バロメッツの森で

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 森に人を立ち入らせてはならない。  地に屍をうずめてはならない。  一族の掟なのだという。僕は先生に言われた通り、森を守り暮らしていた。    森は山麓にひっそりと佇んでいた。  尻窄んだ地形の岩肌に囲まれ、湿った暗闇をいつも漂わせている。  僕はこの森で先生に育てられた。  正確に言えば、森と平野の境界を広く見渡せる敷地に建てられた小さな家で、だ。  森は季節ごとに表情を変えた。春には花が芽吹き、夏には葉が青く繁り、秋になれば鮮やかに色づいた。暮らしは常に森と共にあった。だから、僕は森を守りながら先生と暮らすことに何の抵抗も無かったし、疑問も抱いてはいなかった。  先生の名はマリオンといった。  痩せた長身の女性で、クセのある赤毛を背中まで伸ばしていた。鳶色の瞳とぺちゃんこな鼻、色素の薄い肌の周りには白茶の雀斑がポツポツとあった。髪の生え際には白髪がチラついていて、よくその事を気にしていた。 「ねぇ、これ目立つかなぁ」  鏡の前に座った後、先生は決まって僕に尋ねた。 「別に変じゃないと思うよ」 「本当に?」 「本当だよ。それに、ここには先生と僕しかいないんだから、気にする人はいないよ」 「そっか。そうだよね」  そう言って先生は微笑んだ。  先生の役目は森を守ることだった。  人の侵入を防ぎ、森の動植物が病に冒されていないかを日々確認する。  先生は朝の早い時間から長い癖毛を一つにまとめ、森に向かう支度を始めた。僕も眠たい眼を擦りながら、朝食の用意を手伝った。 「トムは今日何をするの?」  二人暮らしだ。僕の仕事も少なくない。 何を、いつやるのか。その裁量は僕に委ねられていた。 「暖かくなってきたし、サトイモの芽出しの準備をするよ。ドリーの毛刈りもしてあげたいけど、時間次第かなぁ」 「いいんじゃない。夕食は作るから材料をまとめておいて」 「わかった。気を付けてね」  片手を上げると、先生は僕に応えるように大きく手を振った。そうして朝靄が漂う森へと歩いていくのだ。  家の周りには畑があった。なるべく沢山の種類の作物を育てたかったので、僕は畑をいくつかに分け、区ごとに異なる種を植えていた。  昨年の秋、畑から少し外れた一画にサトイモを埋めた。越冬させて春に種イモとして使うためだ。サトイモは、可食部位である根っこの部分がそのまま種の役割を果たす。作物の採れない冬に保存が効く貴重な栄養源であると同時に、次の年の礎になる訳だ。  土を入れた大きめの桶に種イモを等間隔に埋め、軽く土を被せた。黒い布をその上から更に被せ、土の温度が保たれるようにする。  こうしておけば、一か月程で発芽するだろう。  僕は服の袖で額を拭った。陽光が燦々と差している。午後になれば西側にある霊峰に陽が隠れて辺りは薄暗くなってしまうが、午前中はまだ明るい。というか暑いぐらいだ。 「昼夜でこうも気温が違うと困っちゃうよね」  呟くと、傍らで草を食んでいたドリーがめええ、と鳴いた。冬の間に蓄えた柔らかい毛がモコモコと膨らんでいる。暑くなれば上着を脱げばいい僕らと違い、ドリーの毛は簡単には刈れないし、刈ってしまえば再び身につける事はできないのが難点だ。 「暑いよね。でも、モコモコが無くなったら夜が寒いぞ?」  首の辺りの膨らんだ毛をクシクシと触る。ドリーは気持ちよさそうに目を細めた。
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