(7)

1/1
前へ
/8ページ
次へ

(7)

『わたしの清めの着物は、文乃に譲る。「曰くつき」に向き合うことのない人間には、意味のないものだから』  空中に浮かび上がった文字からは、祖母の声が聞こえるようだった。けれど祖母の声音は、文乃の記憶の中にあるものよりもずっと厳しいものだった。 『お義母さま、それではまるで上の娘はあなたの孫ではないとおっしゃっているようですわ』 『……ふたりとも、わたしの可愛い孫だとも。血の繋がりだけが家族ではないからね。けれど井手本家の血筋に課せられた役割を忘れちゃならない』 『あのひとと一緒に死なせてほしかったのに!』 『それでも飲み込んで生きていかねばならぬこともある。いずれ時薬がそなたを癒すであろうよ』  どうして母が自分を嫌うのか、理解できなかった。けれど、祖母の――正確には祖母の着物の――記憶を見てなんとなく思い至った。  母には父以外に好いた相手がいたのだろう。相手が死んだのか、それとも無理矢理別れさせられたのか、母は父と結婚した。お腹に、本当に愛したひととの子どもを宿したままで。  時間によって癒されることはなく、ただ過去にすがる母。母をこの世につなぎとめるために、姉も必死だったのかもしれない。  どうしようもない家族だった。それでもいつか傷も色あせもすべて自分なのだと思える日が来るかもしれない。だから自分は、今できる最善を信じて歩き続けるしかないのだ。 「大丈夫か?」 「清月がいるから、平気です」  黒々とした文字は、文乃たちの周りを埋め尽くしていく。 「文乃の物語はこれからだ。新しく始まる物語は、今までよりもずっと面白いぞ。俺が保証してやる」 「ありがとう」  胸の内の怒りや悲しみは、火事と一緒に燃え尽くされたのだろうか。あるいは気が付かないほど深いところで、火種としてくすぶり続けるのだろうか。それでも、清月がいれば大丈夫だと文乃は思う。繋いだてのひらは、驚くほど優しく温かかった。  翌朝、井手本家は母屋も蔵もすべてが焼け落ちた状態で発見された。火事の激しさとは裏腹に、死者がほぼ出なかったことだけは幸いだと周囲は囁き合った。呆然と立ちすくむ母娘は口もきけぬ有様だったが、身内を亡くした心痛によるものだろうと片付けられた。  その火事で命を落としたのは、文乃と呼ばれた少女、ただひとり。そして財宝が山のように溜め込まれていると噂されていた井手本家の蔵の中には、消し炭どころかなにひとつ残っておらず、親戚一同をがっかりさせたのだった。
/8ページ

最初のコメントを投稿しよう!

24人が本棚に入れています
本棚に追加