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机の近くにある小窓をほんの少し開けた途端、心地良い夜の空気が部屋に入り、私をうっとりとした気持ちにさせた。
お気に入りの白一色で塗装された机の席に着いて、一番上の引き出しの鍵を開け、中から一冊のノートを取り出す。
白色の合皮カバーがかけられたB6サイズの日記帳。今日のページを開き、ゆっくりとシャーペンを滑らせた。
外からは鈴虫の鳴き声が聞こえ、ドアの向こう側からは母達が観ているバラエティ番組の笑い声が微かに響いている。
妙なミックスの中、それでも私の部屋は美しい静寂に包まれていた。
日記を書くことに没頭している時間だけは、まるで私の周りだけ薄い膜が張られたように守られて、その中で私はたった一人の世界を味わうことができる。
とびきり幸福で、心ときめくひとときだ。
日記の内容は、特別どうということもない、ささやかなものだった。
買ったばかりのリップ、可愛い色でテンション上がった。小森先生の顔芸、じわじわ面白い。帰りに食べた苺のドーナツ美味しかった。美容院行く日を忘れないように。
とりとめなくすらすらと、今日起きた煌めきを保管するように書き留める。
最後に、早川先輩について丁寧に記し始めた。
今日、先輩と一度だけ目が合った。体育館に移動している時の、ほんの一瞬の出来事。
渡り廊下ですれ違った時、我慢できずに振り返ると、彼もこちらに振り向いていた。
偶然目が合っただけで歓びに震えてしまうほど、私は先輩に恋している。
高校入学の時、新入生に校内を案内してくれたのが早川先輩だった。彼の理知的な眼差しと穏やかな微笑みを見た瞬間、一目で恋に落ちた。
途中で同じ中学出身の男子にそそのかされ、一人だけ間違えて別の教室に入ってしまい、皆とはぐれた時も真っ先に見つけてくれたのが先輩だった。
精一杯お礼を伝える私に、優しく目を細めてくれた彼。
それ以来接点はないけれど、先輩の真似をしてテニス部に入ったり、バレンタインには他の女子に混ざってチョコを贈ったりと、片想いは続いている。
『早川先輩と付き合えますように』
最後の一文は、いつも決まっている。
満足し日記を閉じると、また引き出しに戻して鍵をかける。
窓を閉めてベッドにもぐりこみ、目を閉じて先輩を思い浮かべた。
明日、一度でも言葉を交わせたらいいな。
そんな淡い期待を胸に抱いて、少しずつ眠りの世界に誘われる。
暖かなとろんとした空気が、ゆったりと部屋中に広がっていった。
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