19人が本棚に入れています
本棚に追加
それから蒼太は頻繁に藍達とつるむようになった。昼休みなどは今まで通り拓海達と共にしていたが、藍に呼ばれたらすぐに藍の元へ向かったし、藍から放課後遊びに誘われたら迷わず誘いに乗った。
藍達のグループは一見不良のような見た目をしており何かと取っ付きにくい印象ではあったが、いざ関わってみるとただの良い奴らだった。ノリが合いお互い馬鹿が出来るため蒼太にとっては居心地のいい関係性だった。
そして藍だが、藍と関わっていくうちに藍という男が如何に良い奴なのか実感することとなった。例えば扉の前にたむろしている生徒が居たとしよう、扉を塞がれ教室に入れずに困っている女子生徒にいち早く気づいた藍は「おいお前ら、そこ邪魔」と言い何事も無かったかのように生徒達を退かしてみせた。
また別の日の事、いつもつるんでいる奴の一人に「お前今日体調悪いのか?」と藍が問いかけた。藍以外その生徒の体調の変化など気づきもせずに「そうか?」「いつも通りだろ?」と特に気にも留めていなかった。かくゆう蒼太も同じであり、体調が悪いようには見えなかった。
「俺大丈夫だけど?」
「いや、顔色悪いぞ。おい大晴、お前学級委員長なんだから保健室連れてってやれ」
結局大晴が保健室へ連れていき、熱を測ったところ微熱だったと言っていた。その生徒はすぐに早退した。もし藍が指摘していなければもっと悪化していたであろう。
藍は本当に周りをよく見ていると思う。そしてそれだけではなく気も遣えるのだからこれ以上言うことはないだろう。しかもそれを自分の手柄とせずに飄々とやってのける所が藍のカッコ良さでもあり魅力なのだろうと、蒼太は声に出して言いたいほどだった。
「藍って何者?」
ある日の昼休み、大晴と共に日直の仕事をしていた蒼太は藍について問いかけた。
「俺に言われてもな」
大晴は困ったように頭を搔くと「スーパーヒーロー…?」と口にした。
「なにそれ、真面目に答えてよ」
「真面目だって、藍は本当にすごいやつだからさ」
大晴と藍は一年の頃から二年間クラスが一緒らしく、蒼太よりも藍との関わり合いは深かった。そんな大晴でも藍の事を凄いやつだと評価している、本当に藍はスーパーヒーローのような男なのかもしれないと蒼太は思った。
「あいつの空気の読み具合とか、周りをよく見てるとことか、ほんと真似出来ねぇよな。見た目は金髪でチャラい癖して中身は誰よりも真面目だし」
「確かに藍は真面目だよね」
蒼太は大晴の言葉に肯定した。藍はああ見えて真面目に授業も受けているし、ノートなんかものすごく綺麗に取っている。蒼太が藍と関わってから驚いたことの一つでもあった。
「そう、真面目ですげぇ良い奴なんだよあいつは。だから周りの奴らは自然と藍に引き寄せられるし、いつの間にか藍という男の懐の中に居るんだ」
大晴の言葉に蒼太は納得するものしか無かった。気づいた時には藍という男に取り込まれてしまっている。それは蒼太も大晴も同じであった。
すると「でもなぁ…」と小さくため息をついた大晴は寂しそうな表情で窓の外を見た。
「あいつはちっとも教えてくれないんだ、あいつ自身のことを。周りのやつらみんな藍の事が好きで仕方ないんだから知りたいって思うのは当然だ、だけど知ろうとすら藍はさせてくんねぇ」
大晴は一言「…寂しいよな」と口にした。
藍と接していくうちに、蒼太は藍に対して不可思議な疑問を抱くようになった。大晴の言っていた通り、藍は自分のことを話したがらない、グループの中でも藍だけがどこか一歩引いているような感じだった。しかしたったそれだけの事ならば知り合って間もない藍の事を蒼太だって特に疑問には思わなかっただろう。ただの秘密主義の変わったヤツ程度の認識だったはずだ。
けれど藍には他の人間とは決定的な違いがあった。その違いとは、鼓動の音。人間誰しも興奮した場面や緊張した場面であれば鼓動が激しくなり速くなるのが普通だろう。しかし藍は違ったのだ。
それは数人で蒼太の家へ集まった時のことだった。対戦ゲームで遊び大いに盛り上がったのだが、その時の藍の鼓動はいつもと変わらず一定だった。もし藍がつまらなそうにしていたのなら鼓動の音が一定だったことにも納得がいくのだが、この時の藍はいつも通り楽しそうに笑っていた。悪ふざけに悪ふざけを重ねたあの中に藍も参加していたのだから他の連中同様に鼓動が速くなるのが当たり前だった。
藍の鼓動はいつも一定なのだ。今までは藍自身の鼓動の音など特に気にも止めていなかったため気づかなかったが、いざ藍の鼓動に集中してみると藍が如何に一定のリズムで鼓動を鳴らしているのか、蒼太には分かってしまった。
何故こんなにも鼓動が一定なのだろうか、普段は楽しそうに笑っている藍だが、あの姿は蒼太自身が見ている幻なのだろうか。蒼太は藍の事が不思議で仕方なかった。
「蒼太、今日お前ん家行っていい?」
放課後このように藍に誘われる事は少なくはなかった。いつもは数人で集まるのだが、こうして二人きりで遊ぶことも無いことにも無かった。最初こそ二人きりで呼び出されるなど何かしただろうかと怯えていた蒼太だったが、本当に二人でゲームをするだけだったため今更驚くことも無くなった。そのため蒼太は「うん、いいよ」と二つ返事で答えた。
「あいつら全員馬鹿だから揃いも揃って補習組になりやがって、少しは勉強しろよってお前からも言ってくれ」
蒼太の家に上がった藍はリビングのソファに座ると友人たちへの不満を漏らした。藍はテスト勉強をしてないと言いつつも実は影でこっそりしているタイプだった。特別頭がいいという訳では無いようだが、藍が補習を受けている姿を蒼太は見たことがない。そして蒼太自身も美大志望だったため進路に響かない程度の成績を何とか維持していた。
「藍が言って聞かないなら無理だよ、俺が言っても誰一人として聞いてくれやしない」
コップを両手に持った蒼太はテーブルの上へ置き床に腰を下ろす。すると藍は「これお茶?」とコップを手に取った。
「うん、藍ってお茶好きでしょ?」
「ん、すげー好き」
ゴクゴクとお茶を飲んでいる藍の喉仏が上下に動く。思わず藍の大きく浮き出ている喉仏を蒼太は凝視してしまう。
「マリオやろうぜマリオ」
「う、うん、そうだね」
蒼太は慌てて藍から視線を外すと、ゲームを起動させるためにテレビの電源を入れた。
ゲームを始めてから数分、蒼太は藍の顔をちらっと盗み見た。「うわっあぶねっ!」と藍は目の前のゲームに釘付けのようでコントローラーをカチャカチャと動かす手つきは慣れたものだった。
蒼太の目に映っている藍の姿は至って楽しそうだ。けれどやはりおかしい、おかしいのだ。藍の鼓動の振動は一切変化することなくドクン、ドクン、と静かな音だった。
「藍は俺といて楽しい…?」
しん…と静まり返った部屋、そこに藍の「は…?」という声だけがポツリと残る。蒼太はしまった、と自分の口を両手で押さえた。何を面倒臭い彼女の如く、俺といて楽しい?などと聞いてるんだ。そんなこと聞かれても藍が困るだけなのに、と蒼太は今更ながら自分の発言に後悔した。
自分の鼓動の音だけがバクバクと耳に残るこの空気に耐えられなくなった蒼太は「ごめんごめん…!俺何言ってんだろうなー…!今の忘れてっ!」と大袈裟に声を上げた。
「なんでそう思ったんだよ」
「へ…っ?」
ゲームを一度中断した藍はコントローラーを置き蒼太の顔を見た。藍の鋭い瞳がじっと蒼太の姿を捕らえる。蒼太はまるで金縛りにあったかのように身動きが取れず、ただ藍の瞳を見つめた。
「お前といて楽しい?って…俺お前とゲームしてて楽しそうにしてただろ?お前には俺が楽しそうに見えなかったのか?」
「いや…俺の目に見えていたお前は楽しそうだったよ、いつだって藍は楽しそうだった」
「じゃあなんでそんな無駄なこと聞いたんだよ」
蒼太はゴクリと生唾を飲み込むと「お前の鼓動の音が…ちっとも変化しないんだ」とついに本当のことを藍に打ち明けた。
またもや沈黙が流れる。藍は一瞬だけ瞳を大きく見開いたが、すぐにスっと表情を戻すと「何言ってんだお前」と蒼太に冷たい視線を送った。
「お前は信じてくれないかもしれないけど…俺は特別耳がいいんだ。だから小さな音でもわりと聞くことが出来るし、このぐらいの距離なら他人の鼓動の音だって聞ける」
藍は「嘘だろ…?」と訝しげに目を細めた。他人の鼓動が聞こえるなどという蒼太の発言が信じられないのだろう。
「こんな無茶苦茶な話信じてくれないよね…?俺がおかしいんだ、今の話は気にしないで」
「…最悪だ」
いつもより幾分か低い藍の声、藍の瞳はまるで生気を失い輝きを亡くしたように蒼太には見えた。いつもと違う藍の雰囲気、蒼太の身体全体に緊張感が走り出す。
「お前は最初から気づいてたって訳か、俺の前では仲のいい友人のフリして心の中では俺をおかしな奴だと思って軽蔑してたんだな」
蒼太は藍の言葉を遮るような勢いで「違う…っ!」と否定した。藍に対しておかしな奴だなんて蒼太は思ったことはない、確かに他の人間とは少し違った藍の事が気がかりだったが、軽蔑などしたことは無かった。
「確かにお前の鼓動が一定だって気づいた時不思議に思ったけど、藍の事を軽蔑したことなんてないよ…っ、藍は俺にとって大切な友達だし…」
「お前は俺がおかしな奴でも本当に友達でいてくれるのか?」
蒼太は言葉に詰まってしまいこれ以上何も言えなかった。藍は一体何を言いたいのか、蒼太には理解が出来ないため藍の言葉を待つしかない。
「お前の言う通り俺はおかしな奴だよ、お前の見ていた水樹藍は全部作り物だ」
藍のはっきりとした言葉が蒼太の耳に入ってくる。まるで感情が抜けきっているような普段と遥かに違う藍の姿は、蒼太の知らない藍だった。そして蒼太はこの時初めて気がついた。
──ああ、これが藍の本当の姿なんだ。
「お前は俺の鼓動が一定だって言ったけどそうなのかもな。俺は感情がない、だからお前らが楽しそうにしてる時だっていつも合わせてた、俺には楽しいなんて感情が分かんねぇから」
頭が揺れるような衝撃に、蒼太の口は閉じることを忘れたように開いたままだった。感情がないだなんて、果たしてそんな事は有り得るのだろうか。それでも藍が嘘を言っているようにも見えない、そして今でも藍の鼓動が一切変化していないことが何よりの証拠なのだろう。
「演技してたってことか…?」
「演技…まぁそうだな、俺はずっと人気者の藍を演じてるピエロって訳だ」
藍は平然とした態度で自分の事をピエロだと表現した。わざと明るく振る舞うことで、藍は本当の自分を隠していたのだ。
悲しい、そんなの悲しすぎる。蒼太は藍に対して同情心を抱いた。蒼太が今まで目にしていた藍は全て本当の藍ではなかったのだ、藍自身が演じていた虚像の藍。藍の弾けるような笑顔も全て偽物だったという事実に、蒼太の頭は締め付けられるような感覚だった。
「お前は本当に顔に出やすいな、俺に同情してるって丸分かりだぞ」
「だって…感情がないだなんてあまりにも悲しいし…俺は寂しすぎるよ」
「寂しい?」
藍は蒼太の言葉を受けて首を傾げた。「何が寂しいんだ?」と藍が蒼太に向けて問う。
「俺はお前といて楽しいし、他の奴らだってそうなんだ。なのにお前とその気持ちを共有出来ないことが寂しい」
蒼太からしたら感情がないなど想像も出来ないことだった。嬉しい場面も楽しい場面も誰とも共有出来ず一人置いてけぼりにされる、藍の今までの人生を想像しただけで辛かった。
すると藍は「俺には理解出来ない」と憐れむような瞳を蒼太に向ける。
「俺が他の奴らと感情が共感出来ないところでお前に迷惑かける訳じゃないんだからわざわざそんな顔する必要ねぇだろ。それに感情がない俺の事が気持ち悪いと思ったなら構わず縁を切れ。はっきり言って同情とか哀れみとか、そういう感情持たれる方が迷惑だから」
ピシャリとした空気に包まれる。藍のはっきりした物言いはまるで蒼太に縁を切られても悲しくも寂しくもない、そんな意味が込められているように蒼太には聞こえた。実際に感情がない藍にとって、蒼太に嫌われようが何も思わないのだろう。
それでも蒼太は縁を切るなどといった非道な真似できるはずがなかった。たとえ藍から迷惑だと思われようが、知ってしまったからには見ないふりはできなかった。藍から突き放されるのなら話は別だが、蒼太から藍を突き放す事など蒼太には不可能な事だ。
蒼太はふぅ、と息を吐くと「俺は絶交なんてしたくない」と本心を打ち明けた。
「は?これ以上俺といてもお前が気まずいだけだろ」
「そんな事ないよ、だからお前の友達で居させてくれ」
真剣な眼差しで藍の瞳を見つめた蒼太は、藍の右手を両手で包み込むように握った。藍の右手はひんやりと冷えており「お前の手冷たいな」と蒼太は目を細める。
すると藍は勢いよく蒼太の手を振り払い「きもっ」と自分の手を咄嗟に引っ込めた。
「お前はホモなのか?」
「え?!違うよ!!?」
軽蔑した藍の瞳にゾクリとした感覚が蒼太に未知の感情を与えた。そしてすぐに我に返りあらぬ疑いを正すため全力で否定する。
「なんなんだよお前…」
藍は呆れたとでも言っているような態度でコップをぐいっと煽りお茶を飲み干した。
「でもさ、知っちゃったからにはもう俺の前で偽る必要もなくなるだろ?俺の前では素のお前で居てくれよ、その方が藍だって気が楽だろうしさ」
「こんな俺をお前は受け入れるって言うのか…?」
「もちろん、俺だって他の奴らと違った特性を持ってる変わり者なんだ、変わり者同士仲良くしようよ」
藍は驚いたように瞳をぱちくりとさせたが、すぐに表情を戻し「お前と一緒にするなよ」と口にした。
最初のコメントを投稿しよう!