よく晴れた日、洗濯物が終わるまで(短編)

1/1
前へ
/1ページ
次へ
 洗濯機の表示に残り時間は10分と教えられて、私はリビングのソファに腰掛けた。  テーブルにはコーヒーと、小さい頃から好きなチョコとビスケットのお菓子。それから封筒が置いてある。  封筒から便箋を取り出して、あなたの丸い字を読み始める。  直子さん、久しぶりです。  急な手紙で驚かせてしまったかもしれません。  電話やメールではどうしても言い出せなくて、手紙で話したいと思って書きました。  直子さんが夢を叶えて、好きなことを仕事にして、頑張っていることはすごいと思っています。  でも、本当は焦っています。本音はとても悔しい。希望の会社に内定を貰えず、いろんなことを諦めて、今の仕事をしているから。  自分の彼女はちゃんと夢を叶えたのに、僕は何をしているんだろうと、苦しくなっています。  通勤電車の人の多さには、何ヶ月経っても慣れません。  愛想よく、根気強くやっていくのは苦手ではなかったはずなのに、何だか毎日目眩がします。  一日がこんなに長くて、短くて、真っ暗なのは生まれて初めてです。  朝がくるのが本当に嫌だよ。  早く週末になって、直子さんに会いたいです。今度は直子さんが僕の部屋に来てくれることになっていますね。  また、一緒に温泉へ行きたいね。直子さんの好きなあの山の景色を二人で見たい。  あの山を見ながら、直子さんだけにした夢の話をまたしたい。笑わないで聞いてくれたのは直子さんだけだから。  夢を叶えた直子さんに力を貰うね。  それでは、また会いましょう。  私は色褪せた封筒に便箋を戻した。 (会いたい)  風が吹いて、白いカーテンがふんわりと膨らんだ。  もしも会えたなら、二人でどこへ行こう。  遠くへ出掛けてもいい。ホテルを予約して、車に乗って。途中で運転を交代するから、その間、あなたは寝ていていいよ。特別じゃなくていい。近所の牛丼屋さんでも、ファミレスでも。スーパーでお惣菜を買って食べてもいい。  二人で行くなら、遠くても、近くても、どこでもいい。  あなたの指が好きだった。ベッドで頬杖ついて、私を見るあなたの長い指が。  素晴らしく晴れたなら、どこにもいかないで洗濯物を乾そう。あなたはきっと溜め込んでいるはずだから。  青い空の下で、きれいになったあなたの服を、タオルを、シーツを、たくさん乾したい。  部屋にたっぷり風を入れて、乾した洗濯物を眺めながら、二人でお昼寝をしよう。  洗濯物が面倒くさいならゲームをしていていてね。一人で乾していても、あなたの存在が背中で感じられればいい。  ランチは私がパスタを作る。あなたの好きな、にんにくと鷹の爪多めのペペロンチーノを。  おやつはやっぱり、チョコとビスケットのお菓子がいいな。 (もう、会いに行けない)  私は目を閉じて思い出している。  それは、遠い昔のあなた。 (あの頃には戻れない)  コーヒーを一口飲んで、ソファによりかかる。  普段、ここは子どもたちや夫が占領している。家に誰もいないときにしか座れない特別席。  あの頃。夢を叶えて就いた仕事は一年も続かなかった。転職して、違う仕事を3年して、あなたを忘れた。  とっくに別れていたのに、忘れるのに3年もかかった。  あの手紙が家に届く前に、あなたと私は小さな喧嘩をして別れた。自らの夢を追って、あなたは私から離れていった。  あれから何年経つのかな。  友人から、あなたは遠い国で夢を叶えたことを聞いたのも随分前のこと。  洗濯物が終るまで、あなたに思いを馳せている。  今、子育てが一段落して、私は新しい夢に向かってもう一度歩いている。心が折れそうなとき、あなたからの手紙を読む。  胸に押し寄せるのは、懐かしい痛みと、あなたへの恋心。でも、それらはやがて消えていく。  残るのは光。  あなたは道標だから。  夢を追いかけて、遠くで叶えたあなたは、今も眩しい。    洗濯機が終了のブザーを鳴らした。    さあ、もとの私に戻ろう。    光があるから迷っても大丈夫。  日常の忙しさに揉まれても。悲しい出来事に心が乱されても。  今はお母さんに戻って、子どもが汚したたくさんの洗濯物を乾そう。素晴らしく晴れた空の下へ。  
/1ページ

最初のコメントを投稿しよう!

0人が本棚に入れています
本棚に追加