとシャボンを使うんですよ。もう、ほんとに騒がしいんだから」  悦子の言葉に押されるようにして駆け出した二人を、追いかけるようにして由美子の笑い声が起こる。膝の上の礼太郎もつられてころころとした笑い声をあげた。  二人は手洗いうがいを済ませて急いで茶の間へ戻ると、みきと由美子の間の隙間にちょこんと収まった。 「もうそろそろ来られると思うのですが」  みきは腕に巻かれた細身の銀色の腕時計をちらと確認した。家では孝三郎や祖父の大二郎は懐中時計を使っており、たまに本田医師など男性が腕時計をしているのは見かける。しかし女性が腕時計をしているのを見るのは光子には初めてであった。光子はその時刻を確認するしぐさの恰好よさにしばしぽーっとなった。 「誰か来られるのですか?」  由美子が問うと、みきがうなずいた。 「えぇ、もう着くころでしょう。ほら」  みきの言葉を待っていたかのように、玄関から女中のしおに案内されて誰かが近づいてくる音が聞こえた。 「奥様、お客様です」 光子の母が返事を返し、皆が注目している中、からりと障子が開いてそこにしおが座っていた。後ろに濃いグレーの背広を着た男性が立っている。焼けた精悍な顔にみっちりと生えた黒々とした短髪、一応背広を着てはいるが、ネクタイも帽子もない、普段はもっと砕けた格好をしているであろうと想像される風体の男性である。男は部屋へと入る前に、部屋のものへ深々と頭を下げた。 「下田隆吉と申します。本日は急な訪問大変失礼いたしました」 見た目に反し、控えめな声量で丁寧にあいさつを述べる。隆吉は促され部屋に入ったものの、座布団を辞し、再び頭を下げた。由美子は隆吉の姿を見るなり、目を瞠って固まっている。 「どうして……」  隆吉は由美子をじっと見つめ、みきに視線を移した。みきは促す様にうなずく。 「由美子が行方不明だという話を聞いて、ずっと探していたんだ。そこでこちらの小島さんに声をかけて頂いて」  訥々と言葉を選びながら話す隆吉の言葉が途切れ、そのあとを受けるようにみきが続けた。 「由美子さんにお伺いする前にお呼びして申し訳ございません。しかし、どうしても由美子さんにお話ししたいことがあるとお聞きし、今日来ていただきました」 「話なんて……」  苦しそうに隆吉から目を背ける由美子に、隆吉が一ずさり前ににじりよった。 「ずっと探していた。君が生きていてほしいとそう願いながらずっと探していたんだ。生きていれば、もう一目会うことができたら、それでいいと思っていた。でも新聞でことを知って、じっとしていられなかった」  由美子は目を背けたまま、じっと隆吉の言葉を聞いている。 「俺と一緒になってほしい。庭師としてもまだ半人前で、贅沢はおろか、苦労ばかりかけることになるだろう。でも俺は君と一緒にいたい。それだけなんだ」  ぐっと顎に力を入れて言い終わると、隆吉は握りしめた自身のこぶしを見下ろした。 「そんな、私は、だって……」  なんと返事をしてよいかわからぬまま、ただ自身の境遇を思って苦しそうに隆吉の目を見ることもできない由美子に、みきが声かけた。 「由美子さん、差し出がましいようですが、私からもお話があります」  みきの凛とした声に、皆がはっとして彼女の言葉を待った。 「以前お話しましたように、法律の仕事もしております縁で、今回の件を知り合いの弁護士と相談しました結果、八木の店、そして由美子さんと養子縁組をしております雪舟の女将と話し合いを致しました。今回の件をもって、両家どちらも今後一切由美子さんおよび礼太郎君に対する権利を放棄する旨の証書に印をいただきました。これを持って今後由美子さん、そして礼太郎君は自由の身です。誰に気兼ねをする必要はありません。またそれによって浮いてしまいました由美子さんの身元はこちらの亀戸大二郎先生が引き受けてくださるとお話を頂いております」  うつむいていた由美子の目が大きく見開かれる。 「なお」  そういうとみきはひざ元においてあった風呂敷包を恭しくちゃぶ台に乗せ、もったいぶった手つきでその結び目をはらりと解いた。その中身を見て、光子とすずは驚いて目を見合わせた。 「こちら、八木家より由美子さんに対する謝罪の念も込めた損害賠償金でございます。これにより八木の刑が軽くなるというような話ではありませんが、八木家より受け取って欲しいと承って参りました。八木の店も先代のしてしまったことを受け止めながら、もう一度店を立て直そうという決意表明の意味もあると存じますから、受け取られてよいかと。それとこちらは雪舟の女将より餞別でございます。幸せにくらしてほしい、とそう承っております」  つぎつぎとちゃぶ台に置かれる一円札の札束を呆けたように見つめていた由美子は、女将の言葉を聞いて堪え切れず唇を噛んで目元を押えた。 「そして、こちらは八木の店と取引がございました上海在住の資産家柳氏が、八木より預かっておりましたものでございます。こんなことがございまして取引はなくなりましたが、八木、柳両氏よりこのお金は由美子さんに譲渡したいと承っております。柳氏にとっても税金の上で得があるのでしょう。こちらもご遠慮なく受け取って頂いて結構でございます」  札束はこんもりと山になっている。光子やすず、おそらく光子の母にとっても見たことのない大金である。 「こちら、由美子さんの治療費、そして新しい家族の生活のため、どうかお使いください」  みきは空になった風呂敷を歌舞伎役者のような大げさな仕草ですぱんと畳み終えると、そう厳かに言い結んだ。 「由美子」  隆吉のまっすぐな視線を受け、しばらくして由美子は涙の浮いた目をすっとすずの母に向けた。今まで黙っていたすずの母は、我が子を見るような目で由美子の目をしばらく見つめたあと、一つしっかりとうなずいて口を開いた。 「おめでとう。二人で支えあって生きるのよ。これからよ」 こらえきれず嗚咽をもらしながら由美子は泣き出した。 「ありがとうございます。お姉さん。みきさん。悦子さん、光子さん、すずさん、皆さん、本当に、本当にありがとうございます」 頭を下げた由美子に寄り添うようにして隆吉も再び頭を深く深く下げた。その様子を見ていたみきは、ここに事成就したりとばかりに満足そうに微笑んだ。  さきほどから膝の上でぐずっていた礼太郎が我慢できずに母の膝から離れ、まっすぐに隆吉のもとに這っていった。隆吉は部屋に入ってから初めて相好をくずし、礼太郎の丸いおなかに手をかけて高く持ち上げた。礼太郎はうれしそうな声をあげてはしゃぐ。光子はその目元が、隆吉とそっくりであることに気がついていた。
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