十月緋色奇譚

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 今読んだ一文が、細い書体で頭に浮かび上がる。  ――小林拓馬。彼は1996年4月13日、Y県T市で生まれました。  おれだ。おれの名前と生年月日と、生まれた街だ。  拓馬はしばらく緋色の表紙を見つめた。この本はおれについて書かれた本、なのか。  呼吸を整え、ふたたび本を開く。    ――小林拓馬。彼は1996年4月13日、Y県T市で生まれました。  一ページにたった一行。短い詩の一編のように、それだけが書いてある。狐につままれたような面持ちで、拓馬は次のページをめくった。  ――九か月目、ベビーベッドから固い床に落ちて額を三針縫いました。  拓馬は額の、消えかけた傷をさすった。額の傷のことなんて、誰にも話したことがない。おれ自身、小さいころ母親から聞かされたきり、今この瞬間まで忘れていた。  誰かが仕掛けたドッキリだろうか。その誰かは、わざわざおれのおふくろのところへ「取材」に行ったのか。そして、丁寧に本にしてオジサンの古本屋へ置いたってことか。――日菜子か――いや、日菜子はあの古本屋を知らない。まさか、オジサン――あり得ない。  読み進めていけば、どこかにタネ明しがあるのかも。  拓馬は自分の記憶の糸を手繰りよせながら、一ページごとに現れ消えていく過去を読み始めた。    十歳。小学校の遠足のバスで酔って吐いて、そのあとの遊園地がまったく楽しめなかったところまで読んで、拓馬はそのページに指を挟み、いったん本を閉じた。
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