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存在スポットライト |終点《ピリオド》
それから数日間は、清三郎を中心としたクラスメイトとの交流を楽しんだ。ずっと憧れていた、放課後に寄り道してからのファストフード店に行くという夢が叶った。
このころになると、徐々に親友という存在に慣れはじめ、戸惑いが減って自分という存在をちゃんと主張できるようになった。
ちなみに今日は初めてカラオケに行ったのだが、歌い出してすぐに、自分がオンチだというのに気づいて落胆した。ひょっとしたら不快にさせてしまったのかと思う。
しかしみんなは、そんなオレを楽しげに笑い飛ばしてくれて、しかも上手く歌えるようにコーチになってくれたのだ。それがなにより嬉しかった。
「そうくよくよする必要はないでござる。これからゆるりと精進していきましょうぞ。そのときはなんなりとお申しつけくだされ」
「そ、そうだよな。ありがとう!」
笑顔で手を振って別れる。もうそこに、ぎこちなさは微塵も含まれていなかった。清三郎たちが完全に見えなくなったあと、オレは力が抜けて、一気に表情筋が崩れる。
そうなったのには、単純に疲れた以外にも理由がある。実は今日、カラオケには春近さんも来るはずだったのだ。はずだったということは……つまりそうゆうことだ。
言っちゃ悪いが、カルアからもらったライトには致命的な欠点がある。それはどんなに毎日ライトを浴びたとしても、親友以上の関係にはなれないことだ。
要するに、あとは自分でなんとかしてくださいということなのだろう。だがおいそれと勇気を出して春近さんに近づけるほど、オレは図太い人間じゃない。悔しい。
「春近さんと、歌いたかったな……」
何気なく、すっかり暗くなってしまった空を見上げる。春近さんは今どこで、なにをしているのだろうかと想像する。そんなことを考えながら歩いていると、
「あっ……ここ、は……」
脇の下で、冷や汗が流れる感覚がした。なぜなら、自分がほんの一瞬でも想像した通りの場所に来てしまったからだ。
その場所とは、建物のほとんどがピンクや青色といった明かりが妖しく灯り、道行く人は全員大人びた男女ばかり。未成年であるオレが来るべきではないホテル街だ。
「長居すべきじゃないな……」
そう言って踵を返そうとしたそのとき、視界の端に見覚えのある顔が映り、オレはとっさに建物の陰に身を潜めた。
一瞬だったため、そっと頭だけを出し、改めて確認してみると……
「――ッ!!」
「……だから。……で、……ね」
「…………う。……とう」
遠目でぼんやりとしているが、間違えるはずがない。春近さんと……誰だ? 明らかに年上で、背が高くて、服からでもわかるほど筋肉質で、まるで俳優のような人。
耳には、大きな丸い形をした金色のイヤリング。オレはもう少し近づいて目を凝らす。春近さんは、今まで見てきたどの顔よりも幸せそうにだった。
「ねぇ、オレのこと好き?」
「好きじゃないと、こんなところまで一緒に来てないよ。それに今日は、あの日でしょ?」
「ん? あ、そうかそうか! ごめん忘れてた!」
「もう、敏郎はおっちょこちょいだな〜」
と、春近さんがショルダーバッグから取り出したのは――この前オレと一緒に買ったマフラーだった。色は灰色、そして雪の結晶のデザインは見間違えようがない。
敏郎――と呼んだ男のほっぺに、ツンと指で軽く突く。それに乗じて笑い合う二人。傍から見れば微笑ましく、仲睦まじいカップルにしか見えないだろう。
わかっていた、わかっていたのに……なんだろう? 今自分の心を満たしていっている、このどす黒く、糞尿をたんまり含んだように濁った水は?
まるで蠱毒のように、体中で百足や蜘蛛などの毒虫が暴れ回っているような感覚。気持ち悪い、気持ち悪い、気持ち悪い。
これが嫉妬ってやつか? だとしたらとんだ笑い話だ。
だいたい自分に、嫉妬する権利なんてあるのか? あるわけないだろ。
今まで芸術品のように春近さんを眺めていただけの分際で、オレは、オレは、オレは……
「――ッ!!」
「ねぇ……今からさ、……しない?」
「…………」
年上の男は耳打ちでなにかを囁いたあと、春近さんは頬を赤らめる。こくりと静かに頷いた直後、年上の男は建物を指さす。その先は……有性生殖繁殖所だった。
いやな想像が頭を埋め尽くす。まさか、いや、そんな、と否定したいと思う自分の意見と、今聞いた言葉から、最悪の未来が起こると意見がぶつかり合っている。
「あ、ああ、あ……」
膝から崩れ落ちそうなのをなんとかこらえる。二人は恋人繋ぎで、同じ歩幅有性生殖繁殖所の門をくぐっていった。ウィーンと自動ドアが開き、姿が見えなくなる。
それからのことはよく覚えていない。気づけばオレは家に帰っていて、なんだが帰りが遅いのを親にこっぴどく叱られたような気がするが、真実はどうだったかわからん。
「……………………」
ふとライトが目に入る。レベル1を浴びてみる。浴びてみる。浴びてみる。春近さんと年上の男が思い浮かぶ。幸せそうな顔、頬を赤らめた顔、すべて、アイツのもの。
自分の存在感がたりなかったから、もっと自分の存在感があれば、春近さんはオレを無視できなくて、あんなふしだらで破廉恥な不純異性交遊はなくせたかもしれない。
オレが、もっと、もっと、もっと……
もっともっともっともっともっともっともっともっともっともっともっともっともっともっともっともっともっともっともっともっともっともっともっともっともっともっともっともっともっともっともっともっともっともっともっと…………
――間違ってもそれ以上のボタンはぜぇ〜たいに押さないでね。
カルアの言葉が一瞬脳裏をよぎったが、すぐにかき消してやった。オレは再びライトを握る。これから押すボタンは、言うまでもないだろう。
照らす直前、年上の男の顔を思い浮かべる。醜い感情がみるみる心を溺れさせていく。奪い去って、アイツの泣き顔を見たいと――強くそう思った。そのためには、
「これで……ヒヒ……」
放出された光の色は、いかにも危険といった感じの赤色で、今まで影を照らしてきた白い光とは一線を画していた。
普通なら少しは怖気づくところを、逆にオレは迷うことなく自分の影へと向ける。その直後、
「ア、アァ……アアアアアンンンアアアア――ッッッ!!!!!!」
ヤバい、気持ちい。まるで全身の穴という穴からシルクで優しく撫でられているような心地よさと快感が、脳が処理しきれないほどのスビードで襲いかかってくる。
きっと今の自分の顔を見たら、あまりに醜いアヘ顔で絶望することだろう。けどそんなことは忘れてしまうほどに、脳みそがぐちゃぐちゃに掻き回される気持ちよさだ。
心の底から、大音量で幸せだと叫びたい衝動に駆られる。根拠はないのだが、たしかに今、自分の一番近くで幸せが降臨なさっているのがわかる。
なんでレベル3のボタンを押すのを禁じたか、理由がわかった。気持ちよくなりすぎて、中毒症状を引き起こすからだ。
でもオレは知ってしまった。まるで初め少子化対策をして虜になった、猿同然の中高生のように。もう戻れない、もっと浴びたい、もっと……もっとォ!!!!
「ハハッ、ハハハ……ハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ!!!!!!!!!!!!」
狂気を孕んだ高笑いが、部屋中にこだました――
………………
…………
……
「ッ……あれ? いつの間に……」
窓ガラスから部屋に、ぽかぽかと温かい陽の光が落ちていた。どうやら寝てしまったらしい。時計の針は、いつも起きる時間より一時間早い五時を示していた。
今から寝てもいいのだが、昨日は夕ご飯を食べていないのでお腹が空いた。親は、オレの食べる分を残しているかもしれないと淡い期待を抱きながらドアを開けると、
「ワッ! ど、どうしたの……」
「おはよう、晴」
「おはよう、晴」
時間からして、父親が起きているのはわかる。仕事でいつも早めに出勤しているのだから。しかし母親は違う。たまたまオレと同じく早起きしたのだろうか。
だいたい朝というものは、大なり小なり元気がないものだが、両親の顔はまるで虫眼鏡で太陽を見たときのように明るく、文字通りの満面の笑みだった。
「晴、大好きよ」
「!? ど、どうしたの、いきなり」
「言葉通りの意味よ。あなたが大好きと言ったの。本当に、生まれてきてありがとう」
「ど、どういたしまして……」
「父さんからも、ありがとうと言わせてくれ。突然だが、今、なにがほしい? なんでも買い与えてやるぞ」
「いやいきなりそんなこと言われても……」
な、なんか一周回って気持ち悪いな。これがレベル3の効果なのだろうか。
オレは春近さんにだけ作用してくれればそれでいいと思ったのだが、そうともいかないらしい。融通が利かないな。
「久しぶりに父さんと風呂入らないか? 背中を流してやるぞ」
「い、いいよ別に。あとオレは朝風呂に入る習慣はないから」
「いいじゃないかいいじゃないか。父さん頑張っちゃうぞ?」
「せっかくだから、私も入ろうかしら? ならいいわよね?」
グットサインを見せてくる母親。ならってなんだよならって。余計に入る気失せるわ。
「いやよくないだろ。オレはこれから朝ご飯を食べ――ッ!!」
言葉が途中で遮られる。その理由は、あろうことかいきなり、父親に股間を触られたからだ。とっさに手を振り払い、部屋の端っこまで行き距離を取る。
「あっちのほうも随分と成長したみたいだな〜。男はやっぱり巨根でないと、女を喜ばせれないぞ? もっとも俺は小さいが、足りない部分はすべてテクニックで埋めて母さんを楽しませたもんだ。ハッハッハッハッハ」
「なっ、何を言って……」
おかしい。普段の父親はどっちかというと堅苦しい人で、テレビで少しでもお色気シーンが映ると、いやな顔をしてチャンネルを変えてしまうのだ。
今目の前にいる人は誰だ? まるで見た目だけがそのままで、中身がまったくの別人と入れ替わってしまったようだ。父親の言葉に、母親が頬を赤らめる。
「もう! 実の息子の前でなにを言ってるですかぁ? 恥ずかしいじゃない……」
今母親は、旦那や子どもを支えるどこにでもいるような一般的な母親ではなく、まるで付き合って間もないころのカップル、結婚したての新妻のように色気づいている。
息子のオレとしては、そんな母親の姿を見たくなかった。思わず目をそらすと、その瞬間を狙っていたのか、グイッと手首を父親に掴まれる。
「はっ、離せよ!」
「ダメだ! お前は俺たちと一緒にお風呂に入らないといけないんだ!! こんなに、くろォォォーッなに臭いじゃないかァ!!」
父親は、今度はオレの股間に顔を押し付け、スーハースーハーと勢いよく臭いを嗅いできた。他にも脇や尻の穴などを嗅がれ、抵抗するも力が強くされるがままだった。
「さぁ今すぐ脱ぐんだ! 脱がないとぶつぞ! 昔みたいにお尻百叩きの罰だぞ!」
「やめろよ! やめろよ! 母さん、見てないで助けろよ!!」
父親に抱きしめられる形で拘束され、動けない。そんなオレに母親は少しだけ近づくと、パチンと一発、なぜか額にデコピンを食らわせてきた。
なにをされたかわからず呆然としていると、母親は耳を疑うような恐ろしいことを言い出した。
「ダメでしょー抵抗したら。あなたは――私たちのものなんだから」
「…………え?」
「湯船にお湯溜めてくるわねー。あなた、あとは任せたわよ」
「おう! 任されたぞ!!」
母親がすたすたと足早に部屋をあとにしていく。ちょ、ちょっと待ってよ。私たちのものってなに? そんな言い方だと、まるでオレが、所有物みたいじゃ……
「そんなに脱ぎたくないならオレが脱がしてやる! 母さんとの少子化対策で培った脱がしのテクニック、お前に味わわせてやるぜ〜!」
「くっ、来るなァ!!」
父親がオレのズボンを脱がせようと手をかけた瞬間、オレは右足を勢いよく上に蹴り上げる。それはまるで技のアッパーのように、顎にクリーンヒットした。
グゲェ! と情けない声を上げて、そのまま仰向けに父親が倒れる。その隙に部屋を出て家をあとにした。
「はぁ、はぁ、はぁ……。これから、どこに行けばいいか……」
向かうアテはないが、そんなことは逃げながら考えようと家の敷居の外に出た瞬間……
「キエエエェェェェェエエエエ――ッッッ!!!!」
「ヒイッ!」
突然オレの目の前を、銀色の鋭利ななにかが掠める。奇声の主の正体は、隣のおばちゃんだった。手には刃渡り十五センチほどの出刃包丁が携えられている。
ギラギラとした目つきに、口が裂けそうなほどにニヤけた口。その端からは、よだれがだらしなく落ち続けている。見た目からして、正気じゃないのは明らかだった。
「あたしのもの……あたしのもの……あたしのもの……晴ちゃんは…………あたしのものオオオオオオオオオオオオオオオオ!!!!」
「くっ!」
振り回されるナイフに追い詰められるように、オレはやむを得ずにおばちゃんの家に逃げ込んでしまった。二階へ駆け上がり、たまたま鍵付きの部屋に入れた。
たったさっき思いついた、どこか空き家に隠れて身を潜めるという手段が取れなくなってしまい、頭を抱える。だが少なくとも今はどうしようもない。とりあえず休憩を……
「随分と大変なことになったねぇ〜。どしたん? 話聞こか?」
「お、お前は……!」
気づけばオレは、その呑気に話しかけてくる人物の胸ぐらを掴んでいた。親がおかしくなったそのときから、ずっと会ったら問い詰めてやろうと思っていたところだ。
「戻せよカルア! 親や隣のおばちゃんがああなったのも、全部お前のせいだぞ! お前がレベル3なんてわけのわからないボタンなんてあるやつを売りつける、売りつけるから……!!」
「…………」
カルアの表情は見えない。ただほんの一瞬だが、口の端が薄くニヤついたように見えた。それがオレの怒りになおさら火をつけた。
このときのオレには、頭の中の辞書にに自業自得なんて言葉は載っていなかった。相手が女の子だというのも忘れてぐらぐらと首を揺さぶる。
「おい、こんなときにだんまりかよ。ふざけんなよ! オレが今どんな気持ちで――」
「どんな気持ちで? なんだい? 本当はわかっているでしョ? 両親がおかしくなったのも、隣のおばちゃんがおかしくなったのも、ぜぇ〜んぶ、約束を破った君のせいだって」
「――ッ!! お、オレは……」
そうだ。全部カルアの言う通りだ。でもオレはそれを認めたくなくて、こうして五歳児のように喚き散らしていて……醜いったらありゃしない。でも今更止められない。
「だからレベル3はやめろって言ったのに。今起こっている状況を一言で説明するなら、ズバリ――存在感の暴走だヨ」
「存在感の、暴走……?」
「よくラブソングなんかで聞いたことはないかい? あなたがほしい……あなた以外なにも考えられない! ずっと愛している! 死ぬまで愛している! 死んでも愛してる!! って。
レベル3は、照らした人を対象に周りの人を、無条件でそんな狂信的な思考に変えることができる。元から狂信的な人には効かないんだけどね。
とにかく、だから押すなとあれほど言ったのに。まぁでもそのおかげで……くくっ、くくくくくっ……」
口を押さえながら、こらえきれず笑い声が口の端からもれているカルア。オレは腸が煮えくり返りそうだった。
「お、オレだって、あんなになるってわかってたら、押すわけねぇだろ! やっぱりお前の責任――」
「君は……1833年、スウェーデンのストックホルムで生まれた、アルフレッド・ノーベルという男を知っているかい?
名前の通り、のちにノーベル賞を創設した男だ」
「……? なにを、言って……」
「いいから聞きなヨ。そのノーベルという人物は、のちにある大発明をすることになる。それが……ダイナマイトだ。
知っての通り、ほとんどの人は、ダイナマイトは人殺しの道具という見方をするだろう。だが作られた当初の用途は、トンネル建設などの土木工事に使われ、早く・安全に掘削できるとして多くの需要があった。
しかし一部の馬鹿な人間が言った。『これ、戦争に使えるんじゃね?』と。影山君、君はね、その一部の人間と同じなんだヨ」
「ち、ちが……」
「いいや違わない。そもそも存在スポットライトは、使い方さえ間違わなければ有益な孤道具のはずだヨ。それを君は、ダイナマイトのように誤った使い方をして今回の騒ぎを招いた……。
彼氏面をした男の泣き顔が見たいがために、押してはいけないボタンを押す……この浅ましい考えは、一部の馬鹿な人間に通ずると思わないかい?」
「…………!!」
つまりカルアが言いたいことはこうなのだろう。オレが約束を守っていればいいものを、親友以上になりたいと欲をかいてしまい、このような事態になったのだと。
オレは後悔した。今更しても遅いはずなのに、ただいっときの衝動的な過ちで、結果的に自分の首を絞める羽目になるなんて。
ドンドンドン! ドンドンドン!!
「ヒッ!」
今さら気づいた。ついカルアの話に聞き入っていたせいで、ドアの先にいるおばちゃんの存在を忘れていたのだ。開けてー開けてーと呪文のように言葉が続く。
やがて強硬手段として、木製の扉にざくりと出刃包丁が突き出てきた! 空いた穴から顔を出し、オレと目が合うと、心底嬉しそうな表情を向けてきた。
「早めに逃げた方がいいヨ。効果は一日を過ぎれば元に戻るから、まぁそれまでの道のりだ。せいぜい頑張りなヨ」
「……ッ! それを早く言えよ……!」
ザクザクと彫刻を削るようにしてドアが破壊されていく。破られるのは時間の問題だろう。オレは二階の窓から安全に飛び降りる方法として、ある方法を思いついた。
「そうだ! 布団……布団はどこ!?」
「自分で探しなヨ。でもこの部屋にあるってことだけは教えてあげる」
「……上出来だ!」
オレは押し入れの引き戸をスライドさせると、そこから急いで取り出せるだけの量の布団を、外に投げた。飛び降りる際のクッション代わりとするためだ。
意を決し、豪快にダイブする。少しの足の痛みはあったが、すぐに立ち上がって動くことができた。このまま家の敷地を出る。
「――ッ!! 嘘、だろ……」
一歩外へ出た先は――地獄だった。ライトの効果により、両親と同様正気をなくした近隣住民が、オレの名前を呟きながらこちらへと向かってきたのだ!
皆全員、目だけに生気が集中してしまったようにギラギラしているが、体はだらりとゾンビのようだ。オレは掴みかかってくる手を払い除けながらなんとか進んでいく。
「触んなァーッ!!」
目的地は、先ほど思いついた空き家だ。幸いにも、登校日は必ずと言っていいほど目に入る場所にあるので行きやすい。
オレは人間一人がやっと出入りできるような細い路地を中心に、空き家へと向かっていく。距離にしてあと数百メートルといったところだろうか。
「もう少し……もう少しで……!」
オレは到着することを、長い長いマラソンを終えたあとのゴールだと勘違いしていた。そのせいで気が緩み、近くにいた警察官の存在に気づくことができなかった。
ドンッ!
「――ッ!! なんだ、これ……」
「かァァァげやまはルルルルルル――ッッッ! お前を逮捕するゥゥゥゥゥゥゥッッッ!」
「影山晴! 君を始末する!」
頬にたらりと赤い糸が作られる。その部分がやけどのように熱い。目だけを動かしてその正体を知る。
本当は音からしてわかっていたのだが、信じたくない気持ちが勝っていたため、真実をこの目で確かめたくなったのだ。そして絶望する。今自分に向けられている凶器に。
「ライトの効果は、どこまで続いてんだよ……!」
「さァァァ!! 大人しく影山晴、神妙にお縄につけェェェェェエエエエ!!!!」
「影山晴! 君を始末する!」
相手が銃を向けてくるのに対し、オレは完全な丸腰だ。あっという間にブロック塀まで追い詰められると、袋のネズミになってしまった。
「影山殿、お久しぶりでござるな」
「その喋り方……お前は、清三郎!」
「小生を覚えていたでござるか? それは嬉しい限りでござる。そのお礼として……そなたを我だけのものにするでござる!!」
チチチチチとなにかが擦れるような音がした、清三郎の手にはギラリと銀色に光る刃が覗かせている。工業用の通常より大きいカッターナイフだ。
いつの間にか警察官や清三郎の他に、クラスメイトの生徒や先生も含まれていた。遅れて両親と隣のおばちゃんが到着する。
「捕まえた、捕まえた、影山君……!」
「捕まえた、捕まえた、私たちだけのもの……!」
「まっ、待ってくれ! みんなはライトの力でおかしくなっているだけなんだ! 正気になってくれよ!!」
「正気? 僕たちはずっと正気だよ? ただ君を捕まえてからちょっとイイコトするだけで。へへへへへへへへへへへへへへへへへへへへへへへへ」
不気味に口の端を吊り上げながら、清三郎たちは一歩、また一歩とオレに近づいてくる。もうダメだ……おしまいだぁ……。
思わずベ◯ータになったそのとき――いきなり大きな物音がしたと思うと、自分の腕をがっしりと掴む人がいた。誰だ? オレを助けてくれる存在は……
「――影山君、私を人質にしてください」
「え、え、え……」
「いいから早く!」
「は、はい!」
私を人質に……なんてそんな馬鹿げたことを言ってのけた人……それはなにを隠そう、想い人である春近さんだったのだ!
オレは無我夢中で言われた通りに、春近さんの首にオレの腕を巻き付け、あたかも捕まえたていを装う。そこに春近さんが助けてー! と甲高い叫び声を上げた。
「私を捕まえたまま、指示通りに動いて」
オレにだけ聞こえる声量で言われ、二つ返事で承諾する。ありえない状況だが、驚いている暇なんてなく、今自分の目の前に降りてきた蜘蛛の糸を離したくはなかった。
おかしくなった人々がざわめいている。ありがたいことに理性が残っていたのか、さっきから拳銃を向けていた警察官が力なく銃を落とした。
「わ、わかった!」
オレは春近さんを人質に取ったフリをして、周りを取り囲んだ人に無理やり道を作らせる。注意しながらその道を抜けると、指示として首を離して手を握ってと言われた。
初めて握る女子の感触……なんて気持ちは、ものの数秒で消えた。その後は全力で走り、春近さんのまっすぐ! や、右曲がって! などの指示に従っていった。
「入って! 鍵は開けてあるから!」
「はい!」
五分ほど走り続けて案内されたのは、どこにでもあるありふれた民家だ。表札には花山と文字が彫ってある。どうやら春近さんの家らしい。
「両親は今日から出張に行っていなくて……とりあえず、ほとぼりが冷めるまでここにいるといいですよ」
「あ、ありがとう……」
声が震えているのは、さっきまで追いかけられた恐怖のせいでもあるが、それ以上に、好きな人の家に上がってしまったという緊張感で、心臓が爆発しそうだった。
しかも親がいないというオマケ付きだ。これはチャンス……と考えて、すぐにかぶりを振った。ないない。第一、そんなことをする余裕も、度胸もない腰抜けのくせに。
「着替えるからここで待っててください」
「わかった」
一人リビングに取り残される。やけに長く二十分ほど経過したころ、戻ってきた春近さんの服装に思わずドキッとしてしまった。俗に言う部屋着というやつだ。
「……どこかおかしい、かな?」
心配げに眉をひそめる春近さん。ピチッとしたベージュ色のTシャツに、グレーの色をしたスウェットショートパンツ。
女の子特有の柔らかそうで、雪のように白い肌が惜しげもなくさらされていて、オレは目のやり場に困ってしまった。
「い、いや全然! むしろその……いいよ」
若干目を逸らしながら言うことこそが恥ずかしいのに、そうせずにはいられないオレは、ただの馬鹿なのだろうか。なんだか視界に入れるのもおこがましい気がする。
匿ってくれたのはすごく嬉しいが、慣れない環境のせいか、妙に落ち着かない。そわそわしているオレの態度を察したのか、春近さんから驚きの提案がなされた。
「ここじゃ落ち着かないよね。よかったら二階の私の部屋で休まない?」
「へ、部屋ァ!? そ、そんな簡単に、異性を入れてしまって……」
「晴君さえよければだけど、今日はここに泊まってもいいよ。なんか、深い事情抱えてそうだし……」
「い、いいのォーッ!?」
オレの言葉なんて気にせずに、春近さんは二階の部屋へと案内した。
「うわぁ……」
なかはてっきり見た目に合った可愛らしいのを内心期待していたが、実際はオレの部屋と遜色なかった。普通のベッドに普通のクローゼットに普通の勉強机。
それでも、春近さんが住んでいるというだけで価値は爆増した。匂いが染み付いたベッドに手垢が付いた勉強机……これ以上はキモくなるからやめよう。
「ちょっと待ってて、お菓子とジュース持ってくるから」
「あ、そんな、お構いなく」
オレの言葉を聞きながら、春近さんは一階に降りていった。立っているのも難なので、カーペットに腰を下ろして気がつく。まるでチーズが腐ったような臭いがすると。
臭いの元を探る。あまり他人の部屋をじろじろと見てはいけないのはわかっているが、やはり気になってしまう。しばらくあたりを見回していると、
「なんだ、これ……」
シーツの上に一枚の写真が落ちていた。これを見るということは、春近さんのプライバシーを侵害することになるのだが、このときのオレは、まったく意に介さなかった。
溢れ出る好奇心に身を任せ、裏になっていた写真を手に取り、ひっくり返す。写真に目を通した瞬間――オレは自分の目を疑った。
「…………は?」
てっきり写っていたのは、春近さんかその彼氏だと思っていたのだ。しかしそこに写っていたのは、春近さんの彼氏や春近さん本人でもなく――オレだった。
学校が終わり、これから家路につこうとしている写真だ。カメラ目線になっていなかったり、なによりオレが撮影を許可していないことから、盗撮なのは確定だった。
「誰が、この写真を……?」
まずこの家に、しかも春近さんの部屋にあることから、犯人が誰なのかは考えるまでもないだろう。しかし現実的にありえない。いや、非現実的に考えてもありえない!
だって春近さんだぞ? ただオレが一方的に好意を寄せていただけで、アプローチなんて全然できないし、されたこともないし、意味が……わからない。
「――ッ!! まだ、そんな……!」
たった一枚の写真に衝撃を受けすぎて、オレは写真が――一枚だけじゃないことに気づいた。ベッドの奥側にあるクローゼットまで、導くようにして写真は続いていた。
いずれの写真も撮られた覚えがまったくなく、盗撮の可能性が高いものだ。一つは授業中の写真、トイレに入っていく写真……用を足しているときの写真!?
他にも、一階のリビングでくつろいでいるときの写真など、計七枚の写真が落ちていた。クローゼットは目の前だ。言うまでもないが、明らかに誘われている。
「…………ゴクッ」
生唾を飲み込み、引き寄せられるように折戸ドアに手をかけようとした瞬間、ピタリと手が止まる。本当に開けてもいいのだろうかと考えが脳裏をよぎる。
見たら最後、戻れなくなるかもしれない。後悔するかもしれない。じゃあこれから引き下がるのか? ここまでお膳立てをされて、そんなこと、できるのだろうか……。
「はぁ、はぁ、はぁ……」
走って逃げていたときのような息遣いになってしまう。どっちにしろ早く決断しないと、春近さんが部屋に来てしまう。そうなったらもう、中を見るチャンスはない。
そのことが覚悟を決める要員になったのか、オレは勢いよくクローゼットを開け放った。変な臭いが一層強くなる。あらわになる内部、オレは、――思いっきり後悔した。
「ヒッ……ヒイィィィィィィイイイイ――ッッッ!!!!」
中にあった物……というより、中の天井や横の壁にびっしりと隙間なく貼り付けてあった物は、残りのオレの写真だった。思わず鳥類になってしまうような衝撃。
学校で一人物思いにふけっているときの写真、ベンチで一人休んでいるときの写真、一人弁当を食べているときの写真。
…………あれ? そういえば今さら気づいたのだが、すべての写真が以前の存在感がないころのやつばっかだ。それも一人きりで写っているのがほとんどを占めている。
何気なく目線を下に落としたそのとき、なんと床にも写真があることに気づいた。
目を凝らしてよく見ると、天井や横にあるやつとは違い、ライトを使って存在感が増し、親友ができて交流し始めたころの写真だ。
「なんで……顔が……」
でも、ただの写真じゃない。なぜなら写っているはずのオレの顔が、すべて十円玉でも使って削られ、消失しているからだ。
「――ハルタソが悪いんだよ。でもありがとう。上で準備したかいがあった」
「――ッ!!」
足音が一切聞こえなかったので、つい油断していた。後ろには、満面の笑みでこちらを見つめる春近さんの姿があったのだ。
って、ちょっと待て。今なんて言った……
「は、ハルタソ?」
「そうハルタソ。私だけが呼ぶことを許される名称。私のことはハルタソ、ハルルンと呼んでね?」
?!?!? なにを、言っているのかよくわからない。ハルルン? は思わずこちらも笑顔になってしまうような笑顔をこちらに向けてくる。
春近さんは今、地球上で使われている言語を喋っているのか? 脳内の思考回路は複雑に絡み合い、ショート寸前だ。頭からはチリチリと煙が上がっているかもしれない。
「ご、ごめん春近さん。ちょっと理解が追いつかないんだけど……」
「も〜う。さっきハルルンって呼んでねって言ったよね? 言うこと聞けない悪い子は……」
ぷくーと頬を可愛く頬を膨らませたその瞬間、あろうことか春近さんは、いきなり自分の衣服に手をかけ、目の前で脱ぎ始めたのだ!
ちょっと待ってと止める暇もなく、あっという間に下着姿になる。しかもその下着は、ところどころが透けており隠す部分が少ない、あまりにも刺激が強すぎるものだ。
「わ、悪い子は……どうなっちゃうのかな……はは……」
「…………ふっ」
にこやかな笑顔を崩さずオレに近づき、やがてベッドに押し倒される。春近さんの顔が、今はもう目の前だ。胸のあたりには柔らかい二つの突起物が。密着する形になる。
変な臭いは気にならなくなり、それ以上に春近さんの匂いで鼻腔が満たされていくのを感じる。このまま、この匂いの海に溺れて死ねたらどんなに幸せだろうかと思う。
も、ももももしかして、オレはこれから春近さんと大人の階段を登ってしまうのか……! と淡い期待を抱いたそのとき、首に違和感を抱いた。
「うっ……ぐぅ……がぁぁぁ……!!!!」
「ハルタソが悪い、ハルタソが悪い、ハルタソが悪い、ハルタソが悪い、ハルタソが悪い、ハルタソが悪い、ハルタソが悪い、ハルタソが悪い、ハルタソが悪い…………」
なにを、されているんだ? 押し付けられている。首に、手を。どうして? 苦しい、痛い、辛い……
「ねぇ、痛い? 痛いでしょ。でも私は――もっと痛かったァァァ――ッッッ!!!!」
語気が強まり、それに付随するようにして、首を絞める力が強くなる。女の子一人とは思えないほどのすごい力だ。
上に覆いかぶさっているので、体重がかかっているのもある。オレはなんとか最後の力を振り絞って春近さんをどかすと、酸素を貪るようにして吸い込んだ。
「なんで……オレを…………なんでオレを殺そうとしたんだ!」
「…………関係が壊れてしまう前に、せめて自分から壊してしまいたくなって……一回やってみたかったんだよ。首絞めプレイ。どう? 気持ちよかった?」
ダメだ。まったく話を聞いていない。悲しげな表情からすぐ恍惚な表情に切り替わり、体をくねくねさせている春近さん。ふとカルアの言葉を思い出す。
――元から狂信的な人には効かないんだけどね。
そうか、そういうことか。ようやくレベル3のライトが効いていない説明がついた。つまり春近さんは、ライトなんてなくても――狂っているんだ。
「私ね、ハルタソはボッチだからこそかっこいいと思うの。ずっと一人でいて、なに考えてるかわからないミステリアスな感じだったり、つかみどころのない性格だったり。
どこか影のある表情もかっこよくて、一匹狼って言うべきなのかな? それとも孤高の存在? 私はそれを遠くから眺めているだけで満たされていた。でもね……」
「で、でも……?」
グイッと体を近づけてきたために、オレはまたしてもベッドに押し倒される形になる。
春近さんの顔は、まるで別人にすり替わったかのように鬼の形相で、幼い子どもならちびってしまうほどに、怒りに満ちていた。
「でもハルタソは私を裏切った! 親友をたくさん作っちゃって、下手な笑顔まで浮かべちゃってさー。鏡見たことある? すっっっっっっっごいブサイクだよ!
干からびて死んでいるミミズのほうがまだマシだったなー。もしかしたら、他の人もそう思ってたんじゃないの?
だんだんと周りのつまらねぇ会話に同調して、つまらねぇことに時間を費やし、やがてつまらねぇ集団に所属するA君になってしまうような気がして……。
私はそれが、恐ろしくて、辛くて、悲しくて、悔しくてぇ……」
さっきまで怒っていたのに、いきなり膝をつき顔を覆って泣き出す春近さん。完全に情緒がイカれている。でもここで、ある一つ疑問が頭に浮かんだ。
じゃあ昨日の夜、カラオケの帰りで見た、あの年上の男は誰なのだろうか? 春近さんの逆鱗に触れないよう、なるべく優しげな口調で聞いてみることにした。
「た、たしかハルルン様には、もう、彼氏がいらっしゃるんじゃないかなーなんて……どう、でしょうか……?」
「……あぁー敏郎のこと? もしかして、ホテルに入るところとか見てたの?」
「い、いやそれは……」
「隠さなくていいよ。あの脳内ピンク畑野郎、ヤらせろヤらせろってしつこくてさー、こないだホテルに入ったときに……」
そう言うと春近さんは、クローゼットの奥をごそごそとしてなにかを探し始めた。
やがて見つかったのか、これなーんだ? と猫なで声であるものを見せびらかしてきた。それは……
「耳……? なんかのおもちゃ……か……」
言いながらオレは、ものすごく間抜けな勘違いをしていたことに気づいた。
ついさっきまで、ド◯キで売っていそうな面白い耳のおもちゃかと思っていたが、違う。
なんで、わかったかと、言うと、大きくて……丸くて……金色の……
「ギャァァァアアアアア――ッッッ!!!!」
喉が張り裂けるような叫び声を上げた。よく見ると耳の側面には、切り取られた跡なのか赤いシミがついている。
シミと言ってもまだ表面には、微かに水分が残っている。まだ切り取ってそんなに時間が。
「アハハハハハハハハ!! そんなに怖がらないでよぉ。とびっっっきりに面白いギャグをして、場を和ませてみせるからさぁーッ!!」
大きく口を開け、上を向きながら笑い声をあげたあと、春近さんはあの年上の男の一部である耳を壁に押し付け、
「一発芸・壁に――耳あり」
そう言うと春近さんは、ぴたりと耳を壁に押し付けた。数秒ほどの沈黙が流れる。
「……………………ヒッ」
いかにも春近さんは、ここ、笑うところだよ? って顔をしている。とうぜんオレは、そんな千年後のお笑いネタみたいなセンスに追いつくことなんてできない。
オレは両手で思いっきり春近さんを押し飛ばす。その衝撃でベッドの角に後頭部をぶつけてしまい、そのまま気絶した。大急ぎで部屋をあとにする。
「やぁやぁ、好きな子とベッドインしてる最中に悪いね。邪魔するヨ」
一階の階段前には、相変わらずのニヒルな笑顔を向け、手を振り上げたカルアがいた。
「なにがベッドインだ! こちとら危うくインする場所が棺桶になるところだったんだぞ! もしかしてカルア、春近さんが元々こうゆう存在だって気づいてたんじゃ……」
「どうだろうねぇ〜、くくくくくっ」
相手を小馬鹿にするような笑い声を上げて、オレはまた腸が煮えくり返りそうになる。しかしこんなところで時間を潰すわけにはいかない。
やっぱり空き家で身を潜めるほうが正しかったんだ。思わぬ足止めを食らってしまったが、今からでも十分間に合うはずだ。そう思ったとき、
「多分だけど、もう君はこの家から出ることはできないヨ」
「……は? なにを言って……」
カルアが首を右に動かし、横にある窓の景色を見るように促す。
そこからは玄関前と庭が見えるようになっていて、なんとそこには、撒いたはずの近隣住民やクラスメイトなどが今か今かと待ち構えていた。位置がバレている!
「――ッ!! ど、どうして! オレの体に発信機でも付いてるのか?」
「そんな現代的なものじゃないヨ。もっと超常的というか……とにかく言葉じゃ説明できないし、説明しようとすること自体おこがましいもの……つまりは……!」
「つまりは?」
「愛だヨ愛! どっかのテレビ番組が馬鹿みたいに、スローガンとして掲げてるじゃないか。愛は地球を救うって。(最近変わったらしいけどふざけんなヨ)
地球を救えるほどの力があるんだから、別に君の家が特定されても、なんら不思議じゃないでしョ?」
「ま、まさか! ここにいることがわかったのって、全部……」
つまりはどこへ逃げても、隠れても、一日を過ぎない限りは両親や清三郎たちに必ず見つかって、追い回されるということなのか!?
だとしたら、空き家で身を潜める作戦は最初から破綻していたことになる。オレはショックで意識が飛びそうになる。コツコツとカルアの階段を上る足音だけが耳に響く。
「理解が早くて助かるヨ。ところで話は変わるけど、僕はね、君を助けに来たわけじゃないんだヨ」
「も、元からお前の助けなんて、期待してねぇよ。でも、だとしたらなんのため――」
言葉を続けようとした瞬間、オレの額に冷たく重い金属が当てられた。肌にぴったり密着したのは初めてだ。とたんに肌が蜂の巣のようになるのを感じた。
あのときの黒いリボルバー銃だ。ニヒルな笑顔は消え、代わりになんの温度も感じず、ドライアイスのような冷たい口元だけがうかがえる。
「な、なんのつもりだよ! またその銃で……」
「君がおばちゃんの家に逃げ込んだとき、言わなかったかい? もう一度言うけど約束を破ったからね、少し遅くなったけど罰を与える。今度は前のときのようにはいかないヨ」
「なんで今なんだよ! 約束を破ってるって気づいてるなら、そのときに撃てばよかったじゃないか!
だったら母さんや清三郎に追いかけ回されたり、春近さんの本性に気づくこともなかったのに……どうして、どうしてェ!!」
「君が糸で操られるマリオネットよろしく、あの場面で撃つわけにはいかないんだヨ。じゃないと物語が……ってあまりこうゆうことは言うもんじゃないな。今後は気をつけよう」
「なにをぶつぶつと言って……。いい加減に――ヒイッ!!」
じりじりとオレのほうへと歩み寄ってくるカルア。オレは成すすべもなく、ただ喰われるのを待つ小動物のように怯えながら、一歩一歩と後退していった。
やがて行き止まりでこれ以上後ろに下がれなくなり、ぺたんと床に座り込む。カルアとリボルバー銃を見上げる体勢になる。カチャリと安全装置が外された音がした。
「物語より外れし、憐れな主人公に告ぐ――さぁ、終点の時間だヨ」
「や、やめっ」
その言葉の直後、無情にも弾丸は放たれ――オレの額にヒットした。
一回目のときと大きく違うのは、まるでろうそくの火が吹かれて消えるように、刹那の瞬きで意識がなくなってしまったことだ――
「ん……ここ、は……」
なにやら外が騒がしい。そしてなにより……寒い。思わず自分を抱きしめて気がつく。一糸まとわぬ姿――全裸ということを。寒いのはそのせいだろう。
なぜ服を着ていない? そんな至極当然な疑問を持つ前に、オレは今いる場所にものすごく違和感を抱いた。ぱっと見我が家のようだが、なにかが、違う。
「どこだ? ここ……」
数歩ほど歩いて振り向くと、違和感の正体がわかった。文字通り家の半分がバッサリとなくなっていて、内装の構造が外から丸見えの状態になっていたのだ!
わかりやすく言えば、ド◯フとがコントをする際に使う家を想像すればいいだろう。わけがわからず外に出ようとすると、見えない壁に阻まれた。触って確認すると……
「ガラス……? コイツの、せいで……!」
オレは足で蹴りつけたり、タックルを仕掛けたが、まったくびくともしない。まるで鋼鉄を相手にしているようだ。外の様子は、逆光のせいでよく見えない。
息を切らしていると、外から人のざわめきが聞こえてくる。ガラス越しでも伝わるほど、尋常じゃない数だ。満員の東京ドーム内部を思わせる。
あっでも、だんだんと雲で太陽が隠れて、逆光が、消え……
「ウワアアアアアアァァァァァァ――――ッッッ!!!!!!!!」
人生で一番大きな悲鳴をあげる。そこには、家周辺を囲むように扇状で、ぎゅうぎゅう詰めになるほどの人だかりができていた。
その人たちすべての視線が、オレに注がれている。慌てて下半身にある男のシンボルを隠すと、皆が一斉に笑った。今まで聞いた笑い声で、一番耳障りに感じた。
「見て見てママー! おちんちんかしくしたー! へんなのー」
「よく見ておきなさい。ここの入場チケット、すごく高かったんだから」
「あ、今こっち向いた! ぶさかわいい〜」
「ふっ……中々悪くねぇじゃねぇか。陰毛のボーボー具合」
「……あ、あああ、あああああああ――――ッッッ!!!!」
半狂乱になりながらガラスを叩くが、やはり傷一つつけられない。むしろ傷がついたのは、オレの手のほうだった。
オレは、夢をみているのだろうか。だとしたら誰か声高に叫んでくれ、これは夢だと。こんなの、こんなの、受け入れられるはずがないじゃないか……!
立て札看板→祝! 人間動物園復活!!!! 今もっとも注目されている男!!!! 影山晴
「ここは……どこなんだよ……!」
悪夢だ。あまりにも悪夢だ。どうして、オレは、こんなところに。思い、出せない……。
春近さんから逃げて部屋から出たとき以降、記憶がまったくない。何度思い出そうとしても、頭が痛くなるばかりだ。
床に座り込む、耳を塞ぐ、目を瞑る。でも聞こえてしまう。透けて見えてしまう。好奇の耳と目。
想像してしまう。馬鹿にしたような笑い声、見下したような目つき。やめろ、やめろ、やめろ、オレの頭の中に入ってくるなァ!
「あなた、すごくかわいいわね。まるで我が子みたい」
「わかるぞその気持ち! しかもなんたる偶然か、オレたちの名字と一緒の影山だなんて。こりゃ生まれてくる子どももさぞかし縁起がいいぞ〜。名前は同じく晴にしないか?」
「いいわねそれ! そうしましょう!!」
「母さん! 父さん! オレは! オレはここだよ!! 見てないで助けてよ! なんで笑ってんだよ! ふざけんなよ! ふざけない、でよ……!!」
「実に滑稽でござる。いや愉快愉快。たまには庶民の娯楽に身を置くのも、また一興かな」
「清三郎!! 助けてくれ! 頼む!」
「キャー! なんか急に泣き始めたけど、そんな変ななところも含めて大好きーっ!!」
「は、春近さん! この際春近さんでもいいから! 助けてくれ! 助けてくれ! 助けてくれェェェ!」
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「…………見るな、見るな、見るな、見るな、見るな、見るな、見るな、見るな見るな見るな見るな見るな見るな見るな見るな見るな見るな見るな見るな見るな見るな見るな見るな見るな見るな見るな見るな見るな見るな見るな見るな見るな見るな見るな見るな見るな見るな見るな見るな見る……オレを見るなアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア――――ッッッ!!!!!!」
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