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再び視界がはっきりしてくると、私たちは歩道橋の上にいた。
立体交差が見える。
「……見たよね」
「うん……」
咲乃と私は放心状態から戻ってくるのに少し時間がかかった。
夜耳堂さんはもちろんそこにはもういなくて、屋台も消えている。
スマホの電波は微弱だけど生きていて、時計表示も戻っていた。
「それでもまだ十八時か……」
「あ!」
「急にどうした図書委員探偵?」
「なんだそれ。ほら、あの大学生! スマホのカメラで撮影してた」
「……おお、そうか。何か映ってるかも」
私たちは急いで歩道橋を降りた。
「いた!」
おじさん大学生はまだいた。撮影のセッティングもそのままだった。
「オイ、なんだよ?」
おじさん大学生は目をギョロつかせて私を見た。
走ってきたので、私だけが先に着いてしまった。咲乃は足が遅いのだ。
「あの……さっきからずっとここにいたんですか?」
「……いたけど?」
おじさん大学生の反応からすると、私たちと同じものは見ていないようだった。
「あ、あの、変なお願いで申し訳ないんですけど、撮影された映像を見せてもらえませんか?」
なるべく低姿勢で頼んでみる。
「は? なんで?」
「じつは……芸術系の高校を受験しようか悩んでいまして、映像系の作品に興味があって……」
もちろん嘘だけど。
「………………まだ作品なんてもんじゃないけど、見るだけなら」
「あ……ありがとうございます! これ、巻き戻してもいいですか?」
私が交渉している間に咲乃が息を切らせて追いついてきていた。
二人でスマホの画面を覗き込む。
シークバーを動かして、ここ一時間ぐらいの動画を飛ばし飛ばし確認してみたけど、たまに歩行者や車が通っているぐらいで、立体交差が変形したり、消えたりといった変な場面はなかった。時間的な変化といえば、空が暗くなっていっていることぐらいだ。こんなの課題として提出されてもどうやって評価するんだろう?
まあでも、それは予想していたことだった。
夜耳堂さんは私たちにしか見えていなかったのだ。
それを存在すると言って良いのか、私には分からない。
「……ありがとうございました。興味深かったです……」
お礼を言うのは当然だけど、それ以上のコメントがしづらい。
「良かったら、これ」
そう言って、おじさん大学生は名刺をくれた。
「そこのQRコードで作品を公開してるサイトに飛べるから、興味があったら」
「どうも……。今日の作品もそのサイトに上げるんですか?」
「まあ、そのうち」
無愛想だけど、そんなに悪い人でもなさそうだった。
私たちは一礼してその場を去った。
「なーに、さっきの」
帰り道で、咲乃が笑う。
「令歌があんなに嘘つきなんて知らなかったな。もう信じられない」
「もうそれは良いじゃん」
歩いているうちに分かれ道が近づいてくる。
「……東高行くって言ってたよね?」
「え……? そうだけど。咲乃もでしょ?」
「うん……。近いし。……それにしても『アクロイド殺し』だよ」
「なんだそのテンション」
「読んでつまらなかったらどうしてくれるんだ」
「でも読むんだね。アガサ・クリスティーに文句言えば?」
「またそんな……」
「…………あれ? そう言えば『注文の多い料理店』ってどういう話だったっけ?」
「嘘つけ」
「いやほんとに……」
「はいはい。宮沢賢治によろしく」
*
後日。
ふと思い出して、もらった名刺のQRコードを読み込んで、おじさん大学生のサイトを見た。
黒い背景のシンプルなサイトで、動画が並んでいる。
その中に、『彼女が立体交差を見たいと言うので』というタイトルのものがあった。
九分五十二秒の長さに編集されたその動画には、あの日の立体交差が映っていた。
あの日、スマホの小さな画面で確認した時には気が付かなかったけど、動画には歩道橋も少しだけ映っていた。ぎりぎり私たちは映るか映らないかといったポジションだった。
「あ……」
自転車の車輪のようなものが見切れている。
そして誰かが点した灯りが、歩道橋の隙間からかすかに漏れて夕闇に浮かんでいた。
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