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どきどき温泉旅行
源泉掛け流しの温泉の硫黄の臭いと、湯船に注がれる水音が響く。
「僕が変な事を言っちゃったからだね、ごめんね」
「・・・・・・・」
拓真の不可思議な発言に気を取られていた小鳥は、知らず知らずのうちに眉間にシワを寄せていた。
「あ、ううん。読書サークルの学園祭の打ち上げで、拓真と知り合っていたらどうなってたかなって想像してたの」
「うわぁ、想像も付かないね」
「想像も付かないね」
「知り合ってたら、僕たち付き合ってたかな?」
「・・・・」
「小鳥ちゃん、なんでそこで黙っちゃうの!?」
2人は苦笑いで顔を見合わせた。
「あとね。私の部屋に来たと思うのは、拓真の気のせいだよ」
「そうかな、気のせいかなぁ?」
「ほら、”あ、前にこんな事あったなぁ”って感じる事、ない?」
「あ!それはある!あるある!既視感(デジャヴ)だよね!そんな時ってあるよね!」
「でしょ?」
「でもトイレのドアはどう説明するの?」
「賃貸物件だもん、よくある間取りだよ」
「う〜ん、確かに」
「・・・でしょ?」
小鳥と拓真は、取り敢えずそう結論付けた。
「あ〜、いっぱい考えたから疲れちゃった!気分転換に温泉に入ろうよ!」
「なに、僕と一緒に入るの?」
「入らないよ!」
「断固拒否って感じだね」
「拓真のえっち!」
「ちっ」
「あ、今、舌打ちしたでしょ!」
「してないよ」
「したした!絶対した!」
小鳥と拓真の遣(や)り取りが賑やかしく、コオロギはなりを潜めてしまった。
「じゃあ、どっちが先に入るかじゃんけんで決めよう!」
「レディーファーストで小鳥ちゃんが先に入って」
「熱いからやだ!」
「じゃあ、温度調節するから待ってて」
「うん、それなら先に入る」
半露天風呂から、湯かき棒で温泉をかき混ぜる音が聞こえて来る。硫黄の臭いが漂う。やはり相当熱かったらしい。
(うーん)
小鳥はキャリーバッグからやや大きめのポーチを取り出した。その中には2枚のナイトブラが入っている。ナイトブラは胸の形を整えつつ、見栄えを良くする夜用のブラジャーだ。小鳥は、黒いレースのナイトブラと、白いフリルのナイトブラを取り出して見比べた。
「いきなり黒のレースとか”待ってました!”って感じよね」
白いナイトブラには幾重(いくえ)にもボイルレースのフリルが施され胸元には細めのサテンリボンが3つも付いている。
「28歳でこの可愛らしさは”ドン引き”だよね、でも黒のレースに比べたらまだOKかもしれない」
黒か!白かと悩んでいると、温泉の湯加減の調節が終わった拓真が、タオルで首筋の汗を拭(ぬぐ)いながら脱衣所から顔を出した。
「小鳥ちゃん、なにが黒なの?」
「ぎゃっ!」
「なに、そのぎゃっ!って」
「拓真!あっち向いてて!見ちゃ駄目だからね!」
「なに」
「こっち見たら絶交だからね!絶交!」
「絶交って、小鳥ちゃん、それはもう小学生の言う事だよ」
「良いの!私は今、小学生なの!」
小鳥は白のナイトブラをポーチに詰めると脱衣所に駆け込んだ。
「本当にもう、小鳥ちゃんは忙(せわ)しないなぁ」
静かになった客間。拓真は大きく溜め息を吐くと腕を組んでベッドルームを眺めた。そしてゆっくりとベッドに近付き枕を退(の)けた。
(これはまた、今度)
謎解きで、すっかり甘い雰囲気が削がれた夜は更け、ゴム製のそれは拓真の財布のカード入れに片付けられた。
(でも、小鳥ちゃんの部屋の、ペパーミントグリーンの家電製品なんて珍しいと思うんだけどなぁ)
拓真はカウチソファーに横になり、目を瞑(つむ)った。
カポーーン
小鳥は温泉に浸かりながらも悶々としていた。その悶々は2つの案件で、ひとつはこれから展開するでろうあれについて。もうひとつは拓真の不可思議な発言だった。大学時代の読書サークルの件だ。
(拓真と会っていたら絶対、絶対、分かる!)
緑鮮やかな郊外に建つ、北國経済大学と北國学園は駐車場を境(さかい)に隣接していた。その為、学生同士が交流する機会は多かった。
(学園祭だって、一緒だった)
読書サークルもその例に漏れず、所属人数が少ない北國経済大学と北國学園の2つのサークルは、学園祭の催し物を設営する際、互いに協力し合った。
(サークルに入る時は自己紹介だってする)
何より、高梨拓真は小鳥の理想の男性だった。背もそこそこ高く見栄えが良かった。そして一見、寡黙で無愛想だが、気を許した相手には蕩(とろ)ける様な笑顔で接して来る。それはまるで仔犬の様で、小鳥はその差異(さい)に心奪われた。拓真の姿を見逃す訳はなかった。
ただ、小鳥に関しては化粧っ気もなく着ている服も冴えなかった。拓真にとっては視界の端にも入らなかった感は否めない。
「ちょっと小鳥ちゃん!?」
脱衣所から突然声を掛けられた小鳥は慌てて胸を隠した。
「な、なに!」
「もう1時間も入ってるよ!溺れてないよね!」
「溺れてない!」
「のぼせちゃうからもう上がっておいで、僕は見ないから!」
「は、は〜い」
確かに頭の芯が真っ白で、前の拓真と今の拓真が回転木馬状態だった。小鳥はややふらつく足で脱衣所で下着を身に付けた。赤く色付いた肌に白いナイトブラが映え、それをペールブルーの浴衣で覆(おお)った。
「ごめ〜ん、長湯しちゃった。拓真、どうぞ」
「小鳥ちゃん、顔、あぁ、腕も真っ赤じゃない。湯あたりするよ?」
「湯あたりってなに?」
「頭痛や吐き気、大丈夫?」
「あ、うん。大丈夫だと思う」
座敷テーブルの上には人肌の温(ぬる)いミネラルウォーターとグラスが準備されていた。ペットボトルを手にした小鳥は不思議そうな顔をした。
「なんで温(ぬる)いの?」
「冷たいとお腹がびっくりしちゃうからね」
「拓真、完璧すぎる」
「そう?」
「うん」
拓真は呆れ果てた顔でテーブルに肘を突いた。
「小鳥ちゃんは、思い付きで行動しすぎです」
「そうかな」
「そうだよ」
ふと小鳥が振り向くと、ベッドルームには間接照明が灯り薄暗かった。小鳥の心臓は跳ね上がり、落ち着かなかった。仄かな明かりに浮かび上がるダブルサイズのツインベッド。
「た、拓真は温泉に入らないの?」
「明日の朝に入るよ」
「あ、朝」
「うん」
思わず唾を飲み込んだ。
(朝が来る前には夜、夜、まさに今!)
「小鳥ちゃん、歯、磨いた?」
「まだ、です」
「なんで敬語なの、じゃあ磨いておいでよ。僕、もう寝るから」
(ね、寝る・・・・・・・!)
小鳥はいつもより丁寧に歯を磨き、マウスウォッシュで3回うがいをした。冷たい水で顔の火照(ほて)りを沈めようとしたがそれは無駄な行為だった。洗面所から出ると和室のシーリングライトは消え、ベッドに横になった拓真の影が見えた。
「小鳥ちゃん、左側のベッドで良かった?」
「う、うん。どっちでもいい」
息を吸って深く吐いた小鳥は、ベッドルームの低い段差に躓(つまず)きベッドに倒れ込んだ。驚いた拓真が「大丈夫!?」と半身を起こしたので小鳥は「へへへ」と頭を掻(か)いた。
「お、お邪魔しま〜す」
「どうぞ」
掛け布団を捲(めく)ってベッドに潜り込んだ小鳥は天井を見、胸の前で握り拳を作った。その緊張感が隣に伝わったのだろう、拓真が手を伸ばして小鳥の拳を握った。
ぎしっ
ベッドのスプリング音に小鳥は目をきつく瞑(つむ)った。上半身に伸し掛かった拓真は小鳥の頬に、首筋に口付けの雨を降らせ、胸元の谷間に顔を埋めた。熱い唇が這い上がる。
「ひゃっつ!」
「はい、ここでお終(しま)い」
「え、なに、え!?」
「今夜はこのまま寝よう」
「え、どうして?私が緊張したから!?」
「僕はこうして小鳥ちゃんと眠れるだけで良いよ」
「眠れるだけって」
優しい目が小鳥を見下ろしていた。
「手は繋(つな)いでいい?」
「いいよ」
「寝言と歯軋(はぎし)りは許してね」
「あっ、私、寝相悪いから、蹴ったらごめんね」
「寝相悪いの?」
「うん」
「小鳥ちゃんらしいね」
小鳥が枕の下を弄(まさぐ)ってみたが、ゴム製のあれは消えていた。それに気付いた拓真は失笑した。
「ちゃんと片付けたよ」
「お財布の中に?」
「気が付いてたの!?」
「インターチェンジの料金所で」
「ああ〜・・・・それで。なんだか様子がおかしいと思ってたんだ」
「ごめん、ちょっとびっくりして」
「ごめん、そんな気は」
「あったでしょ〜?」
「ごめん、ありました」
奥手で優しい拓真は前の拓真と同じ様に小鳥を気遣った。2人が結ばれる日は前の人生と同じく、2023年12月24日なのかもしれない。
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