バロメッツの森で

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 昼下がり、森から帰ってきた先生と昼食を取っていると戸を叩く音があった。 「あら、ジーンさんかしら」  先生は急いで玄関へと向かう。  扉の先には顔の半分を真っ白な髭で覆った大柄な老人の姿があった。 「やぁ、マリオンさん。入り用かと思ってね。食事中だったかい?」  浅く被った帽子のつばを少しあげながら、老人はにこやかに微笑んだ。  ジーンさんは片道二時間ほどの道を歩いて川下の村からやって来た。ロバの引く荷台には油や塩、その他様々な品が載っていて、こちらの要望に合わせて物を交換してくれた。 「村の様子はどうですか?」 「ひどいもんでさぁ。若いやつが片っ端から兵に取られちまうもんで手が足りない。なんとかこの冬は越せたものの、次はどうなるか」 「……そうですか」  話し込む二人を見ていると、ジーンさんの後ろに小さな人影がある事に気がついた。ひょこひょこと動きながらこちらの様子を伺っている。 「ああ、紹介しなくちゃなあ。孫のリーンでさぁ。ほら、ちゃんと挨拶だ」  ジーンさんの手に背中を押され、小さな影はこちらに足を踏み出した。 「……リーンといいます。よろしくお願いします」  小麦色のキャスケットを深く被り、オーバーオールを身に纏った少女がそこにいた。慎ましやかな挨拶と対照的に、視線がキョロキョロと忙しい。 「あら、ご丁寧な挨拶をありがとう。私はマリオン。こっちの男の子はトムというの」  先生は僕の方に振り向き、目配せをした。  挨拶を、というサインだ。 「トムです。よろしく」  僕は立ち上がり、頭を掻きながらボソリと呟いた。先生がにっこりと微笑む。リーンは好奇心一杯の輝く瞳でこちらを見つめていた。   「トムはずっとここにいるの?」 「うん」 「産まれた時から、ずっと?」 「たぶんそう」  先生が仕事の話をしている間、僕はリーンの相手をする事になった。  ジーンさんの目が離れた途端、リーンは僕を質問攻めにした。 「あなた、髪が真っ黒。珍しいわ。お母さんの赤毛と違うのね」 「お母さん?」 「マリオンさんよ。お母さんでしょ?」  お母さん、という言葉の意味は知っている。 「先生は先生だよ。僕はそれ以外の言葉で先生を呼んだことないもの」 「ふーん。フクザツって事かしら」  リーンは不思議そうに首を傾げた。 「ねぇ、トムは村に来ないの? 私こんな所に子供がいるとは知らなかったわ」  こんな所、とは随分と失礼な言い草だ。 「行かないよ」 「どうして?」 「行きたいって思わないもの」 「同じ年頃の子供が何人かいるわ。ジャンにメープル、あとリンダも。人数が集まれば、色々な遊びができるのよ。ひとりでいるよりずっと楽しいわ」 「僕はひとりじゃないよ。先生がいる」 「なんだ、甘えん坊さんなのね」  フン、と鼻を鳴らしてリーンは笑った。僕はなんだか不愉快な気持ちになって、わざと口数を少なくした。仕事を終えたジーンさんに彼女を迎えに来て、僕はやっと一息をつくことができた。  去っていく二人の背中とロバのお尻を見送りながら、先生は僕に尋ねた。 「リーンとは仲良くなれた?」 「僕、あの子好きじゃないよ」 「あら、そんな事言わないのよ。お友達なんだから」  友達じゃない。僕はそう言おうとしたけれど、言葉がうまく出てこなかった。そのかわり、何故か熱いものが目の奥から込み上げてきて咄嗟に顔を伏せた。  目と鼻の先にエプロンを付けた先生のお腹がある。良い香りのするその場所に顔を擦り付けたかった。けれどリーンに言われた「甘えん坊」という言葉が脳裏にチラついて、僕はどうにも俯くことしか出来なかった。
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