時をかける日記帳

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「ただいま」  帰宅するなり彼は目を丸くした。 「すごいご馳走。今日何かあったっけ?」  下手なりに一生懸命作った料理達をテーブルに並べ、私達は向かい合って乾杯する。 「美味しいよ」  味が濃いはずの煮物を美味しそうに食べる祥悟を見て、涙が出そうになるのを堪えた。  彼が私の料理を食べてくれるのはこれで最後。  目に焼きつけるようにじっと見つめて、目が合う度に微笑む。 「祥悟、あのね」  心が軋む音が、聞こえない振りをした。  真っ直ぐに彼を見つめ、精一杯の笑顔を浮かべる。 「ごめん。やっぱり離婚して」  祥悟は呆然と固まって、笑顔を失う。 「どうしても好きな人が忘れられない」  どうか彼が、最低な私を大嫌いになりますように。それだけが希望だった。  膝の上で拳を握り締め、震えないように身体中に力を込める。 「……嫌だ」  だけど彼の返事を聞いた瞬間、驚いて全身の力が抜けていくのだった。 「絶対離婚しない」 「祥悟……」  どうして? 一度は承諾してくれたのに。 「最初は、それでみのりが幸せになるならって諦めた。でももう一度やり直すうちに、どうしても俺が幸せにしたいって思ったんだ」  彼の柔らかな笑みが私を包み込むように、心に纏った鎧を崩壊させていく。 「何があってもみのりのことを愛してる。また俺に気持ちが向くように努力するから」  溢れる涙を抑えきれず、ひたすら子供のように泣いていた。 「これからも、二人で生きていこう?」  そんな言葉が世界一残酷に響き、だけど私を世界一の幸せ者にした。 「……私、病気なのっ……! 記憶が、……どんどん……なくなって」  いつしか彼の瞳からも涙が流れ、私達は抱き締めあって泣いていた。 「もうすぐ……全部……忘れちゃう」 「大丈夫だよ」 「祥悟が……不幸にっ」 「ならないよ」    祥悟は私を諭すように、ずっと背中を優しく撫でてくれる。 「忘れたっていい。毎日、一から始めればいい」  そう笑う祥悟の顔は、新入生の案内をしてくれた先輩の笑顔そのものだった。 「……先輩、ずっと好きでした」 「俺も好きだよ」 「日記に全部書いてある」 「俺にも読ませてくれる?」  明日、祥悟を誘って、二人でノートを買いに行きたい。  できれば白い合皮のカバーの、小さな日記帳。  忘れても忘れても、消えていかないように。  次の一冊に、丁寧に記していこう。  二人で生みだした煌めきを、そっと大切に保管するように。         【おしまい】  
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