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山々に囲まれたこの土地は、山と谷しかない閑散とした場所だった。ここが田舎で本当に良かったと思っている。物を隠すにはとてもいいところだった。小さなものを、散りばめて隠した。それはとても大事なものでもあり、嫌悪すべきものでもあった。必ず取りに来ると心に決めていた。あれはもう十年近く前になる。忘れていてもおかしくないようなその年月。忘れることのない記憶は、街のそこかしこにある。そして私はここを離れたのだ。この身の毛もよだつ記憶を残して。だって私はここで生まれて、育って――強姦に遭ったのだから。
新しい町は、そこもまた閑散としたところだった。もちろん自分でそういう場所を選んだのだから無理もない。町に唯一ある工場で働いていた。この職場は、給料こそ低いけれど私にはこれ以上にないほどに条件が良かったのだ。必死に探して決めた職場だった。あの頃は、本当に私は追い詰められていた。まだ高校三年生のときだった。
工場長の河江はいつも不機嫌な人だった。いつも誰かに対して小言を言っていたし、時には罵声も飛び交った。けれど、私はそんな小言も気にはならなかった。小言は言えど、それでも人をクビにすることのない人だったからだ。私にはもう行く場所などないのだ、と十年近くを働くことになる。その日々は、起きているほとんどを世の中の大人の大多数がそうであるように仕事に明け暮れていたのだけれど、私の生活は調べものといかに目立たず過ごすかにかなりの比重を置いていた。だから、そんな上司の元でもなんの気も揉まずに働けたのだと思う。私には、結果的に良い職場だった。
十八の夏に強姦に遭った。人も少ない塾の帰りだった。駅から家までは歩いて十五分ほどで、その距離は親が心配するようなものでもなかったし、心配してくれるような親でもなかった。私には父親しかいなかった。仕事中でもお酒を飲んでいるような、そんな父が一人。母は、酒浸りで暴力的だった父に耐えることができず、一人娘の私を残して家を出て行った。そのときの離婚届が箪笥の引き出しの中に仕舞われていることを私は知っていた。触れなかったのは、父なりに母への未練があると思ったからだ。なにより、私に対しても暴力を振るう父に、なるべく干渉しないようにしていたことの方が大きいかもしれない。触らぬ神に祟りなしということだ。たまにそれでも呼びつけられることがあり、なにかすこしでも気に食わないことがあると私はその度に父の拳を受けることになるのだった。当時の私は、そこかしこ――服を着れば隠れるところ――に痣がある子供だった。助けてくれる人がいなかったのだ。母が出て行ってしまったから。
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