第13話「自覚なき裏切り」

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第13話「自覚なき裏切り」

堀田は目の前の光景が理解できなかった。教室の奥にいる二人のもとに駆け寄る。 バンっ! 「お前、なんで…!」 堀田が君野の机を強く叩いて前屈みに問いただす。 教室はその堀田の異様な行動に全員の動きが止まり視線が集まる。 昨日ビンタされた君野が、教室の端でいつものようにラブラブのカップルのように桜谷と仲良くしているのである。 「おはよう堀田くん…どうしたの?」 と、君野は首を傾げる。 「どうしたのって!昨日のこと忘れたのかよ!こいつは酷い女だぞ!」 「…?」 堀田の怖い顔に君野も困った顔をする。 「桜谷さん、昨日僕になにかしたの?」 「何もしてないわ。堀田くんがデタラメ言ってるんじゃないの。」 「…ごめん、なにをされたのか覚えてなくて…。」 「昨日のこと、順序立てて思い出してみろ!お前が一階の階段下で芳香剤を持ってふらふらと歩いていただろ!?」 「…そうだ、僕は芳香剤を持ってて、堀田くんがやってきて介抱してくれて…僕はその後階段の下で…。」 「そこで!?」 堀田がそう、右手を車がバックで下がるのを誘導するかのように手だけを前後に動かす。 「…そこで?…え…と…うんと、それから図書室で…」 「待てよ!わざとやってんのか?階段の下のことそんな簡単にスルーできるような事じゃなかっただろ!」 「堀田くん、君野くんから無理やり記憶を呼び起こそうとしないで。彼が可哀想じゃない。記憶が断片的になくなってるのは健忘症が原因なんだから仕方ないわ。」 桜谷がまともを演じてそう白々しく答える。 「昨日のこと、本当に覚えてないのよ。彼にとってどうでもいいことだから。」 「どうでもいいって…なんでだよ!お前ビンタされたんだぞこいつに!無理やりキスされてそれをあざわらわれてただろ!」」 堀田は紛糾(ふんきゅう)する。しかし本人が覚えてないと言ったら追及しようがない。 あまりの都合の良さに君野ですら、桜谷と共謀して俺をハメてるのではと思ってしまうからだ。 「ごめんね堀田くん…。僕は、桜谷さんがそんなことするとは思えなくて…。今話してても悪い子じゃないよ。」 君野は二人の争いの間に入り堀田をそう説得した。 わからない。こいつの本心がわからない。俺が見ているこの段ボールの中の子犬は果たして…本当に信じるべきなのか? 「くそ!!もういい!」 堀田はそう拳をぎゅっと握り奥歯を噛み締めた。もう何も言いようがないのである。 そして静かに見守るクラスメイトと椅子と机の間をすり抜けて自分の席にガシャンと大きな音を立てて着席した。 君野はそれにオロオロしている。 「桜谷さん、昨日僕が堀田くんが怒るようなこと、なんかしてた?」 「ううん。してないわ。ただ他のことで虫の居所が悪いじゃないかしら。」 「…。」 君野は不安そうな顔で前の真ん中の席の堀田を眉をへの字にして眺めている。 それを横目で桜谷は見ている。 君野くんへした呪いのキスの原理原則は自分でもわからない。脳の容量の問題で消えたのか、ショックで消えたのか、私が深く関わった部分は堀田くんの記憶ごと消滅してしまうのか…。 私の記憶や存在は昨日の狂ったキスで今日の朝も君野くんから余すことなく消えていた。これは想定内だ。 堀田くんとのやりとりは覚えているが誰がビンタしたのかもわからないために記憶のエラーが出たのだろう。 でも、これで彼も思い知っただろう。 あんな狂気的な場面をみせておけば、誰もが絶望するし、君野くんがこんな彼女を選ぶんだ。 もう近寄りたいなんて、思わない。 彼がこれ以上の変態でなければ諦めるはずなんだけど… あとはその兄弟キーホルダーをあの人が捨ててくれれば、自動的に君野くんも捨てるはず。 あくまで私が捨てるのではなく、君野くんが堀田くんを諦めるのをこの目で見たい。 目も耳も口も鼻も手も足も内蔵も… 私だけを受付ればいい。 桜谷は、君野のリュックについている「弟」キーホルダーを眺める。 「堀田くんに謝っておいた方がいいよね。」 「謝る理由もないのにそんなことしなくていいわ。ああやって君野くんの症状を理解できない人はいつまでもこんな喧嘩になるの。私みたいに朝何回も忘れられてもこうやって怒らない人のそばにいた方がいいわ。彼のためでもあると思わない?」 「…。」 桜谷の話術に何も言い返せない。散々自身の健忘症で人を傷つけてきのを思い出しているのか、とても悲しい深海のような色が冷たく、胸が染まっていく。 自分の考えがおこがましかった と、君野はだんだん首が前に倒れていく。 「大丈夫よ。私が隣にいる。」 と、目の前のリュックに沈んだ君野の柔らかな髪の毛をサワサワと触る桜谷。 いい作戦だ。これならもう、あの二人が互いの本当の気持ちに気づくことなんてない。もう崖の上のライオンたちだけの世界で生活していればいい。 小粒の草食動物なんかを個人として認識する必要なんてないんだ。 もう二度とかかわらないでほしい。 朝の時間、堀田はその後深刻そうに廊下を歩いている。 今回の君野の裏切りは悲しい。怒りよりも喪失感がでかい。 しかし昨日の桜谷の発言で一つ引っかかっている事がある。 -私は君野くんを本当に愛してない。健忘症の彼で遊んでるだけ。- 愛してないってつまり桜谷といても、君野は幸せになれないことが明白だ。 いや、わからない。あの二人がグルなら、俺がまたもがく様子をもっと楽しもうと新たな餌をつけただけにすぎなくて、俺が挙動不審に慌てる様子に裏で笑ってるのかもしれない。 「堀田、どうしたんだ?そんな深刻そうな顔をして。」 藤井だ。目の前に現れた彼に堀田は平穏を取り戻し始める。 「いや、なんでもない。」 「朝桜谷さんと揉めてたけどどうした?君野のことでそんな争ってたってしょうがないだろ。」 「…君野が桜谷の思惑通りみたいな、都合よく健忘症を発症するんだ。俺騙されてるのかなって思うんだよな。いや、本当に健忘症なのはもちろんなんだけど、イライラしてしまう。」 「ああ、それが気に食わなかったってことか。…そういや、昨日なんかの病気の特集が茶の間に流れてたな。」 藤井がぽりぽりと後ろの首をかきながら、そんなことを言う。 「見た目があまりにも病気に見えず誰も理解してくれず苦労している人の話だった。なんか今それ思い出した。周囲がさ、動けないのは怠慢だろって言うんだと。でもな、動けない本人が一番苦労してるし死にたいって思うほど辛いんだ。」 その言葉に堀田は、顔を上げて何かに気づいたようにいつもの濃い顔がパッと点灯する。 「そっか…そうだよな。辛いのは俺じゃなくて君野だよな…。」 そういや、俺は君野の健忘症を深くは理解していない。 こんなにも怒るのは俺がわかっているフリをしていたからじゃないのか? 忘れられたから怒る。そんな単細胞でいいのか。 君野だって好きで症状を出してるわけがないのに。 「桜谷さんに都合がいいのは、俺らが無視していた時期から彼女が一人で偏見に遭いながらも寄り添ってくれていたからだろ?争いの気持ちを持って突っかかるのは良くないと思うぞ。」 藤井は大人だ。そこらのバカ笑いして歩道を広がって歩く高校生よりはしっかりしてる。 「まあ…確かにそうだよな。」 それを言われたら何も言い返せない。 俺はそもそもなんでこんな感情的になってるのか。桜谷じゃなくて、俺のこの心のモヤモヤは君野に向いていたのだ。 それを考えた時藤井の言葉が腑に落ちる。 この目で君野の今までの苦労や涙を見てきたはずだ。なのに、君野を奪い合うことに夢中になっていて、都合よく忘れたのは俺をハメるためだなんて思ってしまった。 「俺が自分勝手だった。桜谷に煽られてムキになって。君野のキーホルダーを取られた時のあの涙…忘れちゃいけない筈なのに。自分の欲に任せてあいつの気持ちを踏みにじってた。」 「そう気付けるならお前はすごいやつだよ。」 藤井はニコッと笑う。 そうだ。奪い合っても誰も幸せになれない。だが、相手がファイテングポーズをとってるのにどうしたら? ムキになるな…ムキになるな。何より君野が3人で一緒にいたいと望んでるんだ。その望みを叶えてやりたいんだ。 藤井が去った後、しばらくこの問題を考えていると… 「堀田くん、ねえ美咲と別れたんでしょ。いま彼女いないんだよね。」 廊下で堀田は派手な美咲の取り巻き2人組に呼び止められた。そのことで一旦の深刻さは頭の中から吹っ飛んだ。 美咲との復縁を求められるのか?と思っていたが 「ねえねえ!私と今度の日曜日遊びに行かない?カラオケとか!堀田くんは何を聞くの?歌うの?」 「え!私も行きたい!」 「だめ!デートにならないじゃん!」 と、勝手に盛り上がり、香水とミニスカとロングの巻いた長い髪の毛をゆらしている。 堀田は興味がなさそうに、このまま用事があると言ってその場を通り抜けようと考えていた しかし 「ちょっと!わたしのゆうじゅに何してるの!」 突然3人の後ろから耳馴染みのある声が聞こえた。その場の全員が振り返る 「み、美咲!!」 堀田はそう声をあげた。 「私まだ諦めてないって言ったじゃん!!何出し抜こうとしてんのよ!」 話とは違い、いつものハツラツな様子は変わらない。 「ストーカーにあってたんじゃないのかお前。」 堀田がそう答えると、美咲はハッとしてわかりやすく途端に元気がなくなる。 「そ!そうなの。私酷いストーカーに遭ってたの!家のポストに気持ち悪い手紙とか、長い髪の毛とか入ってるの!」 美咲はそう必死に堀田にしがみつく。しかし、堀田は冷静にそれを分析しこう答える。 「ん?長い髪の毛って女のストーカーなのか?」 「え?あ!!違う違う!お、男よ!ロングの気持ち悪い男だった!」 「その手紙は?みせてみろ。」 「え!?も、燃やしちゃった!」 わかりやすい嘘に堀田もため息。美咲のツメの甘いところは男心をくすぐるものではある。 「本当なんだってば!!というか、なんで来てくれないのよ!元カノがストーカーに遭ってたら心配でしょ!!」 「俺も昨日聞いたばかりだ。」 「昨日聞いたら昨日くるでしょ普通!酷い!私がストーカーにメチャクチャにされてもなんとも思わないの!?」 「…。」 堀田が深いため息をつく。その態度に美咲はさらにほおを膨らませる。 「美咲ちゃん、堀田くんのこと本当に好き?この間ブランドバッグみたいなものなんて言ってたのに。それなら、私が堀田くんを大事にできるとおもうんだけど!」 と、取り巻きの一人が暴走した。 「堀田くんが可哀想だよ!自分のステータスのためにそうやって振り回すの!」 「はあ!?私そんなこと言ってない!言ってない!!!」 「言ってたじゃん!自分の容姿に釣り合ったブランドもののバッグみたいなものって!」 「言ってないーーー!!!」 「…はあ。」 堀田はどうでもいいやり取りにため息をつく。 「美咲ちゃんなんか知らない!!!」 何回かの取り巻きと美咲の言い合いの後、一人の取り巻きがぷんすかとそのままいなくなってしまう。 「あ!マキちゃん!!」 美咲はさらなる内部崩壊に今更になって後悔する。 そして少し冷静になって、恨みつらみを込めてこう言った。 「全部…全部君野くんのせい…そうよ、元々は彼があなたをおかしくしたのよね…。」 「何言ってんだ!あいつは関係ない!」 「そうよ!!君野くんが悪いのよ!!全部!!桜谷さんがちゃんと管理しないからこうなったのよ!!」 と、美咲は片足を廊下を蹴るように地団駄を踏み発狂する。堀田はその光景にさらに顔に手を当てて絶望する。 「落ち着けよ!!そうやって誰かを傷つけようなんて発想するな!」 「ふん…。あなたがなくても私には個人的な恨みがあるのよ。覚えてなさい!!」 美咲はストーカー事件のことはもう忘れてるのか、プリプリと怒って1組に戻っていく。 「…はあ。」 問題が立て続けに発生する。人生ってほんと、世知辛い。 堀田は膝に手をついて大きなため息を付いた。 「ふふ。」 3時間目の授業が始まってすぐ桜谷が微笑する。 「どうしたの?桜谷さん。」 笑うところでもない場面。君野が桜谷と彼女の国語の教科書を共有していたが、活字から顔を上げ彼女の顔をみた。 教室は国語の教科書の物語の朗読が行われている。 「やっぱりそう簡単には諦めないだろうなって。」 「なんの話?」 「ううん。」 桜谷の視線の先は真ん中前の席の堀田。白いスポーティなエナメルバッグを触っているのを見かけたがまだそのカバンには「兄」キーホルダーをしっかりつけている。 あんなのは一時的にすぎないようだ。やっぱり変態だ。 彼が何を考えてまたこっちに戻ってくるのか楽しみだ。 ああダメだ。楽しくなっちゃ。 自分の性分が、つい、やりすぎてしまうのだ。 桜谷は自分をそう戒めるように軽い咳払いを一度する。 そう。私はただ学校生活を君野くんと二人で過ごしていたいだけ。 「あなたがこっちに来たって、誰も幸せにはなれないわ…。」 「ん?そんなの教科書に書いてある?」 と、君野は桜谷のその言葉に教科書の活字を追いかけた。 続く。
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