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ユキちゃんの訃報を聞いたのは、退院して暫く経ってからだった。
「単独事故だったそうよ。居眠り運転で崖に突っ込んだらしいわ」
「まだ若いのに……、本当に残念なことだ」
「ことりを担当してくれて、いつもよくしていただいてたから……。ことり、きちんとお礼を言ってちゃんとお別れをしなさいね」
身近な人の死に直面するのは、幸か不幸かこの時が初めてだった。
全部作り話だと思いたい自分と、黒いリボンの掛けられた写真立ての中で微笑むユキちゃんという視覚情報が脳の中で対立しているみたい。感情と頭が現実に追いついていかない。母親に抱かれた弟の無邪気な笑顔だけがリアルとしてあたしをここに繋ぎ止めていた。
お焼香が終わり、ユキちゃんの気配を感じたくて辿りついたのはボクちゃんのところだった。ボクちゃんとなら言葉に言い表せないこの気持ちを共有できると思ったから。
――仕事で失敗したときとか、落ち込んだ時よくここへ来てたの。
「ねえボクちゃん、ユキちゃんはもう、ここには来ないよ」
言葉にしたら、急に現実が体内に侵入してきた。
病室を抜け出して困らせたこと、結局謝ることができなかった。自分の人生を呪って、つっけんどんな態度ばかり取った。退院してもどうせまた直ぐに体調が悪くなるからと悲観して、元気に退院していく姿を見せなかった。それがユキちゃんが一番喜ぶことだと知っていたのに。
ごめんなさいもありがとうも、伝えたくてももう伝えることはできない。
「ねえ、神様。なんで、なんでユキちゃんにこんな運命を与えたの……? やり甲斐のある仕事って言ってたのに。全部取り上げるなんてひどい、ひどいよ――……」
稲光のような白光が走って、音も無く紙様は姿を現した。
「生命を司るものと消滅を司るものは別なんじゃよ」
「紙様! 聞いて、ユキちゃんが――」
「知っておる。あの子の運命もちゃんとワシが記してきた」
「ユキちゃんが死んじゃうって知ってたの? そういえば退院する前、ユキちゃんのことを気にしてたよね? 知ってたなら……! なんで先に教えてくれなかったの。事故を防げたかも知れないのに」
今更紙様を責めたところで、もうユキちゃんが帰って来ることはないと分かってる。でも高ぶった感情が勝手に口を動かした。
「何度も言っておるが、一生のうちで辿ってきた運命を紙に書いて残す。ワシにできることはただそれだけなんじゃ」
紙様の穏やかな声にしゅるしゅると感情がしぼんでいって、あたしはその場にへたり込んだ。
夕日が嫌みなくらい煌々と周囲を照らすとボクちゃんが朱く染まっていった。
見上げる老木はいつものようにそこにそびえ立っているだけ。きっと、ボクちゃんは色んな出会いと別れをここで見守ってきた。そう思うとボクちゃんのことが不憫にも思えた。辛くても悲しくても、ここにずっと留まっていないといけないのだから。
「……紙様は何のために、人の辿った運命を紙に記しているの?」
きっとこれ以上無いくらい満喫して、大満足で人生の幕を閉じる人はそう多くないだろう。それなのに記して残す理由は一体何だろう。
投げかけた問いに一向に返事は返ってこなくて、辺りを見回すけれど紙様の姿はもうなかった。その代わりに先ほどまでは無かったはずの、一冊の本が木の根元に置いてあった。表紙には「喜佐田 結季」の文字。ユキちゃんの本だ。ドキリと胸が震えて、その本をそっと手に取り表紙をめくった。
――生年月日、両親の名前、性別、基本的な性格――……。
まるで昔見せてもらった母子手帳みたいに、ユキちゃんが誕生した時のことが細かく記されている。読み進めてみると、生まれてから歩んできた人生が順を追って書かれている。けれど、そこに主観や感情は一切含まれておらず、過ごした日常を淡々と語っていて物語というより年表に近いのかもと思った。
――平成十三年九月十日、両親の離婚。生活の変貌を幼心に感じ取り不安が大きくよく癇癪を起こし母親を困らせる――……。
――平成十七年四月六日、月出小学校へ入学。担任の後藤和子はひとりひとりの成長を見ながら的確に指導のできる教員で、結季はつまずくことなく学校生活に馴染んでいった――……。
――平成十八年五月十四日、午後六時十分。川に流され一時行方不明になるも父親が救出し救急搬送された。大量に水を飲んでいて意識も失っていたが対応が早かったため一命を取り留めた。一週間の入院後無事に退院した。世話になった優しい看護師に感銘を受けて看護師になる夢を抱く――……。
そこまで読んでパタリと本を閉じた。ドキドキと鼓動が早くなる。家族以外知らないようなことをあたしが知っていいものだろうか。この本は開けてはいけないパンドラの箱のような気がしてそれ以上読み進めることができない。
ちょうど街灯が灯り、辺りが暗くなったことに気がついた。今はただ、ユキちゃんのことを想って過ごしたい。あたしは本をぎゅっと抱きしめて帰路についた。
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