いちばん悪いのは誰ですか?(掌編)

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 料理が運ばれてきたあたりから田中はスマホばかりいじっていた。そして、ついに立ち上がり、 「ごめん、妹が怒ってるから帰る」 と、言った。 「わたしはどうすればいいの?」 「木村と帰ればいいじゃん」  田中はそう言うと、さっさと居酒屋を出ていく。テーブルの上には一万円が置かれている。  店に残された後輩木村と竹井美南はぼうぜんとして顔を見合わせるしかなかった。  美南は大きなため息のあと、まだ冷たい一杯目のビールを飲み干す。 「妹の機嫌を損ねたから帰るって、なんなの?」  彼氏である先輩田中は彼女の美南より妹が大切らしい。 「ごめんね、木村くん」  会社の先輩に呼び出されたと思ったら、先輩の彼女だけ残して先に帰られてしまった。  竹井美南は申し訳無さそうに木村の顔を覗き込む。 「わたし、一人で帰れるからほっといても大丈夫だよ」  もう酔っているのか、色白の頬が少し赤い。 「でも、田中さんに頼まれたから」  ほんのり色っぽい竹井美南から木村は視線をそらした。  この春に移動してきた美南は木村のどストライクのタイプでもあった。初めてみたときからかわいいと思っていたのに、まさか先輩田中と極秘で付き合っているとは思わなかった。  秘密を唯一知っている男として居酒屋へ呼ばれたのだけれど、その田中が一人で帰ってしまうなんて。  「田中ってひどくない?」  美南はもちろんプリプリと怒っている。 「彼女のことを後輩に頼んで帰るかな」 「おいて帰りますかね」  木村ならそんなことはしない。 「この前の休みだって、もうすぐ妹の誕生日だからって一日中プレゼント選び付き合わされたんだよ? 付き合ってまだ2ヶ月だよ? 怒っているのに」 「田中さん、妹好きですね」 「好きすぎる」 「ちょっと異常ですね」 「異常の中の異常。変態の中の変態。クズの中のクズ。ゲスの中のゲス」 「それは言い過ぎ」  ツッコまれて美南はクスクスと笑った。  少し機嫌がなおったのかもしれない。木村はホッとして、田中の頼んだからあげを頬張った。 「まあ、いいや。あんなヤツは先に帰ってくれたほうがよかったの」 「そんなことないですよ」 「だって、そのお陰で、わたしは木村と二人きりで話せたし」 「僕と?」  木村の心臓がピョコンと跳ねた。 「だって、木村はモテるから。いつも誰かと一緒で、なかなか話すチャンスなかった」 「僕はモテませんよ」 「モテるよ」 「モテませんって」 「モテるよ。かっこいいから」 「そんなの初めて言われました」 「そうなの? 遊んでそうだけど?」  木村は視線を外して苦笑いをした。褒められたと浮かれた途端、けなされた気がする。 「なーんか。その言い方、トゲがあります」 「ごめん。怒る?」 「別に怒りませんよ」 「木村ってさ、仕事もできるからね」 「急に何ですか」 「だって。こんなに仕事ができる人は初めてだから」  美南はまた木村の顔を意味ありげに覗き込んだ。 「まさか。僕なんて大したことないですよ」 「謙遜しないで。ちょっとデキすぎて怖いから。ムカつくし妬ましいから」 「褒めてそうで褒めてないんですか? 僕のこと嫌いなんですか?」 「嫌いなわけない。褒めてるよ。褒めてるの。めちゃくちゃ」  美南は真剣な眼差しで木村を見つめた。木村は誤魔化すようにビールを飲んだ。頼んでいた料理もお酒もなくなり、二人の間に濃厚な沈黙が横たわっていた。 「そろそろ出ようか」  田中のおいていった一万円を握りしめ、美南がいう。 「出ますか」  木村はうなずいた。予感めいた何かが木村の足元から湧き上がり、ギラギラしながらうごめいていた。 ★  店の外へと出る。生温い風が吹いている。美南は黙って駅へ向かって歩き出した。慌てて追いかける木村に、美南がそっと体を寄せた。 「木村はいい匂いする」 「香水つけてますから」  でも、それは田中に教えてもらった香水だった。  (いい匂いというのは田中さんの匂いだからかもしれない)  そう考えると、木村は少し寂しい。 「実はね。香水って苦手なの」  美南が小声でいう。そして、木村の手をそっと掴む。木村はされるがままだった。 「でも、木村ならいい。木村のはいい匂い」 「先輩が怒りますよ」 「いいよ」 「何言ってるんですか。よくないですよ」  そういいながら、美南のしっとりと柔らかい手を振り払うことはできない。 「木村。一緒にさ、悪いやつになろう?」  美南は甘く囁いた。 「でも」  それは裏切りだ。田中さんへの裏切りだ。 「田中のことなんて気にしなくていい」 「そんなこと無理ですよ」  美南は酔っているのだろうか。その顔をのぞきこむと、えぐるような視線が木村に突き刺さった。 「知ってるくせに」  酔いとは逆の、むしろ恐ろしいほどに冴えた声が耳に響く。 ーー知っているくせに。  背筋に冷たい汗がスルリと流れた。 「何をですか?」  訊ねると、美南はクスクスと笑う。 「木村は田中の妹に会ったことある?」  唐突に訊かれ、強い視線に負けて、 「ありますよ」  と、答えてしまった。 「それなら知ってるよね。妹って、妹じゃないでしょ?」  美南の口元がわずかに歪んだ。 「何、言ってるんですか?」  何とかはぐらかしたい。木村はわざとらしく笑ってみせた。そんな演技は美南に通用するわけがなかった。 「妹じゃなくて、奥さんでしょ?」 「いや、あの、違いますよ」 「会ったことあるなら、知ってるでしょ?」  手を握りしめる力が強くなっていく。 「知ってるんでしょ?」  木村は答えられなかった。答えないことは、否定できないということ。正解を教えているようなものだ。 「ねえ木村。だから悪いやつになろう。私たちも」 ★  駅について、私鉄に乗る木村を見送り、JRのホームで美南は舌打ちをした。木村からメッセージが届いていたからだ。美南は迷わず木村の連絡先をブロックする。そして、美南にすっかり気を許したそいつから聞き出した目的の個人情報を確認し、そのひとつである携帯の電話番号に電話をかけた。 「もしもし? 田中さんの奥さんですか? わたし、田中さんと一緒に働いているものなのですが、田中さんに無理やり襲われたんです。証拠もあります。奥様は何か聞いていませんか? 訴える準備もできているのですが、わたしも人の目があるのであまりしたくなくて。まあ、それなりのものをいただければですが……」
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