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洗濯機の表示に残り時間は10分と教えられて、私はリビングのソファに腰掛けた。
テーブルにはコーヒーと、小さい頃から好きなチョコとビスケットのお菓子。それから封筒が置いてある。
封筒から便箋を取り出して、あなたの丸い字を読み始める。
直子さん、久しぶりです。
急な手紙で驚かせてしまったかもしれません。
電話やメールではどうしても言い出せなくて、手紙で話したいと思って書きました。
直子さんが夢を叶えて、好きなことを仕事にして、頑張っていることはすごいと思っています。
でも、本当は焦っています。本音はとても悔しい。希望の会社に内定を貰えず、いろんなことを諦めて、今の仕事をしているから。
自分の彼女はちゃんと夢を叶えたのに、僕は何をしているんだろうと、苦しくなっています。
通勤電車の人の多さには、何ヶ月経っても慣れません。
愛想よく、根気強くやっていくのは苦手ではなかったはずなのに、何だか毎日目眩がします。
一日がこんなに長くて、短くて、真っ暗なのは生まれて初めてです。
朝がくるのが本当に嫌だよ。
早く週末になって、直子さんに会いたいです。今度は直子さんが僕の部屋に来てくれることになっていますね。
また、一緒に温泉へ行きたいね。直子さんの好きなあの山の景色を二人で見たい。
あの山を見ながら、直子さんだけにした夢の話をまたしたい。笑わないで聞いてくれたのは直子さんだけだから。
夢を叶えた直子さんに力を貰うね。
それでは、また会いましょう。
私は色褪せた封筒に便箋を戻した。
(会いたい)
風が吹いて、白いカーテンがふんわりと膨らんだ。
もしも会えたなら、二人でどこへ行こう。
遠くへ出掛けてもいい。ホテルを予約して、車に乗って。途中で運転を交代するから、その間、あなたは寝ていていいよ。特別じゃなくていい。近所の牛丼屋さんでも、ファミレスでも。スーパーでお惣菜を買って食べてもいい。
二人で行くなら、遠くても、近くても、どこでもいい。
あなたの指が好きだった。ベッドで頬杖ついて、私を見るあなたの長い指が。
素晴らしく晴れたなら、どこにもいかないで洗濯物を乾そう。あなたはきっと溜め込んでいるはずだから。
青い空の下で、きれいになったあなたの服を、タオルを、シーツを、たくさん乾したい。
部屋にたっぷり風を入れて、乾した洗濯物を眺めながら、二人でお昼寝をしよう。
洗濯物が面倒くさいならゲームをしていていてね。一人で乾していても、あなたの存在が背中で感じられればいい。
ランチは私がパスタを作る。あなたの好きな、にんにくと鷹の爪多めのペペロンチーノを。
おやつはやっぱり、チョコとビスケットのお菓子がいいな。
(もう、会いに行けない)
私は目を閉じて思い出している。
それは、遠い昔のあなた。
(あの頃には戻れない)
コーヒーを一口飲んで、ソファによりかかる。
普段、ここは子どもたちや夫が占領している。家に誰もいないときにしか座れない特別席。
あの頃。夢を叶えて就いた仕事は一年も続かなかった。転職して、違う仕事を3年して、あなたを忘れた。
とっくに別れていたのに、忘れるのに3年もかかった。
あの手紙が家に届く前に、あなたと私は小さな喧嘩をして別れた。自らの夢を追って、あなたは私から離れていった。
あれから何年経つのかな。
友人から、あなたは遠い国で夢を叶えたことを聞いたのも随分前のこと。
洗濯物が終るまで、あなたに思いを馳せている。
今、子育てが一段落して、私は新しい夢に向かってもう一度歩いている。心が折れそうなとき、あなたからの手紙を読む。
胸に押し寄せるのは、懐かしい痛みと、あなたへの恋心。でも、それらはやがて消えていく。
残るのは光。
あなたは道標だから。
夢を追いかけて、遠くで叶えたあなたは、今も眩しい。
洗濯機が終了のブザーを鳴らした。
さあ、もとの私に戻ろう。
光があるから迷っても大丈夫。
日常の忙しさに揉まれても。悲しい出来事に心が乱されても。
今はお母さんに戻って、子どもが汚したたくさんの洗濯物を乾そう。素晴らしく晴れた空の下へ。
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