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運命の赤い本
あれは小学校三年生の時でした。
三学期の終業式の日に、担任の先生から私たちへ、一冊の本が配られました。
学習ノート程の厚さの、赤い装丁の本。
その本の表紙には、金色の文字で『運命の赤い本』と書かれていました。
「せんせー、運命の赤い本って、何ですかー」
男子生徒の一人が、手を挙げて質問しました。
担任の先生━━A先生は、ニッコリと笑い、
「運命の赤い本っていうのはね、これからアナタたちがどんな人生を送るのかが書かれている本なのよ」
と、言いました。
教室中が、ざわざわと騒ぎ始めました。
「うっそだー」「それ、本当なんですか」「信じらんない」「嘘に決まってるよ」「でも、先生が言ってるんだよ」「嘘嘘。絶対、嘘だよ」
A先生が、パンパンと手を叩きます。
すると、みんなのお喋りが一斉にピタリとやみました。みんなを静かにさせたい時、A先生はいつもそうやって手を叩いていました。
「静かに。先生は嘘なんてつきませんよ。この運命の赤い本にはね、本当にみなさんの運命が書かれているのです。それを今から証明して見せましょう。・・・ではみなさん。今から先生が三つ数えるので、ゼロと言ったら一斉に本を開いてくださいね」
はーい、とクラス全員が手を挙げて返事をしました。
A先生は指を三本立てると、
「それじゃあいきますよ。3・2・1・・ゼロ」
と、言いました。
私を含め、みんなが一斉に本を開きました。期待に目を輝かせながら本を見やると、そこには━━
『聖也を殺せ』
と、書かれていました。
私は、ポカンと口を開け、その文字を見つめました。聖也という名前のクラスメイトはおらず、また、心当たりもありませんでした。
私は隣の席のみっちゃんに、困惑した目を向けました。みっちゃんも、同じような表情で私を見ていました。恐らく、クラス全員がこう思っていたでしょう。
━━━これ、何?
「・・・あの、先生。これ、いったい何なんですか?」
学級委員長の青木さんが、恐る恐る手を挙げ、
「私たちが一分後に死ぬって、どう言うことですか?」
と、言いました。
それを聞いて、私はえっ!と声を上げてしまいました。みっちゃんの本を覗き込みます。そこには━━
『お前たちは一分後に全員死ぬ』
と、書かれていたのです。
「あら?」
A先生が、落とし物を見つけたような声で言いました。
顔を上げると、A先生は不思議な笑みを浮かべて、私のことを見ていました。
「どうやら、※※さんが『当たり』を引いたようですね。おめでとう」
A先生は不思議な笑みを浮かべたまま、パチパチと拍手しました。
私は、先生の言っていることの意味がまるで分からず、ただ黙っていることしか出来ませんでした。
しん、となった教室に、先生の拍手の乾いた音が不気味に響いていました。
「・・・さて」
拍手が終わると、A先生は教壇の両端に手をかけ、上半身をぐいと前方に突き出しました。
「・・・ひっ!」
前の席に座っていた園田さんが、短い悲鳴を上げて仰け反りました。
A先生は口の端を大きく吊り上げた狂った笑みを浮かべ、充血した目で私たちを見回していました。犬のように垂れた舌から、唾液が一筋、ぽとりと教壇に落ちます。恐怖のあまり、私たちは悲鳴をあげることすら出来なくなっていました。
ダンっ、と大きな音がしました。
A先生が、教壇に何かを叩きつけたのです。
それは、クイズ番組に出て来る早押しボタンのような形をした何かでした。
A先生はそれに手を置くと、髪を振り乱しながらこう叫びました。
「いまからお前らは死ぬ! 私と一緒に死ぬ! それもこれも全部聖也のせいだ! 恨むんならあのクソ野郎を恨め! 私を恨むな! お前らが死ぬのは全部全部聖也が悪い! 分かったか!? 分かったら返事しろ、クソガキどもが!! 死ね死ね死ね死ね! 全員死ね!! ああああああああッ!!!」
A先生は意味不明なことを一気に捲し立てると、獣のような咆哮を上げました。
そして、天高く拳を振り上げると━━
「お前ら私について来い!! リフトオフッ!!」
と、更に意味不明なことを叫び、腕を振り下ろしました。
微かに、かちり、という音が聞こえた気がしました。
次の瞬間、目を焼くような真っ白な光が教室を包み込み、私は意識を失ったのです。
※
目を覚ますと、私は病院のベッドに寝かされていました。
身体中が焼けるように酷く痛みました。顔を含め、全身が包帯だらけで、何本ものチューブが点滴や機械に繋がれていました。
━━━いったい、何が起こったの?
その答えを知ったのは、随分後になってからでした。
爆弾を使った、A先生の無理心中。
犯人であるAを含め、クラスの生徒は、私以外の全員が亡くなりました。
Aが大人数を巻き込んだ自死を選んだ原因は、入れ込んでいたホストに切られたことでした。そのホストに相当な額を貢いでいたらしく、膨大な借金があったそうです。
━━━聖也。
それが、Aが入れ込んでいたホストの源氏名でした。
つまり、アナタのことです。
・・・はい。
私はアナタを殺すために、今こうして目の前に立っています。
何故か、ですって? そんなの、決まっているじゃないですか。
運命の赤い本に、『聖也を殺せ』と書かれていたからですよ。
私はあの事件以降、地獄を見ました。
全身に重度の火傷を負い、顔にも大きな跡が残りました。
ひきつれのせいで、身体も満足に動かせません。歩き方もぎこちなくなりました。
そのせいで、学校では酷くいじめられました。
私生活も地獄でしたよ。
私の治療費と整形費用のせいで家計は破産、両親は離婚し、父はどこかへ出て行きました。母とはもうかれこれ十年以上話をしていません。弟は不良になり、中学卒業と同時に私を殴りつけて家を飛び出して以来、今はどこで何をしているのかも分かりません。
家にはひっきりなしにマスコミが押し寄せ、まるで重罪人のような扱いを受けました。
そのせいで、近所のおばさんからは後ろ指を刺され、子供からは石を投げられました。変な人に後をつけられたことが何度もあります。
そして、新聞記者やら雑誌記者、何者か分からないルポライター気取りの変な奴らに、「お前にはただ一人の生き残りとして、この悲惨な事件を語り継ぐ責任がある」と意味の分からないことを言われ、インタビューを受けることを強要され続けました。
本当に地獄でしたよ。
何度死のうと思ったか分かりません。
けれど、私は耐えました。
何でだと思います?
私に課せられた『使命』を果たすためですよ。
『使命』とは、もちろん運命の赤い本の『通り』にすることです。
それが、私の『運命』ですから。
・・・はい?
待ってくれ? 待ってくれって、いったい何を待つんですか?
・・・はあ、自分も同じだったから、気持ちは分かる、ですか?
嘘をつくなよ、クソホストが。
お前は、Aのババアが事件を起こした後、すぐに東南アジアに高飛びしただろ?
勤め先のホストクラブからくすねた金と、囲いの女から騙し取った金で向こうで贅沢三昧してたのを私が知らないとでも思ったか?
金を使い果たしたのか、二十年も経ってほとぼりが冷めたと思ったのかは知らないけど、お前がのこのこ日本に帰って来るのを、私はずっと待っていたんだよ。
そして、これを見せてやりたかった。
この、運命の赤い本を。
見覚えあるでしょ? お前が客の女を口説く小道具に使っていた、あの気色の悪いノートだよ。
狙いをつけた女に「俺は口下手だから、こうして文章にしないと本当の思いを伝えられないんだ。だから、キミにだけこの特別なノートを渡すよ」とか嘯いて、何人もの女にこれを渡していたんですってね?
私はお前がホスト時代に客に渡してたノートの現物を見たことがあるけど、よくもまあ、あんな気色悪いラブレターもどきを平気で書けたものよね? そこらの中学生でも、もっとマシなものを書くわよ。
こんなのにコロッといくAのババアは相当の低脳だったんでしょうね。・・・まあ、低脳じゃないと、自分の生徒を爆弾で道連れにしようなんて考えないか。ましてやその際、憎くてたまらないはずの男が使っていた小道具を真似るとか・・。当てつけのつもりだったのか、未練があったのか━━どちらかは分からないし、心底どうだっていいけど。
Aが配った運命の赤い本は、爆発のせいでほとんどが燃えてしまった。でも、私が受け取った『当たり』だけは、何故か燃えずに残っていた。・・・ほら、見なさいよ。
聖也を殺せ、って書かれた次のページに、びっしりと文字が書かれているでしょ?
これ、何だか分かる?
今から、アナタが私にされることよ。
色々やらなくちゃいけないことはあるけど、まずはアナタの一番汚いものから取っちゃいましょうか? その後は細々と刻んで━━
・・・え? やめろって? 自分は関係ない、ですって?
関係はあるだろ、舐めてんのか。
誰のせいで私の人生こんなことになったと思ってる? ・・・Aのせいだって? 違う。
Aのせいでもあり、お前のせいでもあるんだよ。
お前だって本当は分かってるんだろ。だからもう黙ってろよ、クソホスト。何をどう言おうが、これが私とお前の『運命』なんだよ。
お前は私が殺す。
この本の通りに殺す。
これは、『運命』なんだから。
・・・え? 何?
その本はデタラメ、ですって?
そりゃそうよ。当たり前じゃない。
あんな女に預言者みたいな力なんてあるわけないじゃない。あるなら、お前みたいなカスに引っかかるわけがない。
だから、この本に書かれていることはすべてデタラメ。これは、あの頭のおかしな女が書いた、歪んだ妄想日記のようなものよ。
でもね、嘘から出た真実、って言葉があるでしょ?
私が『当たり』の本を引いたのも偶然。
私が生き残ったのも偶然。
本が燃えなかったのも偶然。
ものすごい偶然と偶然がいくつも重なり合って、これは文字通り、『運命』と呼ぶしかない何かになってしまったのよ。
現に、お前は私みたいな身体が不自由な女に拘束されている。普通、こんなに簡単にうまくいく訳がないじゃない? これが『運命』じゃなかったら、何だって言うの?
だから、もう諦めろ。
黙って受け入れろ。
これは、『運命』なんだから。
そういえばお前、昔ホストクラブで女に高いシャンパン入れて貰った時は、スピーチの最後に「お前ら俺について来い、リフトオフッ!!」ってバカ丸出しのコールかけてたんですってね?
それ、Aのババアが最後の瞬間に言ったのと同じ言葉じゃない。
てっきり頭おかしくなって訳分かんないこと口走っただけだと思ってたけど、ちゃんと元ネタあったのね。私はこれからアナタの身体を切り飛ばしていくけど、丁度いいから切る度にそれ言ってみましょうか? せーので鉈を振り下ろすから、飛んだ瞬間に「リフトオフッ!!」って言うのよ?
・・・いや?
いやじゃねぇよ、言えよ。言えっつってんだよ。ここを見ろ、書かれてんだろ、運命の赤い本に。書かれてんだろうが。だから言うんだよ。お前は言わなくちゃいけないんだよ。ごちゃごちゃぬかさずに言うんだよ━━
これは、『運命』なんだから。
<了>
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