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小さい頃、喘息がひどくてよく入退院を繰り返していた。
中学生になって喘息が落ち着くと目眩や全身の倦怠感でよく気を失った。
病院の診断は起立性調節障害。授業中に机に突っ伏して居眠りと思われて、注意しに来た先生に腕を引っ張られそのまま床へ崩れ落ちたこともあったし、友達と遊びに出掛けて自転車に乗ったまま気を失って電柱に突っ込んだこともあった。
救急車で運ばれたのは何回だろう。数えたことはないから分からない。その度に周囲を驚かせて心配も掛けた。先生はだんだんと腫れ物に触れるように接するようになって、友人は心配するフリをしながらだんだんあたしを遠ざけるようになった。でも、それは仕方ないこと――授業の進行とか、楽しみにしていた推しのライブとか、周囲の人の大切な時間をあたしは奪ってきた。そしてそれは家族となると膨大なものだ。何が起こるか分からないせいで仕事もままならず、入院となればお金もかかる。勉強も集団生活も、普通の日常すら普通に過ごすこともできない。いくら病院へ通院しても、いくら食事や生活環境に気を遣っても快方へ向かわない。心労を蓄積させた両親は、だんだんとあたしに構わなくなっていった。そしてそれは年の離れた弟が誕生してから急加速した。気がつけばあたしは家族の中で透明人間になってた。
こんなあたしでごめんね――違う、だってあたしも好きでこんな体になったわけじゃない。心配してくれてありがとう――これも違う。全然違う。本当は心配なんて掛けたくないの。
今回の入院は原因不明の発熱と嘔吐。炎症反応の数値が高く脱水もあって緊急入院して一週間が経過した。けれど、家族が面会にやってくることはなかった。
どんなに心細く寂しくても、感染症も流行ってるし弟は小さいし仕方ないって、ひとつずつ諦めていくしか方法はない。
「……ボクちゃん、あたしは、この世の厄介者なのよ」
昨日とは打って変わって心地よいカラリとした快晴の今日。サワサワと葉音が聞こえて、地面の影が光りを溢しながら揺れていた。今朝になって、ユキちゃんの話しを思い出したらまた無性にボクちゃんのことろに行きたくなった。
熱もなく、炎症反応の数値も下がっていたし点滴も外れた。それに老木は辛うじて病院の敷地内のもののようで、外室許可は思いほか簡単にもらえた。
「――それは、誰が決めたのじゃ?」
耳元で声が聞こえてはっとした。ボクちゃんの根元に座り込んでたあたしの直ぐ横で、ふわりぷかぷかと、長く白いヒゲを撫でる紙様が浮かんでいた。やっぱり紙様は実在していた。
「誰が決めたのかって? それはあたしも知りたいよ。やっぱり人の運命ってカミ様が決めてるのかな?」
「ワシではない」
「あ、違う違う……えっと、ゴットの方の神様」
「ああ、あやつのことか。でも、運命ってのはあやつが決めることでもないのお」
「え、そうなの?」
「そうじゃよ――ああ、そうじゃ、昨日頼んだ紙は持ってきてくれたかのお」
「ああうん、これしか無かったけど……」
念のため落書き帳を持ってきていて良かった。病院を抜け出すほど時間を持て余しているあたしを不憫に思ってか、看護師長がくれた落書き帳をエコバックから取り出す。
「おお! 紙じゃ紙じゃ。ありがたくちょうだいする――むん!」
紙様が力を込めて唸ると、手に持っていた落書き帳がふわりと浮いて、空飛ぶ座布団のように浮いている紙の束の隙間にするりと収まった。
紙様が鎮座している紙の束とはサイズは違っているはずなのに、はみ出ることなくピタッと収まった。
「昨日、紙にあたしの運命を書くって言ってたけど、紙様があたしの運命を握ってるってことじゃないの?」
「ワシ、そんなこと言ったかの?」
「言った! 言ったよ、絶対言った!」
「まあ……、言ったのお」
「それってどういうことなの? やっぱりあたしの運命を操ってるってことじゃないの?」
長く白いヒゲを二回撫でてから紙様はあたしの目の前にふわりと移動した。
「運命とは、自分で選んで歩み進めた時に振り返ると見える道のことじゃよ」
「でもあたし、こんな人生好き好んで選んでない。もっと普通のことを普通にやりたかったし、家族に迷惑もかけたくなかった。みんなと笑って過ごしたかった。なんであたしばっかりこんな惨めな思いをしなきゃならないの……」
今まで誰にも言えず、ため込んでいた感情がいとも簡単に溢れ出す。半べそをかきながら、少しずつ気持ちが軽くなっていく。ああ、これがユキちゃんが言っていたことなのかもしれない。ユキちゃんにも紙様が見えているかもしれない。
「そうじゃのお。それは生まれる時にあやつから授かった試練じゃの」
「あやつって神様? からの……試練?」
「そうじゃ。人生は複雑な構成で成り立っておる。だから簡単に説明して簡単に攻略できるものでもない。ワシから言えるのは、その試練を生かすも殺すもおぬし次第だということじゃ」
「生かすも、殺すも……?」
分かったような分からないような、でもなんとなく飲み込めた紙様の言葉をそっと胸にしまうと、遠くからユキちゃんの声が聞こえた。
「ことりちゃーん、お昼ご飯の時間よー!」
「あたし、もう行かなきゃ」
ふと紙様に視線を投げかけると、紙様は遠くにいるユキちゃんをじっと見ていた。
「あの子は……」
「え? ユキちゃんがなに?」
いつになく低い声で喋ったかと思うと、次の瞬間には黙り込んでしまった。
変な紙様。
あたしは怪訝に思いながら、お昼ご飯を食べ損ねるわけにはいかなくて急いでその場を後にした。
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