かみさまのゴーストライター

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 君の運命は、僕が書いている。  そう言ったら信じてくれる人は、世界にどれぐらいいるだろうか。  真っ黒なモニターのガラス面を見ながら、小さくため息をつく。冴えない自分の顔に気が滅入ったわけではない。寝転んでテレビを見ているその後ろ姿に、辟易しただけだ。 「お疲れ様です」  いつまで経ってもコンピュータに電源が入らないので、僕の方から声をかける。すると、その怠惰を極めた背中がわずかに動いた。 「あれ、もう来てたの。気付かなかった」  テレビのバカ騒ぎにあれだけゲラゲラ笑っていたら、そりゃ僕が召喚されたことにも気付かないだろうな。口にすることはないが、モニター越しにその思いを載せた視線だけを送る。  時代錯誤なデザインの、いわゆるブラウン管型モニターが明滅を始め、起動音が再生される。いつの間にか僕のすぐ隣に、ジーンズに包まれた足が並んでいた。 「ほい、起動完了。今回の分のリストはこれね」  うずたかく積まれたA4サイズの紙。座った状態では一番上の用紙には届かないので、僕は仕方なく真ん中あたりから一枚引き出した。  紙面の上の方に、ポツンと印刷されたもの。僕が分かるのは記号と数字だけで、謎の文字列は読むことはできない。ただ、その文字と数字を合わせれば、おそらく個人を識別できるんだろうということは何となく理解していた。 「黒い星……」  名前の前に付けられたマークは、特別オーダーがあることを示している。中でもこの黒い星は―― 「わお、いきなりそれ引く? 今日も初っ端からとばすねぇ」  表情は見えない。でも、感じの良くない笑いを含んだその声だけで、どんな顔をしているか手に取るように分かってしまった。 「言わなくても分かってると思うけど、どぎついのをお願いね。君が思いつく限りの悪辣(あくらつ)なやつで」  数字は偶数。つまり女性だ。  僕はいまから、考えうる限りの非道さと悪辣な意志を持ち、この人が辿る一日分の運命を書き上げなければならない。  モニターの前の、何もないところに目を落とす。机の木目がグニャグニャと歪み、大小さまざまな四角い形を成しながら、質量を持って現れたのはキーボードだ。現実世界でおなじみのやつで、かなキーに書かれている文字は僕にも読める。僕が文字を打てるよう、特別に作ってくれたらしい。 「終わったら見せてね。勝手に投稿しないこと。校正するから」 「はい」 「またマーク付きが出たら声かけて。今日はちょっとややこしいのが混じってるんだ」  面倒くさいんだろう。言葉尻に絡む吐息がそう感じさせる。 「納期は?」 「一か月。だから……君が現実世界で目覚めるのは3日後か。ごめんね、今回ちょっとしんどいよね」 「平気です。どうせここで起きたことは何も覚えていないんだし」 「ああ、それもそうか。まあでも、労うことぐらいはさせてよ」 「……お気遣いありがとうございます。そろそろ始めていいですか」 「そうだね、お願い。マーク付きは絶対に見落とさないように。手間かもしれないけど、逐一ちゃんと声かけてね」  ややこしいマーク付きが混じっていると言っていたけど、僕が思っているよりもその量は多いのかもしれない。そう予感しながら、キーボードに指を置く。  20168768046  この人がこれまでどんな人生を歩んできたのか、僕は知らない。何歳で身長は何センチで体重は何キロで髪の長さはどれくらいで何が好みで何が嫌いなのか、僕はこの人をかたち作っているであろうあらゆる情報を何一つ持っていない。  それでも、僕は書く。 朝の目覚めから夕方帰路につくまでは、いつも通りだった。平穏な日々に嫌気がさしたことなんてなかったし、この先もきっと同じような日々を送ることを息苦しく感じることなんてないだろう。そのはずなのに、なぜか私は普段と違う道を選んでしまった。いつもなら右に曲がるはずの、交差した道。特別な何かがあったわけではないのに、私はそのまままっすぐ進んでいた。夕暮れ時、日の落ちるのが早い子の時期は、油断しているとあっという間に辺りは暗くなる。私はきっと、油断していたのだろう。つい数分前まで私を先導するように伸びていた長い影はすっかり見みえなくなり、私は足を止めた。目の前にあるのは単線電車が走る線路と、小さな踏切だ。遮断機はひび割れが目立ち、信号の鉄柱も錆がべったりと貼り付いていて、手入れの行き届いていな感じが不気味だと思った。周囲に人の気配を感じない。住宅地から少し離れ過ぎてしまったらしい。冷たい風が足を奈で、より恐怖心を煽る。帰らなきゃ。そう思って踵を返したところで、私は背後から強く殴りつけられた。意識はある、声は出る。とっさに助けを求める咆哮を腹の底から上げたけれど、それは私を殴った人間以外には届なかった。突然鳴り出した踏切警報音によって、かき消されてしまったようだ。もう一度強く殴られ、私は意識を失った。目を覚ますと、目を覚ました時、私はベッドか何かの上に寝かされていた。体を起こす。壁も床も天井もコンクリートで覆われていて、換気口以外に窓はない。鉄の扉が不愉快な音を立てて開いた。数人の男がばらばらと入ってくる。鼻から上だけをお面のようなものでで隠していて、顔は分からない。ただ、今から自分がどんな目に遭わされるのかはすぐに分かった。男たちの下半身の一部が怒張し、ズボンの上からでもその形がはっきりと分かるくらいになっていたからだ。手足に絡むシーツを振り払いながら、ベッドの上を這うようにして後ずさりし、壁に背中を当てる。これ以上逃げることは叶わないと分かっていても、できる限り距離を開けたかった。下卑た笑い声が響き、数人がビデオカメラやスマホをこちらに向け始めた。部屋のすみには固定カメラが二台置かれている。金属バットを引きづりながら近ずいてきた一人の男が、ベッとに足を載せた。ベッドの揺れに同調するように、私の体も揺れた―― 「ん~、相変わらずの鬼畜っぷり! ホント君の書くものはこう、嗜虐心を掻き立てるよねぇ」 「……ありがとうございます」 「風景の描写に臨場感があるせいか、なんかスリリングなんだよ。この、“私を先導するように伸びていた影”っていう表現なんて、彼女がどちらの方角に向かって歩いているのかがよく分かるし、顔にも暗い影が落ちていたんだろうなって想像できる。もうここから彼女の悲劇は始まってるんだっていう……いやあ、ホント好きだわ君の文章」  一通り褒めちぎってから、モニターを覗き込んでいた横顔が僕の目の端から消える。(かが)めていた体を起こしたらしい。 「内容はこれでオッケーだよ。ただ文字数が少し足りないから調整しておいて。あと誤字脱字。そこも直したら、投稿してくれていいよ」 「分かりました」  畳を踏む音が止み、衣擦れの音が続く。寝転がり、座布団の位置を直した動きをした後、再びテレビを見始めたところを見計らって、僕はふたたびキーボードに指を置いた。  誰かの一日を、この紙一枚に収める。いろいろな物語がある中で、僕が任されているのは黒いページだ。生きとし生けるもの全てに分配された運命の一冊、その内の一ページに、僕が書き上げる物語がポツリと影を落とす。表紙を閉じても、本を開く側の小口を見ただけで、その黒いページがどこにあるのかすぐに分かる。平和な日々は、あの時の楽しかった思い出はすぐには見つからないのに、僕の作ったページだけは、しおりを挟まなくてもすぐに開くことができる。  忘れたくても、忘れられない。見たくないのに、目に入ってくる。僕がつづる物語は、そうやって君を縛り続けるんだ。 ◇  目を覚ました僕の目に入ってきたのは白い天井だった、なんて使い古された文章をキーボードで打つ自分の姿が、脳内ではっきりと再生された気がした。 「分かりますか、病院ですよ」  看護師さんに声をかけられ、小さくうなずいてみせる。その看護師さんに促されてベッドの傍らから僕を覗き込んだのは、僕の母だった。化粧っ気のない顔を真っ赤にしていて、きっと長いこと泣いていたんだろうとぼんやり思った。 「良かった。本当によく帰ってきてくれたね」 「僕、また寝ちゃってた?」 「うん。でも、もう大丈夫だよ。自力で起きることができるなら、まだ治る希望はあるんじゃないかって先生が仰っていたから」  そんなのは気休めだ。瞬時にわきあがった思いが、言葉になることはない。母はその希望にすがることで、いつか僕を失うんじゃないかという恐怖から逃れることができるのだ。それならば、この病気が治ることはないという厳しい真実を伝えるよりも、たとえ胡散臭くても優しい嘘をつき続ける方を選択するに決まっている。 「……今回は、どれくらい寝てたの」 「3日。時々、すごく苦しそうな顔をしていたよ。怖い夢でも見たの?」 「分からない。何も覚えてないんだ」 「つらいことなら覚えていない方がいいよ。でも、よく頑張ったね」  その母の言葉に、自然と涙があふれてこめかみを伝っていく。なぜ泣いているのかは自分でもよく分からない。ただ、ずっと僕の髪を撫でてくれる母の手は優しくて暖かくて、僕の中の何かが少しだけ報われたように思えた。 「そう言えば……ねえ、昨日の晩に地震があったのよ」  僕の脱いだパジャマと下着とをビニル袋に入れながら、思い出したように母が言った。 「へえ。震度はどれくらい?」 「3……ううん、もう少しあったかな。大した被害はなかったんだけどね、ほら、あそこの橋を越えたところにある廃旅館覚えてる?」  パジャマの前ボタンを留めながら、あれか、と呟いた。一度肝試しのつもりで友達と侵入してすごく叱られたことは、今もはっきりと思い返すことができる。 「たぶん、もう老朽化がすすんでたんだろうね。建物のほとんどが崩れちゃったらしいの」 「解体する手間が省けて良かったんじゃない?」 「あんたならそう言うと思った! でもそんないい事ばかりでもないのよ。中に、何人か人がいたらしくてね」  ボタンを全て留め終え、一度伸びをする。些細でも細かい作業をした後はこうして体をリフレッシュさせないと、何となく眠気が襲ってくるのだ。 「廃墟ツアー、とか言って、無断で中に入る人はちょくちょくいたもんな……。それで、その人たちはどうなったの」  体の血流を少しでも良くするために肩や腕、首を回しながら尋ねると、母は目を少しだけ伏せ、悲しそうな顔をした。 「みんな、亡くなったんだって。現場に野次馬に行った人から聞いたけど、かなりひどい状態だったらしいよ。辺りが血まみれで、匂いもすごかったって」 「そう、なんだ……」 「ただ女の子が一人、奇跡的に無事だったんだよ。けど、頭を強く打ったみたいで記憶をなくしたらしくって」  記憶喪失なんて気の毒にねぇ、と独り言のように言いながら、母は洗濯物の入った袋を提げて病室を出て行った。  秒針の走る音が、訪れた静寂によってやけに大きく響いている気がする。僕は腕を組み、ベッドのヘッドレストに背中を預けた。 「その時、地震が起きた。大した揺れではなかったが、老朽化がたたったのだろう。私を囲っていたコンクリートには大きくひびが入り、建物は一気に崩れ落ちた。がれきが男たちの頭を容赦なくつぶしていく中、私はベッドの上で自分を守るようにうずくまって震えていた。揺れが止まり、顔を上げる。辺りは凄惨な光景が広がっていた。助かったのは私だけ。がれきの最後の一かけらが私の頭を掠め、そのわずかな衝撃は私の記憶を奪っていった」  文字数を少なくしたのも、誤字脱字をちりばめておいたのも、全てわざとだ。ああしておけば、僕が書き直す作業をしてから投稿しても不自然に思われない。一度校正をしただけで、後のことをすべてゴーストライターに任せるその怠慢に付け込み、僕はこうして密かな反逆を実行している。  僕は知っている。黒いページをつづるのは僕だけではないということを。だから世界は救われない。悲しい一ページを抱えて生きる人は後を絶たない。  それならばせめて、僕だけは。僕が手掛ける君だけは、どうか救われてほしい。  そのために、読めなかった文字列をあの世界での数年をかけて解読し、自らの名前の載った黒のページが僕に回ってくるのを待ち続けた。 「僕の記憶は失われなかった。ここでのことは、現実世界の自分と共有された。君の運命の一冊を守るために、僕は戦う」  僕の黒の一ページ。最後の文章は、こうして締め括られた。
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