十四歳

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「ティタ、こっちみたいよ」 六本木の美術館に入ると、娘が僕を展示コーナーへと導く。 『ティタ』とは、アンデス地方に住む人々の通用語で父を表す。発音が『チチ』と似ていなくもない。 今日は彼女の十四の誕生日。お祝いの食事を兼ね、インカ帝国をテーマとした美術展を訪れている。 〇 『お願い、私を助けて』 その声が聞こえたのは、研究室の隣りの小部屋で仮眠をとっている時だった。 『助けに来て』 夢の中で少女の声がもう一度響いた。 日本語の響きではなかったが、思いは通じた。 『君は誰だ?どこにいる?』 『……アンデス』 その単語とともに、雪と氷に覆われ、そびえる山脈の映像が浮かんだ。 それから三日三晩、同じ夢を見た。 〇 僕は休暇をとり、チケットを予約し、ペルーに向かった。 その国に行ったことはなく、現地は全く不案内だったので山岳ガイドも手配してもらった。 大学では登山部に入っていたので、山の旅は心得ているつもりだ。だが、標高六千メートルを超える登山は初めてだ。念には念を入れて準備した。 アンデスの麓に着いた時。山を登り始めた時。風が強く中腹でビバークした時。 少女の声が聞こえる。そして、その声は次第に強くなっていく。 現地は夏の盛りだったが、頂上付近の風景は夏のそれではなかった。 岩と雪と氷の世界。 なぜこんな所から、少女の声が聞こえたのか。 その謎は、登山の合間の山岳ガイドとの会話で少しずつ解けてきた。 今は滅びてしまったインカ帝国では、厄災が起きると、少女が生贄(いけにえ)にされてきたという。 この山には、五百年以上も前から多くの少女が眠っているのだ。 『ここなの』 頂上付近、頭の中でその声は、はっきりと響いた。 僕はガイドに手伝ってもらい、雪と氷塊をどけ、人工的に積まれている石を降ろし、穴を掘った。 土は凍っていて、なかなか掘り進めない。 やがて、小さな空間が出てきた。 そこは様々な供物で埋め尽くされていて、その真ん中にローブを纏(まと)った少女がいた。 残念ながら、彼女はミイラ化していて、当然ながら生きてはいなかった。 僕は怖さよりも不憫さと憤りを強く感じた。 彼女を生贄にした集落の人々はいったいどういう気持ちだったのだろうか。 彼女を生贄に差し出した家族は平気でいられたのだろうか。 彼女は五百年もの間、ずっと救いを求め続けていた……魂の救いを。 『私はもう、死んでいる……でも私の“未来”は生きている。お願い、助けてあげて』 目の前のいるミイラの少女から、僕の頭に直接メッセージが届く。 その意味を必死に考える。 なぜ、わざわざ地球の反対側にいる僕に訴えかけてきたのか? 多少なりとも山登りの経験があり、医学の研究をしているこの僕に。 合掌して祈りを捧げている山岳ガイドに頼み、この子を麓に降ろすことにした。 彼を介してインカ帝国の研究をしているペルーの大学の研究者に麓まで来てもらうことも頼んだ。 掘った小部屋を元に戻し、少女を二人で担いで麓を目指す。 小さく凍ったミイラの体は、悲しいほど軽かった。 〇 彼女を大学の研究者たちに託し、インカ文明の研究に役立ててもらうことにした。 僕は医師として、冷凍保存の前に一時間だけ彼女の調査をする時間をもらった。 「ごめん。少し痛い思いをさせてしまう」 そう言って、僕は彼女の体の一部をもらった。彼女の願いをかなえるために。 『ありがとう』 そう聞こえたような気もしたが、その声はか細く小さく、空耳だったかも知れない。 少女に別れを告げ、日本に戻った。 〇 僕は大学で不妊治療の研究をしている。 アンデスの少女がわざわざ僕に声を届けたのはそれが理由だったのではないか。 生贄の少女から取り出した『冷凍卵子』を人口受精させる。 彼女がそれを望むかどうかはわからないが、僕の精子を使わせてもらった。 受精に成功し、現在臨床実験段階にある人工子宮にそれを移し、育てる。 この医療技術は倫理的な課題がまだ残っている。自分の精子を使ったことも正しいかどうかわからない。 ただ、僕は五百年以上も前に生贄にされ、悲痛な声をあげ続けてきた彼女の思いを無視することはできなかった。 やがて、女の子が生まれた。 自ら出生証明書を作り、役所に出生届を出した。 その子に『ルピナ』と名付けた。 日本語では『ルピナス』と呼ばれる、アンデス山脈に鮮やかなブルーの花を咲かせる高山植物の現地語だ。 ある日、赤ん坊を連れて実家暮らしの家に帰ると、両親は驚き、ひどく説教を食らったが、可愛い女の子の姿を目の前にすると頬が緩み、詳しい事情も聞かずに子育てに快く協力してくれた。 〇 「ティタ(パパ)、こっちこっち」 中学校の制服姿の娘、ルピナが私を手招きする。 インカの現地語であるケチュア語を教わったことはないが、なぜか僕のことをこう呼ぶ。 やや褐色がかり鼻筋の通った容姿は、少し周りの目を引く。 展示コーナーの奥に一枚の絵が飾られ、その前に人だかりができている。 雪と氷の山で発見された女の子のミイラが考古学と医学の両面から復元され、一枚の絵画になった。 十四歳で生贄になった少女は、鮮やかなローブを身に纏い、装身具をつけ、ごくわずかに笑み見せている。 「わたし、ママと同じ十四歳になったよ」 ルピナが自分と瓜二つの絵画の母親に語りかける。『ママ』は現地語でもママなのだろうか。 『おめでとう。そして、三人の愛を育ててくれて、ありがとう』 絵画の少女は微笑みながら、無言で娘と僕にお祝いとお礼の言葉を贈った。 (了)
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