亡国の賢者

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亡国の賢者

 それは、魔女狩りによって混乱の世となった大昔のこと。  その孤児は、鼓膜を揺らす女性の声に聞き惚れていた。 「そこの死にぞこない。まだ息をしているか」  蜂に刺された顔は腫れ上がり、視界はぼやけ、体中擦り傷やあざだらけ。そんな虫の息と化していた孤児は、痛みすら感じぬまま、緩やかな死に包まれていた。  そんな時、頭上から暖かな柔い声が話しかけた。孤児はぼやける思考の中、その美しい温かな声に、きっと聖母に違いないと涙を流す。 「ひどいものよな……人間も、世界も」  温かな死を待つ中、女が何かを呟く。  なんだろう、と孤児が考える間もなく、管のようなものが幾重にもなって包み込む。細やかな鱗が肌を優しく撫で、傷つけぬように巻き付くそれ。少し冷たいが、心地よかった。 「お前、目が見えないんだろう」 「ならばそのまま、私を見ないほうがいい」 「私が、お前の主となろう」 「この恩、忘れるなよ」  孤児は意味を理解しきれなかったが、この美しい声の持ち主になら何をされても構わないと思いながら、聖母のような人の腕に揺られていた。 「さあ、私の弟子になるんだ。まずはその汚い身体をどうにかしてしまおう」  女はどこかに孤児を連れ帰ると、魔法でも使っているのか、瞬く間に傷を癒し、食事を与えられ、寝具で寝かしつけてくれた。 「お眠り、坊や。私は暇ではないのよ」  そう言って頭を撫でる手は、感じたことのない優しさで温かかった。     ◇  女は「魔女」と名乗った。  森の奥に潜み、魔女を恐れ、嫌う人間達から隠れて生きているのだと。 「弟子よ、お前に禁じるのはただ一つ。その包帯を取ってはならないことだ。何があろうと、それを取ることは許さない」  痛みが引き、腫れも痣も治ったが、目の周りに巻かれた包帯は取ることは許されなかった。厳しく言いつける魔女は、どうしてか顔を見られることをひどく嫌うのだ。 「お師様。言われていた薬草を持ってまいりました」  時が経ち、孤児は魔女の弟子として勉学に励み、料理を覚え、顔も覚えぬまま死んだ母に重ねながら、少年へと成長した。  使えぬ視界にも慣れた少年は、匂いや音、微弱ながら魔法を使って日々を暮らしていた。 「お師様。見てください! お師様が懸念されていたので、取ってみました!」  少年は魔女に心酔していた。顔を見られることを嫌う魔女のためなら、眼球を抉り取ってしまうほどに。  抉り取った眼球を魔女に捧げ、痛みも感じないかのような満面の笑みで師に報告する少年に、魔女は涙を流した。光すら感じなくなった少年は、その涙を喜びの涙と思い、より一層笑みを深めるのだ。 「弟子よ。こちらにおいで」  眼球を捧げ青年となった弟子は、師より贈り物を渡された。  それは、魔女の両目だった。  窪みとなった青年の目の部分にそれをはめ込むと、すぐさま包帯を巻かれてしまう。 「いいかい、よくお聞き。我が弟子よ」 「私がとっていいと言うまで、その包帯をとってはいけないよ」 「私の眼は特別製だ。大事にするといい」  青年は心からの喜びを魔女に告げた。昔から変わらず撫でる彼女の手に頬を染め、二度と包帯を取るものかと誓う。  いつからか、人間たちの魔女狩りが本格的なものとなっていく。  魔女は忌み嫌うもの。人を惑わし、ヒトの理解を超える力を使い、人間に恐怖を与える存在。  ある昼下がり、森で薬草を探していた二人は騎士団につかまり、王の御前に連れられた。 「我が師にこのような行為、許されると思うなよ! 人間!」  青年は激怒し、息を荒げて暴れた。数人の頑強な騎士に抑えられながらも、まるで獣のように唸る青年。  そこに一人の騎士が、青年を魔女の手下としてここで切り捨てるべきだと吠えた。剣を構え、青年の首を斬り落とそうとしたその時、魔女の凛とした声が響いた。 「その人間は私の弟子じゃないよ」 「その包帯、私に魅了される呪い(まじない)がかけられていてね」 「それを取れば、その者の正気も戻るだろうさ」  普段と変わらぬ魔女の様子に、青年は唖然とした。  なにを言うのです、師よ。  わたしは、自らアナタに使えているのです。  これがマガイモノなどと、何故そのようなことを仰るのですか。    青年はそう叫ぶが、魔女は構わず続ける。 「斬り捨てるなら、私の首を斬るがいい」 「石にできぬメデューサの首なんざ、価値も少ないだろうが」 「ただの人間の首よりは高値になろう」  魔女の言葉に青年は動揺し、なりふり構わない支離滅裂な言葉運びで、師の首を斬るなら己の首も切ってくれ、と懇願した。 「やめておけ。その者の首に価値はない」  青年の言葉も虚しく、ドチャリと何かの塊が斬られ、鈍く落ちる音がした。 「……お師、さま?」  状況を考えることもできず、聴き馴染みのない鼓膜の揺れに困惑する青年。抑えつけていた騎士たちが、哀れな子に解放を与えねばと言って、目を覆っていた包帯を取り上げる。  人生の大半を暗闇で過ごした青年の視界に入り込むのは、眩い慣れぬ世界の光と、一人の女の頭。 「あ、ぁあ……」  青年と同じように目元を包帯に覆われた女性の頭は、髪となる幾匹もの蛇が生えている。その頭に繋がる幾匹の蛇が、こちらを優しげに見つめ、舌を鳴らしていた。 「お師様……」  言い表す言葉を知らぬ青年は、ただそれを美しいと思った。  女の首から流れる血が、青年に向かって緩やかに川を作る。まるで、迷子のようにうわ言を吐く弟子を慰めようと、手を伸ばすように。  いつの間にか解かれた拘束を地に落とし、青年はゆっくりと女の生首に這い寄る。  ちろちろと舌を揺らす蛇を優しく撫で、傷つけぬよう、慎重にその包帯を巻き取っていく。 「お師様。我が主よ」  初めて見た、微笑みを浮かべるそれを顔まで持ち上げる。力なく青年に頬擦りする蛇達の冷たい鱗が、懐かしい思い出を呼び起こした。 「嗚呼、師よ」 「貴女はやはり、この世の何よりも御美しい」  閉じられた瞼に青年も瞼を合わせ、静かに呟く。 「嗚呼、母よ」 「貴女はやはり、この世の誰よりも温かい」  首から流れる彼女の血が、青年の腕を伝う。瞳を閉じて感じる彼女の血は、変わらず温かい。 「嗚呼、偉大なる魔女よ」 「今こそ。そう、今こそ」  恍惚とした青年は、師の頭を胸元に優しく包み込む。  青年を包み返すように、緩やかに伸びる蛇達に笑みを浮かべて、再び瞼を開いた。 「あの時の御恩、お返しせねば」  金色に鈍く光るその眼差しは、玉座に座す王に向けられた。  視界が絡み合った瞬間、王から乾いた音が鳴る。 「感謝申し上げます、国王陛下」 「貴方のおかげで、私は、愛する人へ恩返しができる」  一人の騎士が剣を抜き、青年の心臓めがけて突き刺した。青年はよけもせず、ただその剣を受け入れ、微笑んだ。  口から、胸から流れる大量の血が、真下の魔女の血と混ざりあい、鮮やかに光を反射する。  賢者は術で炎を生み出し、青年の邪眼に向けて放つ。肉の焼ける音と臭いが辺りに漂う。 「邪悪なる眼は封じた。これで石化もできぬ」 「さあ、ケダモノへと堕ちた男に解放を」 「王の仇を」 「魔女の呪いを根絶せよ」  賢者が高らかに叫び、杖を掲げた。騎士たちは剣を抜き、青年目がけて四方から突き立てる。  しばらくすると、最初に心臓を貫いた騎士がパキッと音と共に動かなくなった。王と同じ、乾いた音だ。  一人、また一人と次々に石化していく。 「何故だ。確かに貴様の眼を焼いたはず!」  賢者は慌てふためき、冷や汗を流した。  不意に、青年と石化した騎士たちの周りに小さな塊がいくつか浮いているのが見えた。よく見てみると、それは魔女と青年の混じった血の塊でできた、眼球であった。 「馬鹿なッ!?このような術が、存在するはずがない!」 「貴様!一体、何者だ!?」  焼け爛れ、串刺しにされた男は、まだ残る口元を微笑ませて答えた。 「何者とは…大それた者ではございませんとも」 「私はただの」 「美しくも偉大なる魔女の弟子ですよ」  青年の声が頭に響くような感覚の後、賢者の視界に、いくつもの眼球がのぞいた。  狭まる視界の奥で、賢者は、怪物を見た。     ◇ 「全く……あの国の王も気味が悪いわね」  ある国の書斎で、書類を見つめる女がつぶやいた。 「今は亡き、名の知れぬ国に住み着く怪物王、ね」  机に広がる書類の束を睨みつける。そのどれもが、とある国との間で結ばれた条約のモノだ。 「正確に言うと、王は彼ではなく別の人物であり、彼の役職もあくまで賢者。それに、仮にも貿易関係となる方なのですから、怪物呼ばわりは国際問題になりかねますよ」  紅茶を注ぎ入れる侍女が女を嗜め、朗らかな笑みを浮かべて補足する。置かれた紅茶を持ち上げ、静かに啜る女は訝しげに呟く。 「賢者、ねぇ……人の真似事をして服を纏う成り損ないが、賢者なんて大それたことを名乗るなんて……」  世も末だわ、とため息を交えて吐き捨てる。 「しかも、あの怪物が信仰してるのがあんな趣味の悪いオブジェなのもさらに気味悪いわ」 「まぁ、そればかりはその国の歴史でしょうし。仕方ないかと」 「だとしても、アレって確かメデューサの生首よね? 大昔に滅んだバケモノが国の主で、しかも信仰の対象だなんて。イカレ通り越して悪魔の手先か何かでしょ」  女の言葉に苦笑いを溢す侍女を無視して、女は曇天が広がる窓を睨みつけた。その方角には、くだんの怪物の住み着く亡国がある。  賢者は、今日も玉座に座す彼女に祈りを捧げていた。小鳥のさえずりと、暖かな日差しが窓から流れている。 「母よ。今日は穏やかな太陽の恵みが照らす、晴れやかな朝となりました。これも、母なる慈愛がお与えになられたのでしょう」  焼け爛れた顔の怪物は、蛇にしては穏やかな笑みを浮かべ、口上を述べる。  穢れを知らぬ白の装束に身を包み、緩やかに町へと進む。日課である、石となった民達を清めに出かけたのだ。  今日もこの国は、静寂に包まれている。
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