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他人の心を粉々に粉砕することができる者たちだけが、私たちの幸せを勝ち取ることができる
頭の中は、真っ白だ。
何処かで、音がする。奇妙な音――ドンドン、ドンドン、ゴンゴン、ゴンゴン。
此処が何処なのか、なんのために此処にいるのか、私にはわからない。
何処かで鐘の音が鳴る――カーンカーン、コーンコーン、カーンカーン、コーンコーン。
逃げている。誰かから。
誰から逃げているのかは、わからない。正確には、私にはそれがわからないだけで、実際は、誰から逃げているのか見当がつく。
見当がついていても、それが誰なのかはわからない。
時計の針は午前零時を指している。
いきなり現れた道路には物質が高速で行きかっている。上下、左右、上下、左右。
その瞬間、私は道路上で高速な物質にひき殺された。
You’re DEAD。
頭の中が血の色に染まる。緋色。
血で滲む頭の中は死に関する文字でいっぱいになっていた。DEAD、DIED、DEAD、DIED。
冠婚葬祭、ゆりかごから墓場まで、終わりがあれば始まりもあり、始まりもあれば終わりもある。私の死は、単なる終わりではない。
何処かで鐘の音が鳴り響く――カーン、カーン、コーン、コーン。
頭の中は虹色だ。
ホッピーでハッピーな脳内分泌物に私はメロメロだ。
メロメロという語源は、古来、メリメリという何かを剥がすようなものから、メソメソ泣くというような言葉に変化し、その後、メラメラと燃えるようなものに変化したという。そして、なぜか、なにかに夢中になってしまうような意味であるメロメロへと進化したのだ。
そう、私は今、その何かに夢中という意味での、メロメロなのだ。
このメロメロにさせてくれる愉悦にメロメロなのだ。
おや? また、どこかで、鐘の音が鳴り響く――カーン、コーン、カーン、コーン。
頭の中が冴えわたり、今の色を例えるならば、まさに黄色。
溢れ出す――知、知、知、知。
これはもう、まさに知識の泉に溺れてしまうほどだ。
私は、失うことに恐怖など抱かない。知識の泉は私に無限の勇気を与えてくれる。
今なら、空も飛べる。飛んで見せる!
残念ながら、空を飛ぶ前に、鐘の音が鳴り響いた――カーン、コーン、コーン、カーン。
気付けば、頭の中の色は、例えるならば、そう、橙色だ。
健全たる我が身に、ほとばしる生気、活力がみなぎり、すべてに打ち勝つ力を授かろうぞ!
我は無敵なり、無敵の勇気がこの身を焦がし、まだかまだかと奮い立つ!
いざ行かん、わが戦場に!
その時間もあっという間に過ぎ去りし時、鐘の音は無残に鳴り響くこと、いと悲し――コーン、カーン、カーン、コーン。
頭の中で自我が徐々に落ち着きを取り戻すのを感じる。水色のような気分だ。
無敵に思えたあの燃えるような気持ちはすでに消え、心なしか、人恋しい、誰かを思う気持ちと、恋しさにその身が沈み込んで行く感覚。
恋とは、なんだろう? 誰かを好きになるって、どういうことなのだろう?
人恋しい。
それと同時に、心はここにあらず、もう一つの世界へと、思い焦がれた未知なる世界へと私は旅立っていた。
さりとて思い、思い焦がれていたとしても、時は残酷、次へ行けといわんばかりに、鐘の音が鳴り響く――カーン、カーン、カーン、コーン。
青、静けさの青。頭の中は澄み切っていた。
心から、大切だと思えるもの。心から、楽しいと思えるもの。心の底から、この世界は、喜びに満ちていると、そう感じている。
誰もが、幸せを分かち合い、誰もが、幸せのお裾分けをする。誰もが、微笑み。誰もが、愛される。そんな世界。
私は、ずっと、この世界に居たい――ずっと、ずっと。
しかし、世の理は残酷なことこの上なく、幸せな時間は長くは続かず、鐘の音は無慈悲にも響き渡る―コーンコーン、コーン、カーン、カーンカーン。
赤、真紅に染まる頭の中。
幸せは、他人に奪われる。そこに慈悲はなく。
奪われるのであれば、奪い取ってしまえばいい。私はそれをよく知っている。
誰もが微笑み、誰もが愛される、それは茶番に過ぎない。
人々は、表向きには友好を装っていても、実際は違う。嫉妬に狂い、他人の幸せを羨望する。
他人の心を粉々に砕き、自らの栄光の糧とする。私たちは、それができる人間こそが、人の世を統治することができると信じている。
この世は弱肉強食、弱者は弱者として、強者に、己の幸せを捧げよ! さすれば、わずかなおこぼれを与えてやろう。
粉々に砕け散った心を、這いつくばり、かき集める弱者の群れを踏みにじる、その快楽は至福の喜び。
さあ、弱者ども、強者に幸せを捧げよ! 我に幸せを捧げよ!
そんな至福の時でさえ、鐘の音の訪れによって終わりを告げる――カーン、コーン、カーン、コーン。
頭の中で、何かがはじけ飛び、何かが変わった。緑色。
幸せとは、なんだろう? いつもと変わらぬ日々、平凡な日常。それは、平凡と呼べるようなものでは到底なかったとしても、ただ、ただ、変わらぬ日々がそれを平凡たらしめる。
生きるとは、なんだろう? 幸せだって、いつも、いつも、いつだって、思っていた。でも今は、それが少し、退屈なのだ。
愛する家族も、欲しかった高価なものも、形あるものすべてが、平凡に思えてしまう。
他人から奪い取った幸せは、今はもう、ゴミクズも同然だ。
次の鐘が鳴り響く――カーンカーン、コーンコーン、カーン、コーン。
頭の中は、紫色。それは、色鮮やかな紫色などではありません、紫苑色というべきでしょう
幸せは、脆く儚いといいます。しかし、それは、幸せを大切にできなかった者の、言い草でありましょう。
幸せとは、いうなれば、卵のようなもの。大切に、大切に温めて、その幸せから孵化した大きな幸せは、自分だけではなく、自分の周りにいる人々さえも、幸せにする、脆く儚いなどとんでもないです。
しかしながら、確かに、幸せは泡沫の夢のよう。大切にしていたとしても、無慈悲に訪れる不幸から逃れることなどできませぬ。
幸せとは、人生のようなもの。いつか終わりが来るとわかっていても、知っていても、必死で何か掴み取ろうと足掻き、もがき苦しみ、手にした何かがただの石ころだったと、諦めてしまう……そんな人生のようなものでしょう。
ですが、その石ころも、周りの宝石と比べてしまえば見劣りするかもしれない、だけれど、そんな石ころでも大切に。さすれば、それがとても大事な人生の宝物となってくれることでしょう。
次の鐘の音が鳴り響いています――カーンカーン、コーンコーン、カーンコーン、カーンコーン。
終わりの時は近いと、私は既に知っていた。灰色の世界。
もうすぐ、頭の中は真っ白になることだろう。理解している。
けれど、私には、もう、なにも残っていない。
平凡だと感じていた幸せも、ゴミクズの詰まった人生も、もう、なにも――
ただ、一つ、あるとすれば――それは、人としての心。人間として、生きてきたという証。
その証は、私の時間が終わっても、次の私に引き継がれることだろう。
そうして、世界は回っていく。
それでも、一つだけ、たった一つだけ、次の私に伝えたいことがあるとすれば――
「自らの価値は、自らでしか決めることができないのだから、他人の価値を奪ってまで自分の価値を上げる行為に何の意味があるというのだろうか――」
頭の中は、真っ白だ。
何処かで、音がする。奇妙な音――ドンドン、ドンドン、ゴンゴン、ゴンゴン――
――
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