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写真を数枚撮った蒼太は、自分が収めた藍の姿をまじまじと見つめる。どれもとてもいい写真だった、藍の笑顔はどれも自然であり、なんとも人間らしい。
「撮ったの見せて」
隣に座ってきた藍に、蒼太はビクリと肩を跳ねさせる。「うん、いいよ」とカメラを藍に手渡した。
「…やっぱり春さん相手だと自然だな」
写真を見た藍の感想に、蒼太は驚きを見せる。藍自身も自覚があったのか、と思いながら「それってどういう意味?」と聞き返した。
「春さんと居ると落ち着くんだ、無理に演じようとしなくても気づいたら笑っちゃうんだよなぁ」
蒼太は藍の言葉を信じたくなかった。藍にとって春斗は特別な存在なのだろうと嫌でも理解出来てしまう。春斗と居る時のみ、藍の感情は動き出すのだ。それは蒼太にはなり得なかったことで、蒼太が望んでいた藍との関係だった。
「春斗さんの前では素なんだね」
「まぁ普通にバレただけなんだけどさ、春さん俺の演技を簡単にみやぶりやがってさ、勘がいいというか鋭いんだよなー」
こうして蒼太の隣で話している藍の鼓動は、いつもの静かな音に戻ってしまっていた。蒼太は春斗に対する嫉妬心で胸が圧迫されるようだった。
リハが始まるまで、蒼太のモヤモヤとした気持ちは収まらなかった。しかしいざリハが始まってしまうと、蒼太の知らないアイドルとしての藍の姿に釘付けにされてしまう。テレビ等で少しだけ目にしたことはあったが、今のようにまじまじと見たことなどなかったためにその衝撃は大きかった。
楽しそうに笑顔を見せ歌っている藍は、普段の藍の面影すらなく正真正銘のプロだった。蒼太は写真を撮ることすら忘れてしまうほど、藍の虜になっていた。
「いい写真撮れたかー?」
リハが終わりステージを降りた藍が、蒼太の元へ近づいてきた。
「う、うん。すごいいい感じ」
すっかり藍に見惚れてしまっていたせいであまり撮ることが出来なかったなど、口が裂けても言えなかった蒼太は誤魔化すように笑った。
「よし、今日だけで大分収穫があったな。あ、俺たちこれから最終確認あるからちょっと離れるな。暇だったら楽屋戻ってもいいし適当にぶらぶらしてて」
「うん分かった」
残された蒼太は特に行くあてもなかったため、とりあえず楽屋に戻った。楽屋には誰もおらず、蒼太はのびのびと椅子に座る。まだライブが始まってもないと言うのに、蒼太の感情はぐちゃぐちゃと変化しすぎていた。
カメラを手に持ち、今日撮った藍の写真を振り返る。今日の藍は完全にアイドルとしての藍のため、当たり前だがどの写真も表情豊かだった。やはり藍はただカメラを向けられるだけなら大丈夫なようだ。
蒼太は一通り今日撮った写真に目を通すと、とある一枚の写真をもう一度凝視した。春斗と話している時の藍の写真は、今日撮った中で一番よく撮れていた。本当に心から笑っている事が写真を見て分かるように、写真の中の藍は穏やかな表情をしている。蒼太の本来撮りたかった藍の姿だった。偽りではない藍の笑顔、本来ならそんな藍を撮ることが出来て喜ばしいところだが、その笑顔を引き出したのが自分では無いことに蒼太は嫉妬した。
「あっ」
ガチャりという音に反応した蒼太は反射的に振り返る。するとそこには、気まずそうに腰を低くして楽屋に入ってきた春斗がいた。
「あれ…春斗さん藍達の元へ行かなくていいんですか…?」
「俺はもうバッチリなんで、藍もすぐに戻って来ると思いますよ」
春斗は蒼太から少し離れた椅子に腰かけた。楽屋内に気まずい沈黙が流れる。こういった空気が苦手な蒼太は春斗の方へ体を向け口を開いた。
「あの、藍とはいつから知り合ったんですか?」
「七年前ぐらいですかね、コンビを組んでからは五年程経ちます」
そんなに長いのか、と蒼太は目を見開く。
「ちなみに今回の藍と蒼太さんの同居の件、藍を説得したのは俺なんですよ」
春斗は思い出したかのように言葉を付け足す。まさかの事実に蒼太は「えっ」とあっけらかんとした声を出した。
「そうだったんですか…?」
「ええ、黒井さんから頼まれたので。黒井さんじゃ説得しきれなかったらしくて、あいつ相当渋ってて結構大変でしたよ」
黒井の奥の手とはこの事だったのか、と蒼太は気づく。あの頑固な藍を説得出来るなんて本当にこの人は何者なのだろうという違和感に、蒼太の頭は混乱した。
「凄いですね…藍を説得できるなんて」
「まぁ、あいつ俺の言うことは結構聞くので」
サラッととんでもない事を口にした春斗に対して、蒼太は息が詰まるような感覚に襲われる。なんという自信なのだろうか、まるであの藍を手懐けているような言い分だ。やはり春斗は藍にとってただの友人や相方という枠組みではない、そう確信した蒼太は「…春斗さんは藍の本性を知っているんですよね…?」と思い切った質問をした。
「本性…ですか…?」
「はい、どうして藍の本性に気がつくことが出来たんですか?」
春斗は少し驚いたような表情で「思い切ったことを聞くんですね」と蒼太の顔を見た。
春斗が何故藍の本性に気づくことが出来たのか、藍の演技は完璧といっていいほど仕上がっている。蒼太も鼓動の音が聞こえなければ周りの人間と同じように、一生藍に騙され続けていたことだろう。
「どうしても気になったので…藍はバレたって言ってましたけど、俺は今まで藍の本性に気づいた人なんて見たことなかった。だから純粋に疑問なんです」
蒼太が疑問を口にすると、目を細めた春斗は少しムッとした態度を見せた。
「その言い方だと、藍の本性に気づくことは不可能に近いような言い回しですよね?だけど蒼太さん、君も藍の本性を知っているなら俺が気づいたってなんら可笑しくないと思うんですよ。それとも自分だけが特別だと認識しているんですか?」
春斗の容赦ない言葉に、蒼太は圧倒されて何も言い返せなかった。今まで生きてきた中で発言が強い人間は何人も見てきたが、春斗はその中でも郡を抜くほどだった。
蒼太はグッと唇を噛み締め、ゆっくりと口を開いた。
「ただ…俺は驚いているんです。演じてもいない藍があんな風に笑うんだって初めて知って…藍にとって特別なのは俺じゃなくてあなただと思います」
悔しいが、蒼太は認めるしかなかった。藍は春斗にだけ見せる姿がある、蒼太は今まで自分に見せていた藍が本当の藍だと思っていた。けれどそれは間違いであり、春斗に見せる藍こそが本当の藍なのだろう。
「特別っていうのは大袈裟ですよ、それに俺が藍の本性に気づいたのだって人をよく見てる俺の勘のようなものですし」
「羨ましいです…」
「えっ?」
「俺はそんな藍知らなかった、だから春斗さん、あなたが羨ましいです」
隠しようのない蒼太の本心だった。なんて醜い嫉妬心なのだろうか。
春斗は呆気にとられたような顔をしている。そして「蒼太さん、君って…」と春斗が口を開いた時だった。
「あっ!やっぱり春さん楽屋にいたっ!」
藍が楽屋に入ってきた。「先に戻るなよ!」と春斗に近づいた藍は、駄々を捏ねた子供のようにムスッと顔を歪めた。
「藍の話が長かったからさ」
「酷くね?もーいいけどさぁ」
藍は気の抜けた声を出し、春斗の隣に座った。
「二人で何話してたの?」
「ん?お前の話だよ」
春斗が優しく微笑むと、藍の表情もまた柔らかなものになる。二人だけの空間がそこにはあり、蒼太に入り込むことは不可能だった。
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