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翌日、志郎は仕事を終え、駅のホームで電車を待っていた。本を無くす前とは違い、大きな疲労感が体にのしかかっている。占いに頼れないので、終始不運に怯えながら仕事をしなければならなかった。
こんな毎日が続くなら、仕事を辞めて、また気ままなフリーター生活に戻ろうか。
そんなことをぼーっと考えていると、隣の方から興味深い会話が聞こえてきた。二人の若いOLがベンチに座って話している。
「でね、この前占い仲間から借りたんだけど、全然当たらないの。星占生術って本なんだけど、書かれてるのはデタラメばっかり」
星占生術という言葉が弾丸のように志郎の耳を貫いた。彼女はあの本を持っているらしい。しかも気になるのは、占いが全然当たらないということだ。
志郎は詳しく話を聞きたかったが、声をかける勇気が出なかった。もし話しかけても、上手く話せるだろうか。そんな不安が押し寄せてくる。だが、ここで機会を逃せば、星占生術のことは二度と分からないかもしれない。
志郎は意を決し、女性に話しかけることにした。
「あの、すみません」
二人の女性が志郎を見上げる。
「どうしたんですか?」と、星占生術を持つ方の女性が訊く。
「さっき、星占生術の話をしてましたよね?」
「ええ、それが何か?」
「僕、訳あってその本を探してるんです。その本の占いが一番よく当たるので。でも、さっきデタラメしか書かれていないって仰ってましたよね。それって本当ですか?」
「……」
女性は不思議そうに志郎を眺めていたが、ぷっと噴き出して言った。
「あなたも占いが好きなんですか?」
「えっと、好きというか、僕は星占生術に人生を変えてもらったので、あそこに書かれていることが嘘かどうか気になるんです」
「嘘ってことはないと思いますよ。占いは相性なので」
「相性?」
「そうです。たとえ占い師の腕が確かでも、相手との相性が悪ければ占いは失敗しちゃうんですよ。だから、あなたと星占生術の相性はよっぽど良かったんでしょうね」
志郎はそれを聞いて安心した。
「ああ、そういうことですか。……あの、よろしければ、あなたが持っている星占生術を、少しの間だけ貸していただけないでしょうか? コピーしたらすぐに返しますので。もちろん、ただでとは言いません。お願いします」
志郎は深々と頭を下げた。
「いいですよ。でもお金なんて要りません。あの、お名前は?」
「はい、田中志郎といいます」
「私は田辺っていいます。どこにお住まいなんですか?」
「小旗駅の近くなんですけど」
「ああ、それなら私の家の近くですね。これから寄っていきませんか?」
「ちょっと、いいの?」と、隣の女性が小声で言う。心配するのも無理はない。だが、田辺さんはあっけらかんと言った。
「大丈夫だって。占いが好きな人に悪い人はいないんだから」
志郎は少し笑って言った。
「では、そうさせてもらっていいですか? 本を受け取ったらすぐに帰るので」
「ええ、じゃあ、一緒に帰りましょっか」
話がまとまった頃、ちょうど電車が来た。志郎は二人と共に電車に乗り込み、彼女達と向かい合う形でボックス席に座った。
黙っていると気まずいので、志郎が口を開いた。
「実は星占生術を探すのは一度諦めてたんです。それで代わりになる本がないかと買い漁ったんですけど、どれも駄目だったんですよ」
「ああ、分かります」と田辺さん。「相性がいい本ってなかなかないですよね。私も一番相性がいい本があったんですけど、友達に貸したらコーヒーをこぼされちゃって、読めなくなっちゃったんですよ。『江住友子の動物占い』って本なんですけど」
志郎は驚いて言った。
「僕、それ持ってますよ」
「本当ですか?」田辺さんは目を輝かせて言った。「貸していただけません?」
「いや、差し上げますよ。私とは相性が悪い本なので」
「いいんですか? ラッキー」
そう言って嬉しそうに笑う田辺さんを見て、綺麗な人だな、と志郎は思った。
その後、電車は小旗駅に到着し、志郎は一旦田辺さんと別れ、自宅に帰った。そこで動物占いの本を鞄に入れ、教えてもらった住所に従い、田辺さんが住むマンションに向かった。
呼び鈴を押すと、私服の田辺さんが出迎えてくれた。玄関で本を交換する予定だったが、田辺さんに上がってくれと言われたので、志郎は部屋に入った。
キッチンの椅子に座ると、田辺さんが分厚い本を持ってきて、ドンッとテーブルに置いた。それはまさしく、星占生術だった。
「これですよ」
志郎は目に涙を浮かべて言った。向側の席に座った田辺さんが笑う。
「そんなに欲しかったんですね。私は全然当たらなかったけど。私はその本が言うところの火星の人なんですけど、火星の人の人物評がどんなのか知ってます? 金銭欲と名誉欲が強く、失敗しやすい、なんですよ。ひどくないですか? 私全然欲なんて無くて、穏やかに過ごしたいと思ってるのに。だから江住先生の本じゃないと駄目なんです」
「持ってきましたよ」
志郎は鞄から本を出して渡した。
「そうそう。これが一番当たるんです」
田辺さんは嬉しそうに本の頁をめくった。
「では、私はこれで」
そう言って志郎が席を立とうとすると、田辺さんが止めた。
「待ってください。せっかくだから占いましょうよ。田中さんは何の動物だったんですか?」
「えっと、ライオンです。全然そんな人間じゃないんですけどね」
「ライオンですか。私はクマなので、えっと……あっ見てください」
田辺さんは本を開いてこちらに向けた。そこは恋愛運についての頁で、こう書かれていた。
『クマとライオンの相性は超最高です。誰もが羨むカップルになれること間違いなし!』
文を読み、志郎は顔が熱くなった。田辺さんが顔をこちらに近づけて言う。
「私達、付き合いませんか? 超最高の相性らしいですよ?」
「え、いや、あの」志郎はうろたえて言った。「でも、その本は僕と相性が悪いですし、本当に当たってるかどうか」
「じゃあ、その本でも占ってみてください」
田辺さんはそう言って星占生術を指さした。
言われるままに頁をめくり、今日の運勢を調べる。そこにはこう書かれていた。
『大吉。この日出会った初対面の人物が火星の人だった場合、最高の良縁である。伴侶となれるよう最大限努力すること。』
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