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部屋に入ると、ニナは男に向き直る。
「あの、お願いがあります」
男は、不思議そうに、眉を寄せる。
ニナは、何故自分がこんな願い事をしなければならないのか、分からない。だがしない訳にはいかなかった。
「お金が欲しいんです」
「はぁ」
男は、気の抜けた返事をして先に作業部屋に入って行く。
ニナは、男を目で追う。
「ひと月、モデルの仕事をします。そのお給料を先に欲しいんです」
男は、机に腰をすがらせてニナを見る。
「ひと月もいらないよ」
ニナは、不安になる。
「じゃあ、一週間でもいいので」
「その前に、話が聞きたい」
「え」
「なんでお金がいるの……ああ、愚問だった。貧乏だからか」
ニナは、顔を歪める。
「ほら、また顔に出てる。よくそれで今まで生きて来れたな」
「何なんですか」
「あんたさあ、何なの? 何であの本、盗もうとしたの? 要らないでしょ、文字も読めない貧乏人には」
ニナは、固く口を閉ざす。絵が好きだからだとか学びたかったからだとか本当の事を話しても笑われて馬鹿にされるだけだ。画材も買えない、大学にも入れない貧乏人のくせに。そう言われるのがオチだ。
ニナは、語らない。だが男は、黙って待っている。
なんでそんな事、聞きたいの?
ニナは、苛立ちから男に問いかける。
「あなただって、何なの?」
「なにが?」
「何であんな貴重な本を捨てたのよ。わざわざ洗濯室の近くのごみ箱に」
男の目が鋭くなる。睨む様にニナを見て、顔を背けた。
「関係ないだろ」
「私だって、関係ないわよ」
男は、ふっと鼻で笑うとニナを見た。
「あんた、絵が好きなんだろ」
「え」
裸を見られた時以上に、辱められた気がした。
男は容赦なく言葉を続ける。
「だからあの本を盗もうとしたんだ。この部屋に入った時もじっと見てたよな。でも大学にも入れないしな。残念だったな。金がないと画家にもなれない。あんたみたいな好きってだけの貧乏人にパトロンが付く訳無いし。投資ってのは、才能にするもんだからさ」
ニナは、黙って聞くしかなかった。その通りだと自分でも思った。
なのに涙が滲む。
男は、ニナに歩み寄る。
ニナは、涙の滲んだ目で男を睨みつける。
男は平然とニナに顔を近付け、キスをした。
ニナは、訳が分からない。
何なのこの人。何なの……。
男は、唇を離すとニナに囁く。
「金なら用意するよ。あんたと違って、うちは金持ちだから」
ニナは、男を睨んだ。憎らしく、恨めしく、嬉しかった。
ニナは、自分を汚れたと感じた。どんなに血に染まったエプロンを洗濯していても、それで自分が汚いとは思っていなかった。
男がまたキスしてきた。それ以上を求めて来る。ニナにはもう拒むことが出来なかった。
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