十月緋色奇譚

3/14
前へ
/14ページ
次へ
「あ……ああ、なんだ」クソの対象は、どうやら自分じゃない。息をついて、拓馬はことばを続けた。「……黙って置いてく? よく、あるんですか?」 「滅多にないよ。でも、たまーに、ある」オジサンは困り顔になった。「自作の詩だか小説だか絵本だかを勝手に置いてく奴が。『誰かに読んでもらえればいいの』ってな。一言、言ってくれりゃいいのに。こいつの代金はいらん。ただでやるよ」  オジサンはそう言うと、本を紙袋に詰め始めた。  そういう本なら要りません、と言うタイミングを失って、拓馬は袋の縁がセロテープで留まるのをぼんやりと眺めた。  なんだ。期待外れの可能性大だ。明日はちょうど燃えるゴミの日だ。書いた人には悪いけど。  オジサンはスーツ姿の拓馬をちら、と見た。 「仕事は順調か?」 「まあまあ、です」 「本、読む時間もないだろ?」 「ですね。積読ばっかりで」 「それでもいいさ。いつか読もう、そう思うだけでもさ」オジサンは口元を緩めた。  また来ます、と店を出ると、背後でシャッターを閉める音がした。前に、閉店時間を尋ねたら「暗くなるまで」と返ってきた記憶がある。十月の七時は、もう夜だ。  定年まで数十年あるけれど、余生こういう古本屋を営むのもいい。儲けは抜きで。最後の客が帰ったら、店舗二階の自分の部屋で、静かに昔の本を読む。
/14ページ

最初のコメントを投稿しよう!

4人が本棚に入れています
本棚に追加