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十一、xxxとリドリー
翌日、リドリーは隠れ家の寝床で目を覚ました。
鼻に、心地よい葉の匂いが漂う。
アリステアの髪だった。
ふんわりした茶髪をそっと撫でると、アリステアがみじろぎした。起こすには忍びなかった。
リドリーはそっと身を起こす。
刺すように冷たい空気が頬に伝う。
「んー……」
「あ、起こしちまったか」
「ぅん……? ふあ、おはよー、りどりぃ」
無防備な笑顔でアリステアが目を覚ました。
「おはよう……。今日は何かしたいこと、あるか?」
「特にないかなぁ……。 リドリーの部屋にいたい」
「しかたのないやつ」
リドリーはアリステアの寝ぐせをとってやった。
リドリーの寝室はずっと閑散としていた。
今日は空気の冷たい日だからと、リドリーは暖房をつけた。
暖気がすぐに部屋に満ち、隠れ家で味わった寒さを忘れさせてくれる。
「ねえリドリー」
「なんだ」
「供物ってさ、どうなると思う?」
部屋の窓から曇天を見上げるアリステアが、そんなことを言ってきた。
言葉に詰まったリドリーは、何も言い出せない。
そういえば、供物はどんな風に天に召されるんだっけ? と記憶を手繰る。
「わからない。ただ、先生の話では、光に包まれて天に上る、って言っていた。気がする」
「気がする?」
「人の話はちゃんと聞いてなかったから」
「あはは。リドリーってばもう」
「先生の話は退屈なんだ」
「そういうものなんだ?
……僕はね、違うと思う。天に召し上げられるんじゃなくて、逆だよ。地上に落っことされるんだ」
「地上?」
そうそう、とアリステアは窓から離れた。
リドリーのベッドにぼすっと腰をおろす。
ぽんぽんとベッドをたたいた。
「今いるこのベッドが寄宿舎。そんで上が天」
アリステアの細い指先が、天井を指した。
そしてぶらぶら揺らしている足が、床をたたく。
「床が地上。寄宿舎は、天井と地上の間にある空間だと、僕は思ってる」
「……じゃあ、ここは浮いてるのか」
「うん。僕はそう考えてる。実際はどうかわかんないけどさ!」
「そうだな……」
「あれっ、ばかばかしいって言わないの?」
「可能性はゼロじゃないだろう。それに、個人的にその説は興味深い」
「えっへへ、うれしい」
アリステアは笑う。
心底嬉しそうに。
はにかんで、白い歯をちらっとのぞかせて。
緑眼を細めて、頬を赤らめる。
無邪気で外の穢れを知らなそうなこの子を眺めていると、リドリーはいつも胸が苦しくなる。
喉からしびれがこみ上げてくる。
この正体をリドリーは知らない。
ただ、憐れみからくる気の迷いだと思っていた。
「ねぇ、リドリー」
「何」
「リドリーの名前、聞かせてくれないかな?」
だめ? と上目遣いに聞いてくる。
リドリーは口を開いて、数秒黙った。
言おうとしてつかえた。
名前を呼ぶことは禁忌。
少なくとも、この寄宿舎にいる限りは。
自分の名前を呼ぶことさえ許されない。
それこそばかばかしい掟なのだ。
だが、この子はいずれ天に捧げられる供物なのだ。
そのささやかな願いに応えてやるのが、番人の務めなのでは、と。
リドリーの心中にはそんな葛藤が残っていた。
「ごめん。困らせちゃったね」
リドリーが決意を固める前に、アリステアはさえぎった。
リドリーはずっと、最後の日まで、願いに応えていないことを引きずっていた。
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