浦島太郎の亀

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 竜宮城で、浦島太郎様が人間界へ帰ると聞いて乙姫様は、布団でうつ伏せになり一人、泣いておりました。  やはり豪華絢爛(ごうかけんらん)の竜宮城でも、浦島太郎様の心をつなぎ止めておけない様に、彼女の心も竜宮城だけでは、癒せない寂しさがあった事を改めて知りました。  彼女は、きっと浦島太郎様が行ってしまうのなら、彼女も懐かしい彼女を育てた陸上へと帰りたかった事でしょう。しかしそれは出来ない相談でした。  彼女が居るから竜宮城がある様に、竜宮城があるからこそこの辺りの海が成り立っていられる。そういうところまで、彼女の神格はいつの間にか上がってしまっていたのです。 「乙姫様……」 「亀ちゃん……一週間位姿が、みえなかったけれどどうしたの?」  乙姫様の言葉を聞き、私は息が止まりそうになりました。私が、外で過ごした時間はゆうに何百年も超える歳月でした。初めから、時間の感覚の違いは感じていました。でも、予想を上回る誤差に私は焦りを覚えました。  でも、今なら僅かな誤差で浦島太郎様が、居た時代によく似た世界へ、彼を返してあげられるのでは? と、思いました。そこで私はある事について悩みます。  今となってはもう諸行無常と言う言葉で、私は語りつくしてしまえるのですが……。  私より年下になってしまった、乙姫様、浦島太郎様、お若いお二人には、とっては私の知っている事実は重しにしかならないのでは? と、頭に浮かびました。  私の予想通りといいますか……御若い乙姫様は、浦島太郎様と別れたくないばかりに――。 「知らない村や、変わってしまった年号について、途方にくれた浦島太郎様きっと私のもとへ帰ってくださいます」  そう確信を持っていたようで、「お願い亀ちゃん、浦島太郎様には、本当の事は言わないで……。すべてを知ったらきっと、優しいあの方の心は壊れてしまいます」  またもや涙ながらに、話す事を止められました。  御若い乙姫様、いつまでたっても初々しく、そしてお美しい。  しかし月日を越えた事で、神童だった亀は変わってしまったかもしれません。  ――うん……。そういうものか……。私は、そう思ってしまいました。  私もその後、浦島太郎様の御気持ちになって考えて見ました。  浦島太郎様にとって大事な事は、大切な御家族や御仲間のもとへ帰る事で、彼の哀しみはきっと彼らのもとへ永遠に帰れなくなった事でしょう……。  きっと世界が海に沈んだ事実は、私が乙姫様の故郷の結末を知った程度の心の痛みでしかない様に思えます。  それなら話してしまうより、曖昧なまま竜宮城へ戻って来るのが彼の為だと思ったのです。 「人生とは往々にして上手くいないものだ。後悔をするのではなく、私との出会いを大切にするのはどうだ?」  僧侶様のおっしゃった言葉を少しお借りして、私との出会いが彼の命を取り留めた。それならこれまで通り、亀の私は、浦島太郎様を生かすため生きていくのもいいかもしれない。それが私の罰なら喜んで受けようと思いました。  次の日、私を見た浦島太郎様は言いました。 「今、一度故郷の村に帰りたい。亀、乗せて行ってくれるか」 「お連れします」  私は嘘を着いたが、後悔はなかったです。  乙姫様に惜しまれ、彼は玉手箱を持って帰る。その中身は、なんだろう……。気になりはしたが、すぐ彼を竜宮城へと連れかえれば何の問題もない。  私の背に乗っている彼は、饒舌で竜宮城の思い出話をいろいろ話してくれます。乙姫様の事、魚の舞踊りの事、どれも楽し気で私がその場に居なかった事を悔やまれました。  でも、村に着く前に、「亀は何故、しばらく顔を見せなかったのだ? 心配していたのに……。村の子どもが、こさえた傷がいたんだりしたのか?」彼は、そう言ってくれました。  私にはそれだけで十分だった。私の今までの人生を彼にかけたが、その一言で、またもや報われた気持ちでした。  でも、もう泣く事はなかった。これから私の本当の勝負が始まる。嘘で浦島太郎様を騙すのは決して許される事ではない。知っている。知って私は嘘をつく。  そして私達は彼の居た村に、似ている村につきました。  ここからは、何百年と語られた悲劇。誰でも知っている昔話の結末になります。  しかし私の口から語るものではありません。私は、彼を裏切り続け、そして最後の嘘を言う事を、許されなかった愚かな亀。決して私は神に選ばれてなど居なかったのだ。  村の名前が、何故、彼の居た村の名前になってしまっていたのか、そして年号までが、彼の居た時代を再現してしまったのか?  あの私を勇気づけてくれた僧侶が関わっているのだろうか? それともこの地に、彼と同じ肌の色や言葉を持った人々が再現された様に、歴史自体も再現されてしまったのか? それともただの漁師であった彼の感違いがうんだ悲劇なのか? それは今となってはどうでもいい……。  玉手箱は、彼を鶴に変えました。別の話では、彼は老人になっているそうですが……。私は、乙姫様を含め生き残ってしまった者には、意味があるのだと考えます。乙姫様が、海を成り立たせる(くさび)なら、陸へと帰った彼は人間のままなら陸の楔へと変貌をとげてしまったかもしれません。  でも、その苦しみ、その虚しさを彼女だけが知っているのです。  だから彼女は大陸、無数の命より、彼を死によって、もしくは変貌から来る安らぎ送ったのではないだろうか?  私はそう考えました。  ……しかし彼女の企み、願いは成就(じょうじゅ)しない。  私はそう思っております。彼はある日、ふたたび地上へ現れ、そして何かになるのです。  世界がそう望んでいる事に、彼女だけの力ではきっと太刀打ち出来ないでしょう……。私は、もともと自然の一部ですが、長い年月を経て強く感じるのです。自然が、この小さな島国が望んでいるのは彼だと。  ただ、残った私の役目は浦島太郎様が、舞い降りた時に彼のそばに居る事。そして彼が望む場所に、どこでもお連れする事。それまでは、子ども達から隠れてここで待っている。  そのために、私の長き寿命があるのだから……。今もう普通の亀。また、戻って来たらお話をしましょう。浦島太郎様。                 おわり
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