9.正体不明の不快感

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9.正体不明の不快感

 海渡を連れて、ユンカースはローレルが用意した馬ではなく厩舎で待機している馬の方へと向かった。ローレルが手綱や鞍を着けてくれていたので、引き出すだけですぐに乗れそうだ。 「危ないので、そこで待っていてください」 「うん」  海渡を待機させて馬を馬場に連れ出すと、コミュニケーションを兼ねて全身を撫でながら点検する。……大人しくて従順な馬だ。よく躾けられている。 「乗馬するような格好じゃないんだけどな……。悪いな、少しだけ付き合ってくれ」  馬にひと声かけてあぶみに足をかけると、ユンカースは海渡を手招いた。 「ひとまず僕が乗って馴らしますから、そのあと君を引き上げます」 「うん、わかった」  左足に力を入れて体を持ち上げると、ユンカースは鞍にまたがった。馬車にはよく乗るが、自分で馬を操るのは久しぶりだ。  ゆっくりと馬場内を歩かせると、ローレルと並んだ有那が歓声を上げた。 「ユンユンかっこいー!」 「っ……。僕のことはいいですから、自分の方に集中してください!」 「はーい。……怒られちった」  ローレルと顔を見合わせて苦笑する有那に胸が少しモヤッとした。そんな感覚は初めてで、ユンカースは無言で首を傾げる。 (まったくあの人はのんきな……! だいたい、なんで僕が付き合わされないといけないんだ。やっぱり、あのとき声なんて掛けなければ良かった。らしくないことなんてするもんじゃない)  有那と関わってからまだたった数日だが、ユンカースはペースが乱されっぱなしだ。王にはからかわれるし、起きても帰っても食堂で顔を合わせるし、顔を合わせれば「ユンユーン」と馴れ馴れしく話しかけてくるし。 (ヘソ出てるし……! なんなんだ、あの服。恥ずかしくないのか!? そりゃ似合ってはいる…けど……。いやいや、どう見ても緩すぎるだろ。しかも誰にでもほいほい笑顔で――)  ちらっと顔を上げると、ローレルと親しげに談笑する有那の顔が視界に入る。視線に気付いたのか、ローレルがゆったりと呼びかけた。 「おーい、兄ちゃん。顔こえーぞー。馬が怯えてるって」 「……っ。……すみません」  はっと我に返ると馬との歩みに集中する。軽く歩いて海渡のところに戻ってくるとユンカースは馬の足を止めた。 「そこの台に乗って、ここに足を掛けてください。せーので引っ張ります」 「う、うん」  海渡の手を引いて、タイミングを合わせて馬上に引き上げる。5歳とはいえそれなりに重さがあり、ユンカースは少しよろけたが無事に自分の前に海渡を乗せることができた。  ……良かった。子供一人乗せられないとか、情けない姿を晒さずに済んだ。 「おー、カイトー! カッコいいよ!!」 「またあの人は……」  あちらも馬に乗った有那が馬上から手を振る。それに小さく海渡が手を振り返すが、有那の腰にローレルが手を添えているのを見てユンカースはまた胸がモヤッとした。  気を取り直すように視線を戻すと、目の前の海渡の細い肩がガチガチに強張っているのに気付く。 「……怖いんですか?」 「う……。思ったより、高かった……」 「そうですね。分かります。今日は僕が動かしますから、そこに掴まっててください」 「うん……。……ごめん」  シュンとつぶやいた海渡の肩が縮こまる。ユンカースはごくゆっくりと馬を歩かせながら、小さくため息をついた。 「……僕も、怖かったです。初めて乗った時は」 「え……。そうなの?」 「はい。詳しくは覚えてないですけど、たぶん今の君と同じぐらいの歳だったと思います。ただ馬が大きかったことだけはよく覚えていて……厳しく指導されて、泣いた気がします」 「そうなんだ……」  海渡が意外そうにつぶやく。なぜ、この子供を慰めるようなことを言っているのか、自分でも疑問だった。適当に放っておけばいいのに。 「……たくさん練習したから、怖くなくなったの?」 「まあ……そうですね。慣れました。自分の体も大きくなりましたし。あとは……馬が怖い動物ではないと、知ったからですかね」 「……?」 「知らないから、恐れるんです。相手のことを正しく知れば、むやみに恐れる必要はないことに気付きます」  ユンカースは海渡の小さな手を取ると、たてがみ近くの首を撫でさせた。強張った海渡の手から次第に緊張が抜け、ゆっくり何度も首を撫でると馬は気持ちよさそうに鼻を鳴らす。 「わっ」 「怒ったわけじゃないです。……ほら、耳を見てください。両方、少し倒れているでしょう?」 「……うん」 「これは馬の気持ちが落ち着いている合図です。さっきまでは警戒して細かく動いていました。……まあ僕の乗り方が悪かったからですが」 「そうなの?」  海渡が振り返り、ユンカースを見上げる。ユンカースは無表情でうなずくと今度は反対側の首を撫でた。 「馬は臆病な性格の動物です。乗る人が怯えていたり気持ちが落ち着いていないと、馬にも伝わる。逆に、乗る人が馬を信頼して落ち着いた気分でいれば、馬も落ち着きます。馬の歩みと自分の動きを合わせて、馬の気持ちを考えながら操るんです」  ゆっくりと手綱をさばくユンカースを海渡が見上げる。幼子は視線を馬に戻すとその温かさを感じ取るように手のひらを首に押し当てた。 「あったかい……。そっか……。お馬さんもオレと一緒なんだね」  安堵したように肩の力を抜いた海渡を眼下に収め、ユンカースは視線を有那たちの方に向けた。有那は珍しく真面目な顔で、ローレルの言葉にうなずきながら馬場内をゆっくりと歩いている。  狭い馬場で馬が二頭歩くのは限界がある。ユンカースは馬首を巡らせるとスタート地点へと馬を戻した。  馬を繋いで海渡を降ろしてやると、ちょうど有那が向かってくるのが見えた。  引き馬をしていたはずが、いつの間にかローレルが離れ、有那一人で馬を操っている。意外に姿勢の良いその騎乗姿を見ていると、ユンカースの隣にローレルが並んだ。 「ボウズ、どうだった? 馬は可愛いだろ。……お前の母ちゃん、なかなかいいスジしてんな。兄ちゃんもそう思うだろ?」 「え……。ああ、はい。思ったよりは」  有那の方を見ながらローレルが快活に笑う。くしゃくしゃと海渡の頭を撫でたローレルは、有那へと向かっていった。その姿に、三度(みたび)胸がモヤつく。  ローレルに誘導されて馬を止めた有那は、馬上からユンカースと海渡に大きく手を振った。 「ユンユーン! カイトー! ねえねえ、あたしすごくない!? 馬乗るの、めっちゃ楽しー!」  その弾けるような笑顔がまぶしくて、ユンカースは思わず視線を逸らした。 「やー、楽しかったー! こりゃがぜん習うの楽しみだわ」 「そうですか」  ローレルの店を辞して、帰路についた三人は昼食を食べてから帰ることにした。仕出しの提供先探しを兼ねて、近隣の店を回ってみることにする。 「練習の予定は決めたんですか?」 「うん。短期集中でやろうって、三日後に。ローレルさん、いい人だったし当たりだね、これは」 「……そうですか」  上機嫌な有那にユンカースは淡々と返すことしかできない。たまたま当たったのが『恵みの者』に(ゆかり)のある店で、あの侯爵家とも繋がりがあるともなれば、滅多なことはないとは思うが―― 「……もし、あの馬車屋で不都合があったら……言ってください。他のツテを探しますから」 「ん? うん、りょー。大丈夫だと思うけど」 「念のためです、念のため。一応、僕は星読みの館に代わってあなたを預かっているという立場なので。何か問題があったらまずいんですよ」 「分かった分かった。ユンユンのお仕事の邪魔はしないようにするって。心配性だなー、もう」  軽く手を振って有那が苦笑する。その危機感のない表情にユンカースは再度ため息をつくと、胸の中に生まれたモヤモヤを追い出した。そして有那の横で若干眠そうにしているカイトに目を向ける。 「そういえば、練習中カイトはどうするんですか? あのお店に一人で置いておくのも危ないですし……ミネルヴァさんに預かってもらうんですか?」 「――あ。やばっ」 「考えてなかったんですか……。あなたって本当に行き当たりばったりですよね」  手を口で押さえて見上げた有那に、ユンカースは呆れた顔でつぶやいた。
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