半分の人

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あれは、台風が近づいている日だった。 私は仕事に追われ、どうしても早く帰ることができなかった。台風の接近を知っていたので早く帰りたいと願いながら、解決できないトラブルに向き合っていた。なんとか次善策を施してやっと退社し、最寄り駅に着いたときには強い雨が降り出していた。 傘が壊れるのではないかと恐れおののきながらも約一〇分の道のりを進んだ。スカートはすでにびしょ濡れだった。ウチにはろくな食料の蓄えがないため、コンビニに寄らないという選択肢はなかった。店内には店員が一人いるだけだった。翌日も外出できないかもしれないと思って、多めの買い物を急いで済ませた。コンビニを出て傘を拡げたところ、猫の鳴くような声が聞こえた。辺りを見廻したけれど、猫どころか人影も見えなかった。改めて歩き出そうとしたとき、なにかが倒れるようなドサリという音が聞こえた。もう一度辺りを見廻して見たけれど人影は見当たらず、私は用心して歩いた。コンビニの角を曲がったところに倒れている人があった。角の向こう側のコンビニからの灯りにやっと照らされ、なんとか見ることができた。電信柱の根元に絡みつくようにうずくまっていた。いや、人ではなかった。人のようであって人ではなかった。右側がビロードのような黒毛に覆われていて、左側は人間の形をしていた。左側の手と足は私と同じような肌色をしていたのだ。私はまず自分の目を疑ったが、間違いはなかった。右側は獣の二肢で、左側は人の二肢をしていた。まだ子供なのだろうか、中学生…よりも幼い身体つきをしていた。Tシャツもカジュアルなズボンも薄汚れていて、雨で水浸しになっていた。部分的には泥ではなく、血が付いているようにも見えた。顔は向こう側を向いていて見ることができなかった。この半獣の顔が見たいという欲望を抑えることができなかった自分を否めない。 「あの、大丈夫…ですか?」 反応はなかった。私はその場にしゃがみこんで、人の形をしている腕の、肘のあたりをつついて、それからさすってみた。雨に打たれて冷たいけれど、人の体温は感じられた。 「大丈夫ですかー?」 彼は私のスカートの裾を握った。弱々しい力で端の方をやっとつまんだというのが正確だろう。どうしたものかと考えた少しの間、彼の手は私のスカートの裾をつまんだままだった。恐る恐る、私は自分の傘を自らの頭と右肩との間に鋏み、両方の手で彼の頭を後ろから包むように抱え、やさしくゆっくりとこちらの方へ向けてみた。やはり右側はビロードのような黒毛に覆われ、左側は私と同じような肌の色をしていた。この時、雷が落ちた。割と近くで落ちたようで、彼の顔がその光に照らされた。彼の、左の目がカッと見開き、鮮やかな赤の瞳が光を放った。かと思うと、顔の右側の黒毛はなくなって人の顔の形になり、二肢も人のそれとなり、完全な人間の形を見せた。右の目は閉じたままだったけれど、左の目の赤は徐々に強さを失い、また瞼が閉じられた。 「大丈夫ではあるみたいね。」 私は傘を指したまま、右腕にはそこそこ重い買い物袋を下げたまま、彼を背中におぶった。彼は大人しく私におぶられた。 一応、コンビニの入口へ戻ろうとしたけれど、ガラス扉の向こう側、店員はレジの向こうで居眠りしているのが見えたので私は引き返した。 おぶった彼は、予想していたよりは軽かった。激しい雨に打たれながら、重い買い物袋もぶら下げて、それでもときどき彼の冷たい頬がわたしのそれに触れ、ため息にも似た弱々しい吐息が耳元で聞こえると、人の温かさを感じずにはいられなかった。 マンションの玄関になんとか辿りつき、玄関を入ったときにはかつてないほどの達成感を覚えた。 彼を玄関に寝かせたまま湯船にお湯を張り、買ってきた食料を適当に冷蔵庫へ突っ込んだ。そしてまたほんの少し躊躇はしたけれど、人の形をした彼を連れて風呂に入った。いま思うとこのときには私は決心ができていたのだろう、彼と一緒に生活するという。それは、彼と一生一緒に暮らそうとか、もちろんそこまでのことは考えていなかったと思う。まぁ、彼のキズが癒えるまでは看病してあげようくらいの気持ちだったろう。 とにかく、これが私と仁の出会いで、今日に至る。 仁は自分が半獣であることについては自覚があって、獣に化けるきっかけが分かってはおらず、そのことで苦しんでいた。獣である間の記憶はないということだった。私に出会ったときのように半身半獣の姿になることはないとも言っていた。また、親は居たはずだけれども、私と出会ったとき、それ以前の記憶が薄れてしまったとのことだった。仁が失った記憶を取り戻せるよう、「まっとうな人」になれるよう、対外的には「姉」として私は彼を育てることにしたのだった。
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