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「怖いか」
でもそんな状況の中、突然そう声をかけられて。
聞き覚えのあるその声に目を向けると、院内にいるはずの諒太が何故か隣に立っていた。
「今からさらに三台、こっちに救急車が向かってるらしい」
「えっ……」
「大丈夫か?」
何も答えられないまま立ち尽くしていた私の手を、諒太はそっと掴んできた。
そして周囲が慌ただしく動き回るその場所から少し距離をとるように端の方に連れていかれると、うつむく私の顔を覗き込んで言った。
「大丈夫って、大丈夫なわけないよな。こんな状況、初めてだろうし普通は焦るしビビる。でもな」
そう言いかけて、何故か言葉が止まった。
震える手をぎゅっと握りしめた私は、思わず顔を上げた。
その瞬間、繋がった視線。
「怖いとは思うな」
力強い瞳だった。
その瞳から目をそらせなかったのを、今でもよく覚えている。
四人で食事に行った以降、彼への見方が変わっていたのは確かで。
毎日病院で顔を合わせれば何気ない話をしたり。いつものふざけた言葉に笑ったり、怒ったり。多分、そんな頃だった。
「怖いのは、俺たちよりも患者の方だ。運ばれてくる患者達の方が何倍も怖いし、痛い思いをして辛い。わかるな?」
「…はい」
「逃げたいか?」
やらなきゃいけないことは、ちゃんとわかっていた。
怖くても、そこから逃げ出したいなんてことは、思っていなかった。
病院のスタッフが一丸となって戦っている今、仕事を投げ出すわけにはいかないことくらいわかっていた。
「…逃げません」
「そう言うと思ってた。わかってるよ、逃げるようなやつじゃないって。ちょっと動揺してるだけだよな。まぁ、俺と話してちょっとは冷静になれただろ」
「どういう意味ですか?」
「落ち着いただろ、俺の顔を見たら」
「……」
「今日は長い残業になるぞ」
「はい…」
私がそう言って頷くと、諒太は優しく目を細めて笑い、すぐに病院の中に消えていった。
そして気付けば落ち着きを取り戻せていた私もまた、任された仕事に戻ることができた。
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