不遇と勇気

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 渋柿勇気は学校内での生活をほとんど小説を読むことに費やしていた。誰が話しかけても、小さく相槌を返すだけでその視線はいつも文章に注がれていた。最初のうちは担任の教師も含め慣れない環境に緊張しているだけだと思っていたようだが、彼が本心から他人と付き合うことを避けているのだと分かるのに時間はかからなかった。  決定的に彼のクラスでの位置づけが決まったのは、ある一人の女の子がクラスメイトがいる前で公開告白をしてそれを渋柿勇気が無視してからだった。その日以来、渋柿勇気はクラスからほとんどいないものとして扱われるようになった。僕の中で彼の存在が大きくなり始めたのはその頃からだと思う。  その日、僕はどうしても終わらせなくてはならない課題を学校に置き忘れたため、家からとんぼ帰りして学校に戻ることになった。放課後の学校は僕の一番苦手な場所だった。吹奏楽部のちぐはぐな音色や、野球部の部員の野太い声を聞く度に僕の居場所はここにはない気がするからだ。  早足で廊下を歩き教室のドアを開ける。すると誰もいないと思っていた教室の中で渋柿勇気が自分の席に座り読書をしていた。彼は放課後になるとすぐに帰ってしまうのでまだ学校に残っているのは珍しいことだった。  僕は渋柿勇気の姿を横目で捉えながら、自分の机の引き出しから課題を取り出した。そしてなにを思ったのか、僕は彼に向かって話しかけていた。 「いつもなんの本を読んでるの?」  自分がどうしてそんな質問を彼に投げかけたのか分からなかった。もしかしたら、クラスで孤立しているもの同士で友情が結べるとでも思ったのかもしれない。  しかし案の定、渋柿勇気は何も答えずに文章を追っていた。僕の言った言葉はまるで耳に届いていないようだった。僕は安堵と少しの後悔の念を抱きながら、課題を持ち教室を出ようとした。 「俺さ、あんまりお前のこと好きじゃないんだよね」  その声は放課後の喧騒の中に紛れることはなく、はっきりとした質量を持って僕の耳に届いた。その言葉は最初、自分以外の誰かに向けられたものだと思ったが、教室の中には僕と渋柿勇気の他には誰もいなかった。 「つまり僕が気付かないうちに君に気に障ることしたってことかな?」  僕は自分の頭の中に浮かんだ言葉をそのまま口に出した。それ以上なんと言えばいいかわからなかった。渋柿勇気は黙って僕の事を見ていた。発言権はどうやらまだ僕にあるみたいだった。 「もしそうなら謝るよ。申し訳ない。僕が何をしたにせよ、君の気分を害したいわけじゃなかったんだ」 「ひょっとしてさ、不幸とか不遇に甘んじている事を頑張っていると思ってるんじゃないの?」渋柿勇気は真っ直ぐに僕の目を見て言った。「一人でいるこの状況もいつかは解消されて報われると思ってる。でもそういうのを世間ではなにもしていないっていうんだよ。不幸でい続けることは怠慢だし、幸せになろうとしないのは卑怯だ」  渋柿勇気は本を閉じて立ち上がり、教室から出ていった。その当時、僕は突然浴びせられた言葉に唖然としてその背中になんと声をかけていいか分からずに黙り込んでしまったのだと思っていた。でもそれは間違いだった。あまりにも的確な意見に何も言えなくなってしまったのだと気づいたのは、それから少し経った後だった。僕は他人を自分の中から排斥しようと思うのと同時に、心の底から誰かと繋がりたい思っていたのだ。
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