第7話「狡猾(こうかつ)の桜谷」

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第7話「狡猾(こうかつ)の桜谷」

 次の週の月曜日  夏空は爽やか  梅雨もだんだんと本格的になっているが  前の土日の雨が嘘のように晴れている。 「おはようございます。」  真っ黒なスクールカバンを肩から下げた桜谷が  通学路にある君野家の家の前の玄関の掃き掃除をしていた  君野母に笑顔で挨拶をする。 「あら、おはよう瑠璃子ちゃん。しばらくぶりね。」  と、肩までのショートヘアを揺らす君野母。まさか彼女が一週間も学校を病欠で休んでいたなんて思っていないだろう。 「吉郎ならもう先に行ったよ。あの子、家族以外の人のことすぐ忘れちゃうから…。」  そう言って、ほうきをもってただ頭をぽりぽりとかく。  言葉を続けないのは、君野が桜谷をまた「健忘症」で完全に忘れてしまったと思っているからで、そんな残酷なことを伝えたくないのだ。  また息子の健忘症を発症した事故で桜谷家のガラステーブルを割ったことに、お母さんはいまだ申し訳無さそうにする。  まさか、桜谷が先々週の金曜日に君野にキスをして、彼女の存在を一週間もすっかり忘れたままだったなんて思いもしないだろう。 「いいえ。いつものことですから。」 「好きな女の子まで忘れちゃうなんて。でも、仲良くしてあげてね…。」  と、君野母は媚びるように桜谷に伝えてきた。  朝の挨拶を終えた桜谷は、  いつもの交差点に差し掛かり赤信号の横断歩道の前に立つ。  会社員やギターを背負った人が集まる、駅前の賑やかな交差点だ。 「ふふ。」  桜谷はその直前に微笑する。まさかメガネと三つ編みの下の  腹黒い考えには誰も気づくことができないだろう。  君野を一週間放置しながらも本当は内心とてもワクワクしている。  私だけが頼りな君野くんが、1週間も一人で放置されてしまったらどうなる?  そう考えるとワクワクが止まらない。  今日だって本当は学校にも通わずに部屋で引きこもっているかと思っていたくらいだ。  だが母親のいつもの様子にちゃんと学校に行けていることに驚いている。 「きっと、無理しているのよ…。」  桜谷がそう呟く。  君野の母親の反応があんな風なのは、  本人がいじめにあっていても言えないからだろう。  あのクラスの連中が自分たちの様子を【介護】と揶揄するなかで  ステキな奇跡が起こると思う?  そんなわけがない。ますます私の【支配】に彼は喜んで溺れるはず。  クラスの君野くんのヘイトが高まっていて、私がそれを守ってあげる形にすればもう、彼は私無しで生きていけないはずだ。  彼女はそう、学校の校舎に到着するまでは本気でそう思っていた。    ガチャ  学校の下駄箱に到着した桜谷は、早速君野のロッカーを開ける。  そこにはいつものスニーカーが収納されていて、  君野がしっかりこの学校にいることが証明された。 「桜谷さん!おはよう。もう大丈夫なの?」  優しいクラスメイトの女子が話しかけてきた。  1年2組までに続くまでに、クラスの女子や男子に遭遇すると皆彼女の顔を覗いてくる。 「ええ。大丈夫ありがとう。」  そう、上品に微笑んでかわしていく。  そして2階の1年生の教室が並ぶ廊下を歩いていたときだった。  ‐あははは!!‐  その向かいから見覚えのある顔が大笑いしてこちらにやってくる。  バサ  桜谷はその光景に、足の前で上品に持っていたスクールカバンをそのまま床に落としてしまった。  その優しげな顔は先ほどとは違い、眉をしかめ黒目を点にしている。  その異様な光景に、上機嫌に大笑いする君野の隣にいた堀田が先に気づいた。 「さ、桜谷…。」  堀田はそう都合の悪そうな顔をする。  まるでどこかの家から逃げた犬を捨て犬だと思って飼育していたら  目の前に本物の飼主が現れてしまったかのような気持ちだ。 「え?この子が桜谷さん?はじめまして!!」  君野は自分が知らない飼い主同士のいざこざを知らず、まさにそう犬のようにしっぽをぶんぶんと振るように挨拶した。 「…はじめまして。」  桜谷はそう、声を絞り切るように答えた 「堀田くんから聞いてるよ!僕を健忘症になってからずっとお世話してくれていた人でしょ!」 「ええ…。」 「僕の恋人だって、本当なの!?」 「そうね…。」  彼女はそう、テンションの高い君野の問いかけにうつむき加減でそう答える。 「大丈夫?桜谷さん。もしかしてまだ体調良くないの?」 「…ううん。」  君野がそう顔を覗いてきたが、桜谷はそっけなく答える。 「ああ、えっと、桜谷さ…俺、お前がいない一週間で君野と仲良くなったんだよ。いじめにあっててみてられなくなってさ。これからは俺も君野を支えていきたいんだよ。」  と、堀田は自身の後頭部の髪の毛を鷲掴みに触りながら言う。  その瞬間だった 「わ!?」  突然、桜谷が目の前にいた君野をぎゅっと抱きしめた。  君野はそう驚いた声を上げたが抵抗することもなくその突然の大胆なハグに  顔を真赤にさせて身を任せる。  そんな君野を抱きしめる桜谷だったが  君野の視界を奪った桜谷は、目の前の堀田を怨霊のように上目で睨みつけていた。 「なっ…!」  堀田はその鋭い眼光に一瞬体をビクつかせひるむ。  本当にこの世のものでないようなほど、彼女のメガネのレンズの先の恨みつらみの目は  冷たく、人を目で呪殺しかねないものだった。  しかし、対象的にその君野の体に蛇のようにからみつく手は彼の首元をさわさわと  うちわからそよぐ風のように優しく触れている。  ‐良くも私の大事なものに手を出しやがったな‐  という彼女の想いが堀田に精神的ダメージを与え  心にダイレクトにヒットさせる。  そして彼女の口元だけ動いて堀田をさらに追い詰める 「ころっ…!?」  堀田がそう言いかける。  彼女は口だけを動かし、堀田に  ‐殺す‐  と何度も呪文のように呟いていたのだ。   なんて女だ!!!  と、堀田は君野に絡みつく地味な女子が、途端に異形のものに見えた。 「どうしたの?堀田くん。顔色悪いよ?堀田くんもお腹痛いの?」  桜谷から解放された君野がのんきにそう答えた。 「い、いや、なんでもない…。」 「ふふ。君野くん、私のこと堀田くんと同じように知ってほしいな。」 「うん!3人で仲良しになろう!」  何も知らない君野がそう無邪気に笑った。 「なんなんだあの女…。」  堀田はそのまま教室に戻る。  あいにく席が遠く離れているので  朝の会が始まる直前まで席が隣同士の2人が仲良く話しているのを見るのは悔しい。  その様子を指を咥えてみているしかない。  かわいい弟のような君野が毒されていくようで、気持ちはイライラ。  そうか、先々週、君野にビンタしている桜谷が本性だったんだ。  そう思うと、のんきに桜谷と笑い合っている君野が危ない。  あのメガネでおとなしい姿は仮の姿だったんだ…!!!  堀田はそう、一人このクラスの真実に気づいてしまったかのような反応で、朝の会が始まっても机の上で自分の頭を抱え込んでいた。 「ねえなにそれ。」  1時間目が始まって10分  桜谷は授業中に君野が机の上にリュックサックを置いた時、見慣れないものに目を留めた。  かなり安っぽい。また達筆に「弟」と書かれただけのキーホルダーだ。 「あ、これね、堀田くんとお揃いで買ったんだ…!」  と、リュックのカゲにかくれてわざとらしく口に手を当てて小声で桜谷に伝える君野。  ニヒヒといたずらっぽく笑い、そのチープなキーホルダーがいかに大切なものか、それだけで分かってしまう。 「大切なものなんだよ。」  君野はそう言ってわざわざ外して桜谷にみせてきた。 「…。」  今にこのまま窓を開けて校庭にぶん投げてしまいたいくらいだ  桜谷はそうさげすむようにそのキーホルダーを呪った。 「ねえ、君野くん。次の時間の休み時間に一緒に来てほしい場所があるの。堀田くんには言わず、二人っきりで。」 「え?あ、うん。」  桜谷はキーホルダーを返すと君野はその桜谷の言葉に疑問をもたぬまま頷いた。  1時間目の終わり、次の休み時間を迎えたが堀田が机の上の教科書をしまっている頃には桜谷と君野の姿はなかった。 「あれ?」  堀田は眉をしかめ、途端に教室中を見渡す。 「どうした?」  真後ろの藤井がその不審な様子に思わず声を掛ける。 「いや…。」  ま、まあ、次の授業まで10分しかないんだ。そんな、逃避行したわけでもないんだぞ。  と、自分を落ち着けるように席に居直った。 「落ち着けよ俺…。相手は非力な女子だぞ…。」  と、クールダウンした。 「トイレって、いつもここでしてるの?」  三階のあまり使用されていないトイレの前にいる君野と桜谷。  ここは誰も近寄らない校舎の端っこだ。  まだ桜谷がトイレをすると思っている君野。  突然、その君野を正面から  桜谷が思いっきり肩を鷲掴みにして壁にぐっとおしつけた。 「いっ…!痛いよ!」  君野のまだ細い二の腕に桜谷の爪が食い込む。 「ねえ、君野くん。堀田くんと一週間過ごしてみてどうだった?」  桜谷は君野の二の腕を掴んだまま、君野の眼前に俯いた頭をつける。  君野の鼻には桜谷の前髪がくすぐったくこそばゆい。 「な、なにって…?た、楽しかったよ…。」  その不気味さに、君野も声が震えている。 「じゃあ、堀田くん〝たち〟は?」 「たち…?」 「堀田くんの周囲の人間の反応は?どうだった?」 「えー…っと…。」  君野はそう聞かれると、そういえば、と自分を拒絶した堀田の元カノの美咲の存在を思い出す。 「…。」  黙りこくる君野に、桜谷は顔を上げた。その顔は人を恨みまくって死んだストーカー女のようだ。  目で君野を舐め回して見る姿は、猫がネズミを仕留める直前に獲物で遊んでいるようにもみえる。 「君野くん、この世にはね、サバンナの中で暮らすシマウマとライオンのように交ることができない人間同士がいるの。堀田くんはライオン。わたしたちはシマウマ。…どういうことかわかる?」  桜谷は君野の反応にリセマラで得たデータが光るのか、一週間で何があったのか、お見通しだった。その言葉に君野も心当たりがあるようで、だんだんと桜谷の言葉に飲まれていく。 「堀田くんはライオンだし、その仲間もライオンよね。でもね。シマウマの君野くんがボスのライオンに好かれても、食べ物も習慣も違う彼らの巣の中にいたら、周囲のライオンはどう思う?」 「…迷惑だと思う。」  だんだんと、桜谷の言っている言葉を理解する君野。  その顔はどんどん元気がなくなっていく。 「それで、どうなったの?」 「堀田くんが、僕のせいで彼女と別れちゃった…。」  と、君野は青ざめて目に涙をためていた。 「そうだった、堀田くんは大事な彼女を振ったんだ。僕のせいなのに…僕が一緒にお弁当食べるのを波田(はた)さんが気に食わなくて…それで…。」  と自責の念を感じている様子。 「君野くんは何も悪くないわ。」  途端に怖い顔から優しく君野を抱きしめる桜谷。  君野はその優しくほのかな女子の匂いに包まれ、大人しく身を任せた。 「本当だ僕は悪い子だ…。堀田くんの大事な物を壊してるのに、僕はその優しさに甘えて独占して…彼女がかわいそう…。」 「優しいのね君野くん。でも大丈夫よ。たとえ堀田くんが彼女とのマンネリで、一時的な暇つぶしだったとしても、これから私が隣りにいるんだもの。」  桜谷はそう君野の耳元で優しくささやく。   そして泣く君野の顔を両手で優しく包む。 「ねえ、私にはチート能力があるの。一見、私にかかった呪いにみえるけど、使い方が賢ければ、相手をぎったんぎったんにできると思うの。」  何か考えがあるのか  鼻の上の、欠けた方が下側の三日月が2つ  いやらしく君野の全てをジャックする。  彼女とは初対面なはずなのに、彼の目も耳も鼻も、呼吸も、体温も、全てもう彼女のものだ。  気がつけば君野は桜谷のキスを心地よく受け入れていた。  授業が始まるチャイムも気にならず  君野はあっけなく  桜谷の〝モノ〟になった。 続く。
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